夏バテ知らずに暮らしている - 八月下旬

八月中旬の最後の日に孫たちがキャンプに行った様子が届いた
今の子どもたちは 夏休みに山を駆けずり回ったり川で遊んだりしない
遊ばないから余計に危険が伴うようになり 事故が起これば目立つのだろうか

健康診断に行って 肺がん、肝炎、前立腺の検査も入れてもらった
今年は無料でやってもらえるというのでありがたくお願いをした

不整脈も見つかって 平岡先生宛の手紙も書いてもらった
九月になったら心臓の検査を受けに行こう

鰻を食べに回り道をした
「川新」は二度目で 初めての時はお持ち帰りにした
お店で食べるのが美味しい

(処暑)
そうこうしている間に処暑が過ぎた
北海道で買ったお土産が埋もれた荷物の中から出てきて 風を切って食べてみる

旅に出かけたのは六月の下旬だ
日が過ぎるのは早い


➡️ 不整脈があるのが気にかかる - 八月下旬号 外伝

sudden death の崖っぷち ー 処暑篇 (裏窓から)


息子へと母から受け継ぐ野良仕事

弟が作ったスイカだと言って美味そうにツマが食う

盆が明けて
稲刈りが始まる
秋風が吹くのを肌で感じる
処暑の朝に ツクツクボウシが激しく鳴く

さて 処暑篇を書こうか


処暑という深くて暗い淵をゆく

そんな言葉を思い浮かべた
たった今、崖っぷちに追い込まれているわけではないのだが
見方を変えれば、怪しい淵を歩いているのかもしれない

人生は常に絶壁の淵をきたのかもしれないと考えると
やはり今さら慌てるものでもなかろうし
不安になることでもないのだ

sudden death と向かい合って生きているのは どこの誰もが同じだ
崖の淵で往生を迎えるときに、どれだけ清した顔をしていられるのか

私は見栄っ張りな人間だ
そんなことを自分で書いたことは一度もない
周囲の人は全てが気づいているだろうが 指摘をする事もない

そんな奴で、そんな風に生きてきた
別に愚かだったと後悔する事もない

もしそんな人間でなかったならば 違う人生だったのか
と考えてもみるが

その程度の人間だったのだから
行き着く崖っぷちは 同じだったのではないか

* 書きかけ、もう少し考えてみる ・・・けど また別で書く


  • ざんざ降り 迎えの父は野良姿
  • ツクツクボウシが鳴いていて嬉しい
  • 秋風がひらりと今年も忘れずに
  • 大文字 うら淋しいのは火のゆくえ
  • 盆棚の火を消しておやすみなさい
  • 少年時代 桃丸かじり幾つでも
  • 流星や十八に家出て以来なく(since1975)
  • 盆が来てまた一人幼馴染 逝くを知る
  • 貧しさの盆に染み入る六十年
  • 墓まいり蟬鳴きやみて白い雲
  • 稲刈りが始まりまして盆帰り
  • 白黒の野外映画は浴衣着て風流もわからず月を見上げて
  • 盆祭り地蔵の蔭で人を待つ
  • 盆の月 先逝く人をじっと見る
  • 地蔵盆打ち水冷やりと蜃気楼
  • 陽水を歌えば寂しい夏模様
  • 初盆の月のあかりを揺らす風
  • 朝顔で染めた便箋 夏手紙
  • 立秋や待ち遠しさをひた隠し
  • 立秋のブルーブラックは特別色
  • わが父は夏好きやったやろか冬に逝く
  • 立秋が待ち遠しくてシャーベット

想定とは何か - 処暑篇 裏窓から

猛暑、豪雨、感染症・・
次々と身の回りに襲いかかる災難は異常現象かと考えてみる

確かに予測ラインの延長上にあるとは限らないことが発生している、しかしながら、覚悟のできないことであったのかと思えば 人類の油断である要素も含まれていそうだ

自分たちで築き上げて来た『便利』で『快適』で『合理的』な社会の仕組みであったり道具であったのだが、幸せをもたらす一方で悲劇も呼ぶ

都合の悪いことには「悲劇点」をつけたくないのが深層心理だろう

臭いものには蓋をするように、不具合なものには科学技術の知恵で蓋をし続けた

立ち止まって見直し、巻き戻して『不自由』を受け入れて、共存して生き延びる方法を考える時期ではないのか



書き足し中と書いておきながら
よう書きませんでした

パワーブロクを感じる

八月下旬に考えていたこと ー 処暑篇 裏窓から

八月二十三日
処暑

暑かった夏も少し和らぎ、朝夕には涼しい風が吹くと言う
秋の実りが始まるのもこのころとしている

稲刈りはお盆が明けて間も無く始まった

夜中の冷房は悩むことなく毎夜入れっ放しにしている



庭にプールを設営し水遊びをする光景は おそらく五十年も昔から変わらないものであろうし これからも受け継がれてゆくのだろう

空気を入れて膨らませるプールが登場したのはおよそ五十年ほど昔にことで それまでは家の軒先を流れる川を堰き止めて水遊びをするか 川まで行き魚捕りをするついでに腰まで浸かって水遊びをする程度だった

大きな川まで出かければ飛び込めるような淵があるので 高学年になってくると深みのある川まで出かけて遊泳をした

十年ほど周期はあっという間に過ぎてしまい 昭和四十年から五十年にかけて学校にプールができ始めるので 川の遊泳場は次々と姿を消してゆく


*加筆中

五年間を幸せに生きよう - 処暑篇 裏窓から

欲張りに書きましたが
タイトルの通りのことを考えていたということかな


父が亡くなったのが六十六歳と十ヶ月であり、そこから五年を遡ると六十一歳と十ヶ月である

令和元年の終戦の日はまさにわたしが六十一歳と十ヶ月を迎えた瞬間で、つまり後五年ちょうどでわたしは父の年齢に追いつく

それゆえ、五年という月日を一日一日丁寧に着実に考えながら生きてゆかねばならない、とそんなことを考えながら

この五年を充実した日々にすることが父を超えて生きてゆく者の使命であるのではないか、と考えた

父は死ぬ六年ほど前に脳梗塞で倒れており、今のわたしのように自由な暮らしではなかった

だからこそ わたしは健康であるがゆえに、この人の分もしっかりと生きねばならない

さて、その五年前にあたる今年の夏である
わたしは孫たちと京都を訪ねているのだが、お盆のお墓参りであるから特に記録することなどない

孫一号はおしっこがときどき言える三才五ヶ月、孫二号は十一月で二歳になろうとするときで言葉はまだ話せない


孫たちの父さんが五十日ほどの長い研修で缶詰にされている間、母と三人で我が家に転がり込んでいる

我が家は毎日お祭りとお祝いと地震とが同時に来たくらいの騒動となっていた

処暑が過ぎて九月になると研究も終わり普段の家庭に戻るのだろう

我が家にも静かな夜が戻る


処暑を迎える夜にあれこれと思い浮かんで来たことがあった

音楽を聴いたむかしのことから思いは始まってゆく

あのころは、音楽を聴くために給料1ヶ月分ほどをスピーカーにつぎ込んだり 、別の月にはアンプを買ったりしている

部屋は一間しかない貧しい暮らしであるのに、贅沢な条件でオーディオ機器を揃えて愉しんだ

そのことだけを今の人と比較すると、iPod 一つで済ませている時代の音楽は安っぽく薄っぺらいようにも思える


時代に連れて変化したパラメータは数多くある

聴く場所を選ぶことなく、簡単にパーソナルに聴く便利さがある
音楽を入手するダウンロードが容易で便利になって身近である
曲のジャンルが広がり、個人の好みもそれにつられて様々になって自由さが溢れている
音楽のPRの方法も宣伝媒体も変わってきた
ミュージシャンが遠い人からすぐそこの人のイメージになってきている

他にも挙げればいくらでもあろう


マランツのアンプによって増幅され、ダイアトーンのスピーカーから音が出てくる

そのようなサウンドに酔いしれる人は数少なくなったのだ


時代が変わったことを考え続けながら、身近な暮らしの中にも、姿を変えてしまった文化があることを思う

キャンプを楽しむ人たちの考え方もその一つであって、不便さや異空間を求めようとする昔のような思いは殆どなさそうだ


谷に水を汲みに降りて重いバケツで水を運ぶ
焚き火のためにマキを集めるために周辺の森の中を探して回る
マッチを擦って火を起こす
煮炊きは決して便利ではなく、道具も整わない
明かりは電気ではなくロウソクを使ったりする
楽しむ人々も電気製品などは不要だと思い、ラジオや電話から離れて時間を過ごそうと考えた
暑さ寒さも愉しみのうちで、その対処方法も自然と寄り添って工夫をした


ニュースで、コンビニ24時間営業の問題や悩みを報じていた

そんなことは源流に遡って考えていけば素直に見えるはずだが、そこはなかなかみんなの意地があって素直にゆかない

少し不便になったうえでその不便を体感しながら工夫をするという姿勢が大事であって、コンビニが深夜や休日に閉まってしまってどうするかを本質から見直すべきだ、というと恐ろしいほどに反発を食らう


オーディオの音(サウンド)のことも、野外を楽しむ話も 、便利さに満たされた人たちにとっては、受け入れる器がないのだろう

だから手っ取り早く、逆戻りをするような話としてしか受け止められず、「時代遅れ」という範疇に分類してしまう

「時代遅れ」としか決めて掛かれない器量の方に心配が募る


10

時代が進むと文化が進んで、便利になって不満がなくなってストレスも対処して幸福な暮らしが実現できる

だが

プラスチックごみやマイクロプラスチックの汚染が進めば、生物界・自然界にも大きな影響が出る

汚染された環境に生息する生き物を捕獲して食べたりすると身体に環境汚染が浸透するという弊害が出始めるだろう

地球は温暖化を微妙に進化させていることは明らかになりつつある

人類はニンゲンの知恵であらゆる異常に立ち向かい大きな課題を解決してきているのだが、源流まで戻るという勇気は持てないままだ

ニンゲンのプライドなのだろうと思う

やがて、不便さとか不満足という状況を表す言葉をヒトは失っていくことになって、それでもヒトは自分たちは賢くてそれ故に幸せだと思い続けるのだろう

何を受け継ぐべきなのか - 処暑篇 (裏窓から )

語らなければ何処にも記録されなかった話

🌱

私が生まれる何年か前に私には姉があった
そのことを母が話し始めたのだ

お盆の静かな午後のひととき
危険な暑さと報道や気象予報が
やかましく報じているけれども
部屋はクーラーを入れて快適にしている

八十七年あまりを生きてきたうちで
夏の暑い一日のいくらかを
クーラーが効いた部屋で過ごしたことなど
恐らくなかったに違いなく

こうして語ることも
時間を過ごすことも
歴史上で
とてもかけがえのない時間であった

貴重な宝のようなときが時々刻々と流れていった
そこで起こっていることを冷静に考えれば考えるほどに
残り時間が幾ばくかしか残されていないことを思う

しかし
残念にも思わない
悔みもしない
怒りも憤りも湧かない
もうどうだっていいのだ
感情や感動はそのうち尽きるのだ

そこにある一つの出来事を
ひとつのモノとして私は話に耳を傾けている

🌱

姉は生まれて一年ほどで亡くなった
今の時代ならば間違いなく生きていたのだが
栄養のあるものを食べされることもできず
病気になっても治療もできず
誰もが死なせてはいけないという行動も取らず
そんな心も 必要以上に持たないし見せもしない

とびきり貧しかったわけでもなかったが
この家系の家族がフルセットで同じ屋根の下に
暮らしているのだからというのも遠因ではあろう

父には弟が二人、妹が一人、姉が一人いる
これで五人
父(私の祖父)がいてその人の妻(祖母)がいる
さらにもうひとつ上のばあさん(曽祖母)が寝たきりでいた
それで三人が追加となる

母を入れると九人が暮らしていたわけで
しばらくして、義姉がお嫁に行く
そこで子どもができて
一人目の子を死産させて
二人目の子の時にお腹が大きくなって帰省する

秋に生まれるというので夏ころから
家に居座ったそうである

それが私の姉の誕生の時期と同じであったのだ
(母も同様に同時期に第一子を流産していた)

母の話の大事なところはこの先だ

🌱

「ねえさんは大事にしてもらっていた」

母はそう話してくれる
もちろん姉さんはそんな優遇のことは考えたこともないし
今でも知らないままだ(姉さん=私の伯母さん)

妹が家事や食事を取り仕切り(妹=私の叔母さん)
姉の食べものは最大限に手厚くしていた
(もちろん自分も都合よくしていた)
弟たちにも心配りをして食べさせた(弟=私の叔父さん)
高校生だったからたくさん食べたという

母は農作業にも出た

夏から秋にかけては農家の一番大切な時だ
お腹が大きくて赤ん坊が今にも生まれそうでも田んぼに出たし
生まれてからも娘をほっておいて仕事をさせられたという

「ねえさんは暖かい縁側で大事にしてもろて本読んだりしてたわ」

テレビドラマの残酷な話そのもだが
まさにそんな状態が
子どもが生まれるまでから
生まれてのちも一年間続いたのちに
私の姉は肺炎で亡くなったのだ

帰省して手厚く迎えてもらっているねえさんは一人目を死産
私の母は同時期に流産をしての二人目だったのだが
今では信じられないような差別的な暮らしだった

🌱

母は怒りも見せず
悲しそうな顔もせず
淡々と振り返りながら
あのころを話す

言い終わっておかなければ死ねないとでも考えたのか
いつまでも自分の中に置いておいても仕方がない
と考えたのか

その話を聞くと
母が言い終わってそれで尽きて
死んでしまうのではないか
とさえ思えてくる

処暑
処暑

父が亡くなって二十年以上が過ぎる
一人で二十年は長いと思う

わたしのツマは
姑が二段構えで生きていて
おまけに夫の兄弟妹まで住んでいて
さらに私の父は小さい時に耳の治療を怠って
耳がほとんど聞こえなかったという苦を患っていて
そんな苦とともに四十数年一緒に生きてきたのだから

のちの二十年の間に
孫にもひ孫にも恵まれて
のんびりと農作業を愉しむように暮らしてきたのだから
それはそれで幸せであったのだろう

今さら怒りを思い出したくもないのではないか

父が亡くなって十七年ほど後に
生前に植えた杏子の木が真っ赤な実をつけた

私はとても嬉しくて
ブログなどにも書いたけど
母は淡々と
今年は成らんだなあ
と言ってお終いだった

このマイペースの幸せがとても大事なんだろう
そのときはコロリと逝けるようにと切実に祈っている

秋の田の刈り穂の匂いや処暑の風 裏窓から・処暑篇

もうそろそろ夏のお野菜とかが終わって
お鍋の季節になるなあ
と二人で話していたのですが

まだまだ暑さは続きますが
気温が高い割には
風は爽やかです

散歩をすると
秋の田の刈り穂の匂いがします


二十四節気にあわせて
【裏窓から】シリーズをもう何年も書いてきて
これも下書き感覚で書き始めましたが

できごとの少ないころであるとか
思いの湧き上がる激しさの緩やかなころとか
感情に凸凹のない自分がいるときなどをみてきて
いかにも私は周囲の人とともに歩んでいるのだなと痛感する。

お盆が過ぎてヒグラシやミンミンゼミの声が
ひときわ遠くから届いてくるような気がするのは
セミが増えたとか風が吹いているからという理由ではなく
私が秋を待っているからなのだと思い直している。

夏バテをするわけでもなく
痩せることもなく
胃腸もしっかり暮らしておれることに感謝する。

この夏になってから二人も
癌に罹っていたので…と知らせが届いてきて
返事のしようのない無力を感じている。

母はオウム事件のころに大腸癌を切除した。
その切除片は途轍もなく大きなもので
全部の腸を切ってもこれほど大きくないのではないかというほどの塊が
褐色の血まみれでトレーの上に置いてあったのを憶えている。
6人部屋の5人が数ヶ月の間に次々と死んでしまったあのときに
母は自分が癌だとは知らずに手術を受け
あれから現在も生きながらえている。

癌は不治だという時代は過ぎたのだが
どうしても、ハイと素直に頷けない。

暑さは次第に緩やかになってくるだろう。
焦げ付いたコンクリートの蜃気楼とも
サヨウナラをしたい。

人生も第四コーナーを回ったら
粗食を続けるに限ります。

と言いながら、お酒はやめてないのよね。

機嫌が良くて気分も爽快で
酒が旨いときしか飲まない
という人生哲学で生きているのです

毎日飲める暮らしに感謝しています。

▶ 処暑もすぎ焦げ付いたコンクリートの蜃気楼ともサヨウナラをしたい