如月や猫の背中の温もりを手のひらで撫でて春を待とう ✢ アブレーションを終えて ❄︎ 節分立春篇

順調に二月を迎えることができた
節分・立春という言葉を耳にすると ウキウキする
恵方巻きを食べて 麒麟百年 を飲んで夜を過ごす(三日)

❄︎ 読み返して
❄︎ 思いつくたびに書き直します
❄︎ 刻々と変化する日記 ✦✦


如月

『如月』という呼び名はなんとも言葉で表せない優しさがある一面、思わぬ厳しい寒さを振り翳して容赦なく襲い掛かってくることもある

おいそれと好きな季節だなどと書き出してしまうと 自己矛盾に陥ってしまいかねない

二つの顔を持った季節であるゆえに 名前まで気に入ってしまうのかもしれない

「ひなた」に ありがたみを感じながら一年で一番寒い旬を過ごしている

節分と立春の暦をこうして捲ると 魔法の杖を一振りするのように心が和らぐ

優しい言葉の響きと共に「きさらぎ」とかなで書いて 春を待とうという決心できるのかもしれない

大きな不安を抱き 自分の行く道をひとつずつ自分で決めていく手応えを感じながら日々を暮らしている

❄︎

人生

一月末に四日間の心房細動アブレーション手術を終えて また新しい1コマへと一歩進んだのだと自分に頷いている

長い人生であるから故に進行方向が前に向くこともあれば後ろ向きになることもある

「三歩進んで二歩下がる」と歌った人の心が 歳を重ねるにつれて染み染みとわかってくるのが 些か気恥ずかしい

『人生』という言葉にも 大仰しく重みを感じてここまで生きてきたのであるが 六十五歳のコーナーで舵を切ったら いつの間にか日常語になるつつある

この変化に薄々気づいて 周囲に打ち明けても 反応するのは年上の人ばかりで 改めてそのことに「なるほど」と納得するのだった

「人生」の説法は お釈迦様の講話に任せるのが良いのだと教えられたわけだ

「人生」を語るのは面白い

❄︎

二十歳前の若者の半数以上が百歳になるなるまで生きると言われている時代だ

そこで 高齢者たちが語る「人生というもの」も 世代を超えてやがては変化していくことになる

そうなると 生まれてから死ぬまでの時間の大部分を占める「働いている」期間を生きるときに その未来の生き方や暮らしの姿を想像する様々な基本が新しく変化していく

ステージが大きく変化をしていくなかで それに伴い 毎日を生きていく姿勢や心構え、夢までもが 想像以上に変化するだろう

(つまり 考え方が全く違ったものになっていくだろう)

夢というものは前例のないものであって 新しい根っ子の上に生まれてくる夢は想像を超えたものとなって出来上がってしまうかもしれない

それこそが本当の意味での夢である

❄︎

時代が生む新しい「人生論」にやがては飲み込まれていってしまうと分かっている

しかしながら 今の人生を語っておきたいと思うのは いかにも古い人間のすることだ

歴史はうねるように進化し また繰り返す

新しい海には 新しい船新しい水夫が 漕ぎ出すのだ


月のはじめに考える

一月の最後の四日間でアブレーションの手術を受けた

健康を真剣に考える機会は誰にも普段から増えていると言えども 真正面に『刃』をたてられたら幾ら呑気に生きてきた人生であった自分であっても 流石に背筋を伸ばすのだった

まだ死ぬとは思わないが 現代の健康医学に疑問ばかりを投げているのではなく 少しは自分の生命も考え これからどのように生き延びるかという その姿勢を考えねばならないと 悟った

誰も『苦言』も『小言』も『助言』もくれない

それは即ち 六十五歳を過ぎれば 誰もがみんな 真剣勝負だからだ



二月初旬 短信 ❄︎ アブレーション その後 節分・立春篇 外伝

人生は紙飛行機のようなものか ー 春を迎える 立春・節分篇2 (裏窓から)

人生は紙飛行機のようなものか ー 春を迎える立春・節分に考える

節分を過ごして
春を迎えている

毎年思うのだが
あれほど寒くて冷たかったのに

立春の便りを聞くと
日差しが暖かいと思うのは
いかにも 人間が人間らしい瞬間なのだと感じる

✩ ✩ 

立春の一日 せっかくなので ゆっくりと 答えの無いような事を考えているのもよかろう

たった今 死ぬとなって

一、それを無念と思うか
二、もう十分のやり尽くしたので満足と思うか

葉室麟 蜩ノ記  −−  言葉から

秋谷と慶泉和尚との会話に
−−− もはや、この世に未練はござりません
−−− まだ覚悟が足らぬようじゃ。未練がないと申すは、この世に残る者の心を気遣うてはおらぬと言っておるに等しい。この世をいとおしい、去りとうない、と思うて逝かねば、残された者が行き暮れよう

葉室麟 蜩ノ記

と小説で読んだときに『ハッ!』としたのを思い出す
上述の 一、と 二、であれば それまでは 二、が いかにもであったのに
未練』を持って死ぬということは 美しいことなのだと 思い直したのだ

✩ ✩ 

「もういつ死んでも構わない」と口癖のように呟く日々だ
しかしながら その本心は 自分でも見定めたわけではなく

まだ死にたくはない
アレがしたい
そう漠然と思っているので
それを明確化しなくてはならない

✩ ✩ 

ブログのどこかに書いたが
『恩返し』をしなくてはならないと考えている
六十年以上も楽しい人生を送れたのは 自分だけの能力ではない
きちんと恩返しをして 次の世代にその心を伝えておくことは必要だ


人生を考える機会が増えている
その理由は 明快で
①身近に高齢者がいて認知症の症状が表出していること
②自分が高齢者の仲間入りをしていることと

さらに 自分に
③人生とは 如何なものであったを考え、これからを考えることが多くなったこと
であろう

﹅﹆﹅

(人生は)
紙飛行機で『どこをどう飛んだか』というような シンプルなものでは無いのではないか

大空を飛べるような鳥になりたいと考えた時も 疲れて不時着する事態を想定しなくてはならない。思わぬハプニングで降り立った地表には恐ろしい敵が命を狙っているかもしれない

自由に飛び回って 華やかにスポットライトを浴びている時もある。注目を浴びてスターのようなこともあった。次々と打つ手が会心続きで 失敗の予感がしないこともあった

しかし 躓くこともあるし 失敗もある。騙されたり恨まれたり陥れられたり憎まれたり妬まれたりもしてきた。邪魔もされることがある。

自分の成功だけでウキウキしているわけにもいかなかった。自分の人生のその裏陰にあるさまざまな出来事や人の涙を知らぬ存ぜぬで済ませることもできなかった

『突然』『想定外』は付きもので、逆境や不運と背中合わせに生きて 憎しみ苦しい恨み辛み怒り、時には歓喜に満ちた日々を過ごしてきた

確率密度関数が捻じれて縺れるような筋書きを潜り抜けてきたのだ

残された事件は 癌に犯されるか 想定しない(あるいは心配した)病魔に襲われるか 痴呆になるか・・最も可能性が高いのは高血圧がもたらす脳障害だろうか

そう考えると 紙飛行機に乗って低空飛行を続けているわけにもいかないのだ

考えは果てしなく続く

立春篇 *


一月初旬から続いていた椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛の激痛が消えた

突然ではないので 完璧に忽然と消えるものではないです
しかし 日に日に和らいできたのが 今朝はどうやら安心レベルに達したと判断できる
その感触があるということだ(実際に二度寝の後の階段では少しまだ痛みがあるのだ)


* 書きかけ

思い出は自分だけのもの - 裏窓から 立春篇

ゆうべ珍しい夢を見た
オートバイで旅をしていたころの夢だった
どこかを旅していた

ただそれだけの夢である
今の時代の旅ではなく昔のスタイルの旅だった

今の旅のスタイルが十分すぎる点に寂しさを感じているから
考えることがあって脳裏に蘇ったのかもしれない

夏休みや黄金週間は 思う存分に走り回った
懐かしい

身体もヘトヘトになり十日間ほど心も燃え果ててしまうほどまで走った
東北と四国は 十年間に八回ほど行った八十年代が懐かしい


このごろ 思い出は 自分のためにあるのだと気づき始めた
だから 今思う存分振り返って味わってけばいい
そのあと潔く遺物として捨てた方が良さそうだ

残された人もそんなものは面白くも楽しくもなかろう
残っているものを受け取っても困るだろう


今からは 新しい思い出を作り始めなくてはならない
新しい時代に残してやる新しい思い出づくりだ

ジャパネットのタカタさんが言うように

「(写真は子供さんを撮るだけでなく)
お父さんお母さんおじさんおばあさんと撮ってください」

もう一生懸命に楽しんだのだから 次の世代に何かを引き継ぐことを考えねばならない
その一つが新しい思い出なのかもしれない


夢の中には 途轍もなく鄙びた村や山を走り抜ける姿が蘇る
しかしそれは 現実となって戻るものではない
やがて歴史になってしまえば それで終わりだ

。。。

。。。

二月三日は立春

🍇立春や胸さわぎする 不整脈
🍇立春に胸さわぎする 新予感
🍇立春やヨーイドンのドンでゆく

🍇節分や あなたが鬼でぼくも鬼
🍇節分や 勝っても負けてもキミは鬼
🍇晩酌に豆食うている鬼の果て
🍇春が来て何がうれしや花いちもんめ

節分 立春篇

節分も立春も過ぎてしもうた

朝刊の折々の言葉はデカルトだ
『一生に一度は、すべてを根こそぎくつがえし、最初の土台から新たにはじめなくてはならない』

誰にでも必ずと言っていいほどこの言葉には思い当たるものがあるのではないか

 

 

季節の初めに考える ─  節分・立春篇 裏窓から

月の初めに考える - 待ちながら海路静まる果てを見る  節分号
待てば海路の日和あり

そこには確信がなくてはならない
数々の苦難を乗り越えて克服し手応えのある確信を努力の果てに掴んだ人に言えることである

二月から失業者となり求職者をスタートさせた
その経緯(いきさつ)を語ったところでそれほどに価値もなくことが裏返るわけでもない
静まっている海路を眺めながらさてこれからというところだ

田中角栄の語録をさらさらと読んでいるとこの人の人間味のある言葉に出会う
珠玉の名言は他にも数々あるが

「いやなことは、その日のうちに忘れろ。自分でどうにもならんのにクヨクヨするのは阿呆だ」

という言葉に目が止まった

(🌱断筆再開)

昨今は便利な言葉があって「パワハラ」と言い放ってそれで終わりだ
わたしが仕事を逃げ出した根源はそういったものによると周囲はいうのだが
確かにそれは事実かもしれないものの対策を講じる力があればもう二ヶ月でも生き延びることができたわけでそれが惜しくて仕方がないと残念がりつつ怒りを噴出させる人もいる

(書いておかねば記録に残らず忘れ去れてしまい全く何事があったのか不明となってしまうので簡単に書いておくが、多くは書いても不毛だろうと考えている)

つまりは、パワハラな上司に愛想をつかして二ヶ月後の職務期限を待たずに
私の仕事は後の人にお任せしますので明日から休みます
といって強引に拒否してしまったのだった
早い話が業務の指示体系に不満があり強引に辞任をした形になってしまった

○○

豆を撒かなくなった節分に恵方巻きを食べて孫たちと夜を過ごす

誰が考え出したのか恵方巻き今年は東北東だそうです

巻き寿司作りはツマのワザ寿司飯作りは僕のワザ

🌱

先日お隣さんのご主人が亡くなった
六十九歳だったという
死因はわからないが定年を迎えて家に篭るようになってから体調が悪かった様子が伺えた
施設に入っていたのかもしれない
コツコツと定年まで真面目に勤めてきた人であっただけにまだ十年という年月が過ぎていないのに気の毒な限りである

ご近所のその隣のご主人も一足早く亡くなっていて七十歳を超えたばかりの頃だったという
そのお向かいのご主人も定年を迎えて新しい仕事を始めて出張で飛び回っている姿が元気そうだったのに突然であった

何年かの間に三軒隣のご主人が七十歳という壁と闘ったのだった

次は私の番なのだがと考えると
アホみたいにカラダに鞭打って
ヒトの顔色見て
ココロの奥を推測して
波風を立てないように
丸くモノゴトを納めて
ときには褒めてもらって一喜一憂している
そんな人生を
第四コーナーを回ったのだから
拒否して
ゴールのテープの前でコケてもいいから
ピースで駆け抜けたい

🌱

そういえば

中学時代の運動会の障害物競走で
一位でゴール直前に到達し
クラスの面々にピースをして愛想を振りまいていたら
足がもつれて転倒してビリでゴールをしたことがあったのを思い出す

 

牡丹雪別れの朝の1ページ ━ 立春篇 【裏窓から】

🌸 サクラサクあなたは都会の人になる
👹 手を振ってホームに消えてゆく二月
❄️ 牡丹雪別れの朝の1ページ

「裏窓から」シリーズにお越しくださってありがとうございます

二十四節気の日に思いを綴りはじめたのがいつのころからでしょうか
はじまりは日記を辿った彼方になってしまいました

「塵埃秘帖」や「雷山無言」と合わさったり離れたりしながら長い年月にわたっ
てやれやれと呟きながら書き続けています

二十四節気という周期がちょうど心地のよい時間の流れなのでしょう
こうして書き続けていられるのはありがたいことだと思います

自分を振り返りつつじっと考えこむ時間と季節が過ぎゆく間合いの調和がうまく取れているのでしょう

前年も前々年もさらにその昔も立春という節には同じようなことを思うことのくり返しです
60年を生きてきても代わり映えすることなくさほど進歩もせず今を迎えています

あらゆるものに過去があります
そこに後悔や反省はつきものです

今となっては突然優れた人物に変身できるわけでもありません
自分の足跡は人間の器に応じた人生であったのだろうと振り返っております

まだこれからも暫くはあれこれと考えたり悩んだりするでしょう
ときには失敗をしまた反省をする日々を送ることがあるかもしれません
しかしながら人生の最終コーナーをのらりくらりと愉しんでゆきたいと願っています

節分・立春のころに「裏窓から」シリーズに何を書こうかと考えはじめます
ですが、なかなか纏まってきません

ゆるくなった寒波がジリッと戻って牡丹雪を舞わせる朝がありました
そんな日は昔の辛かった朝を思い出したりしました

昨日までの纏まらないモヤモヤを置いてふっと立ち止まってみると
7日はムスメの結婚記念日だと気がつきました

結婚をして子どもができてその子が三月五日でマル一歳になります

数日前にわが家に来たときにはつかまり立ちの手を離してゆらゆらと数秒立っていましたから
今度来るときには一歩が踏み出せるかもしれません

昔ならば一歳までに歩き始めた子にはお餅を背負わせたのだと母が歩きそうにな
る姿を見るたびに呟いています

一歩を踏み出すことは目を細めて子どもを見守る大勢の大人たちにとって格別の思いなのです

紆余曲折から低空飛行の人生を送っています
人生に追い求める哲学って何なのだろうと考えることもしばしばあります
けれども近ごろは「これでいいのだ」と思うことが多くなってきました

胸に手をあてる 立春篇 (裏窓から)

▼ 鬼さんも泣きたい夜がたまにある

節分が迫ったころにふっとそんな落書きをして
ほんの言葉の遊びなんだと自分で自分に語りかけて
あるような無いような心当たりを手さぐりしている

世の中の鬼さんのなかには
さぞや寂しがっている鬼も多かろう
と思ったひとときだった。

泣いた赤鬼という童話を
子どものころに読んでもらい
人の(鬼の)優しさや友情、社会の中の正義と悪などを
噛み砕いた言葉ではなく
形にならない波動のようなもので子どもながらに
自分の体内に受け入れたときがあったのだ。

人にはそういう敷居のない心や受け皿がある。

鬼には鬼の事情があったのだろう。
その物語を受け入れる側が熱ければ熱い物語になるし
冷めていればサラリと終わることになるかも知れない。

野球界の名選手だった清原氏が逮捕されて、
ニュースがざわざわとしている。

もっと昔には、
江夏投手だって同じ罪を犯して刑罰を受けている。
シャバに戻ってから
「江夏」の名前がタイトルに入った本が出版され
彼は事件と犯罪のことにも触れている。

社会に大きな影響を及ぼす力を持っていた人であったのだから
そして社会の大勢に背中を押してもらって称えられて生きてきたのだから
彼らはこれからの社会に恩返しをしなくてはならないと思う。

そう自らが再び決意をして行動を起こさなくてはならない使命を持っていると私は思う。

これまでの数々の闘いはさぞかし厳しかったことだろう。
目標に向かう道のりは想像以上に厳しく孤独で淋しいものであったのかと思う。
孤独と向かい合わせになっていたときの誰にも言えぬ感情は計り知れないものがある。
それらのときの勇気であるとか闘志、あのころの真摯な姿勢や心を忘れたわけではあるまい。

人は熱くなったときのことをそう簡単に忘れられるモノではない。

憎しみ然り、喜び然り。
あるときは怒り、哀しむ。
必ずや再起を祈りたい。

恩返しということについてはこれまでにも何度も書いてきた。
誰であっても、たとえどんな貧乏人であってもどんな大金持ちであっても
人生の最大の使命は恩返しをすることだと私は思う。

自分だけで幸せがつかめたわけではないし、自分の才能だけで走り切れたわけでもないのだ。
静かに胸に手を当てて考えてみなさい。