欲張りに書きましたが
タイトルの通りのことを考えていたということかな
1
父が亡くなったのが六十六歳と十ヶ月であり、そこから五年を遡ると六十一歳と十ヶ月である
令和元年の終戦の日はまさにわたしが六十一歳と十ヶ月を迎えた瞬間で、つまり後五年ちょうどでわたしは父の年齢に追いつく
それゆえ、五年という月日を一日一日丁寧に着実に考えながら生きてゆかねばならない、とそんなことを考えながら
この五年を充実した日々にすることが父を超えて生きてゆく者の使命であるのではないか、と考えた
父は死ぬ六年ほど前に脳梗塞で倒れており、今のわたしのように自由な暮らしではなかった
だからこそ わたしは健康であるがゆえに、この人の分もしっかりと生きねばならない
さて、その五年前にあたる今年の夏である
わたしは孫たちと京都を訪ねているのだが、お盆のお墓参りであるから特に記録することなどない
孫一号はおしっこがときどき言える三才五ヶ月、孫二号は十一月で二歳になろうとするときで言葉はまだ話せない
2
孫たちの父さんが五十日ほどの長い研修で缶詰にされている間、母と三人で我が家に転がり込んでいる
我が家は毎日お祭りとお祝いと地震とが同時に来たくらいの騒動となっていた
処暑が過ぎて九月になると研究も終わり普段の家庭に戻るのだろう
我が家にも静かな夜が戻る
3
処暑を迎える夜にあれこれと思い浮かんで来たことがあった
音楽を聴いたむかしのことから思いは始まってゆく
あのころは、音楽を聴くために給料1ヶ月分ほどをスピーカーにつぎ込んだり 、別の月にはアンプを買ったりしている
部屋は一間しかない貧しい暮らしであるのに、贅沢な条件でオーディオ機器を揃えて愉しんだ
そのことだけを今の人と比較すると、iPod 一つで済ませている時代の音楽は安っぽく薄っぺらいようにも思える
4
時代に連れて変化したパラメータは数多くある
聴く場所を選ぶことなく、簡単にパーソナルに聴く便利さがある
音楽を入手するダウンロードが容易で便利になって身近である
曲のジャンルが広がり、個人の好みもそれにつられて様々になって自由さが溢れている
音楽のPRの方法も宣伝媒体も変わってきた
ミュージシャンが遠い人からすぐそこの人のイメージになってきている
他にも挙げればいくらでもあろう
5
マランツのアンプによって増幅され、ダイアトーンのスピーカーから音が出てくる
そのようなサウンドに酔いしれる人は数少なくなったのだ
6
時代が変わったことを考え続けながら、身近な暮らしの中にも、姿を変えてしまった文化があることを思う
キャンプを楽しむ人たちの考え方もその一つであって、不便さや異空間を求めようとする昔のような思いは殆どなさそうだ
7
谷に水を汲みに降りて重いバケツで水を運ぶ
焚き火のためにマキを集めるために周辺の森の中を探して回る
マッチを擦って火を起こす
煮炊きは決して便利ではなく、道具も整わない
明かりは電気ではなくロウソクを使ったりする
楽しむ人々も電気製品などは不要だと思い、ラジオや電話から離れて時間を過ごそうと考えた
暑さ寒さも愉しみのうちで、その対処方法も自然と寄り添って工夫をした
8
ニュースで、コンビニ24時間営業の問題や悩みを報じていた
そんなことは源流に遡って考えていけば素直に見えるはずだが、そこはなかなかみんなの意地があって素直にゆかない
少し不便になったうえでその不便を体感しながら工夫をするという姿勢が大事であって、コンビニが深夜や休日に閉まってしまってどうするかを本質から見直すべきだ、というと恐ろしいほどに反発を食らう
9
オーディオの音(サウンド)のことも、野外を楽しむ話も 、便利さに満たされた人たちにとっては、受け入れる器がないのだろう
だから手っ取り早く、逆戻りをするような話としてしか受け止められず、「時代遅れ」という範疇に分類してしまう
「時代遅れ」としか決めて掛かれない器量の方に心配が募る
10
時代が進むと文化が進んで、便利になって不満がなくなってストレスも対処して幸福な暮らしが実現できる
だが
プラスチックごみやマイクロプラスチックの汚染が進めば、生物界・自然界にも大きな影響が出る
汚染された環境に生息する生き物を捕獲して食べたりすると身体に環境汚染が浸透するという弊害が出始めるだろう
地球は温暖化を微妙に進化させていることは明らかになりつつある
人類はニンゲンの知恵であらゆる異常に立ち向かい大きな課題を解決してきているのだが、源流まで戻るという勇気は持てないままだ
ニンゲンのプライドなのだろうと思う
やがて、不便さとか不満足という状況を表す言葉をヒトは失っていくことになって、それでもヒトは自分たちは賢くてそれ故に幸せだと思い続けるのだろう