布団一枚干して寒露の朝を待つ - 寒露篇 裏窓から

布団一枚干して寒露の朝を待つ

寒さが一段飛び上がったようにました
二、三日でこれほどまでに朝が冷え込むようになるものか

#秋を待つ
じっと秋を待っていた九月の末ころの残暑が全く嘘のようだ

気象データの記録を何年か昔まで調べると なるほど十月になると途端に気温が下がる日が増えている
八日(日)は #寒露

❄︎

八日は寒露だから 寒露篇 は 朝を迎えてから考えよう


🍄 朝焼けや寒露の海を焼き尽くす

#寒露
#朝焼け

✴︎

寒露の海を焦がしてゆく
夢のような物語が浮かんでくる

熱さを肌に感じる

空模様は下り坂で
言い訳は許さない

断崖から見下ろす大海原

✣✣

🍄 寒露待つ茶器に迷うた日暮れかな
#寒露

✣✣

🍄 布団一枚干して寒露の朝を待つ
#寒露
#秋を待つ

こんなことを 纏めてインスタやmixi に書き残している
死んでしまったら どれが自然消滅するのか 全く予想がつかない
みんな一斉に泡となって消えるのか

布団を一枚 少し夜中には暑いと感じたものの それもやがてカラダが 馴れるだろう

仕事をしていたときは 毎朝 駅までの道のりを歩く中で 道端の草木に朝露がつくのに気付き さらに空きが深まれば ひつじ田に霜が降りる朝をみて季節を感じた

今は毎日が のんびり 朝寝の日々だ

心配事といえば数日後に控えた 『二十四時間心電計装着』の診断が迫っていることくらいか


寒さが突然やってきた ー 寒露篇


八日 寒露

六日の朝にブルっと寒さがきた
平年よりもかなり寒い朝になったそうで 北海道や高いやまで初冠雪の便りが届く

体調日記としては、その何日か前から六千歩ほどを歩けるようになって
日没のころに出かけるようにしている
腰のストレッチ体操も 少し効果が出ているのだろうか

十日はスポーツの日で寒露(八日)から三連休である
孫っちたちはアウトドアの二度目のイベントでお出かけで
二日目(九日)に朝から小雨に見舞われたようだ

* 続きを書こうと思っても
* すっかり落ち着いて考えなくなったのを
* 嘆きながら
* 筆は中断

雲外蒼天 - 寒露篇 (裏窓から)


藤井聡太棋聖が 就位式で揮毫に「雲外蒼天」の四文字を込めた(十日)
実に爽やかな風を送り込んでくれる

秋の空には巻雲が散らばりその向こうは青空である
夕暮れに散策の途中でジェット機の尾翼に連なる白い雲を何度も見ることができる

。。。

九日の夕刻 六時を過ぎた時に
西の空から東の空へとゆっくりと飛んでゆく宇宙ステーションを見ることができた
高知県のはるか上空を日本海の方角から太平洋の方へと移動しているそうだ
一番明るい星ほどの明るさでゆっくりと移動してゆく

🍎

増殖版の日記のテーマが思いつかなくて思案に暮れていた(八日が過ぎた頃)
だが「何も無理に書かなくても」と思いほったらかしにすることにした

ほったらかしにしてあるのは「何も考えていないのに似ている」
しかしそうでもないかもしれない
碁盤に向かって『次の一手』 を『会心の一手』で打ちたいと 考え続けたころがあった

🍎

人の考え出した無機的なもの

ヒトは 知恵があってモノを考えて作り出す
面白く楽しく役に立つ物が次々と生まれてくる時代である

・家の隅々まで綺麗に掃除をしたい、片付けたい
・手間がかけずに簡単に料理ができて美味しいものを食べたい
・寒くなってきたので簡単に体が温まって快適に暮らせるポカポカグッズが欲しい
・何でもかんでも あれがいいなこれが欲しいな と思えば物が出来上がって欲望は満たされる
・身の回りには便利なものが溢れている
・要らなくなったものは断捨離で廃棄する
・メルカリで始末する

私たちの暮らしのカタチは このようにヒトが考え出した方程式の通りに完成されてゆく

。。。

さて
そこで身の回りを見れば縦横計算通りのもので満ちている

時計が狂ったら直さねばならない
・水がなくなったら買わねばならない
・雨が降ったら傘をさす
・夜になった明かりをつける
・寒くなったら暖房器具を準備する

縄文時代まで遡れとは言わない
だが 私たちの本来の暮らしとは何だったのか
そう考えて初めて実践してみようと思い立ったのが野営のスタイルで旅をすることだった

ところが今は災害から生き延びるために野営暮らしが(レジャー化されつつ)
日常の便利ツール(災害対策)に取り入れられている
本来のやり方を考察していた立場から言えば 便利手段を遊びで横取りするなと言いたいところだ

・長い坂道を降りて谷の沢まで水を汲みに行く
・火にする薪は キャンプ地周辺を這うように歩いて回って探してくる

そういったことは 一番最初にする必須項目だ

つまり便利生活(暮らし)をする方程式を編みだす前には数々の苦労や工夫があった
人はその苦労を超えて来た
だが これを楽になるように改良し簡単化したキャンプツールが生まれる
これはヒトが便利道具を使い始める前の工夫の結晶だったことになる

科学の力で暮らしが快適になってゆくことは 素晴らしいことだ
しかし 完成された備品には 縦横に縛られた窮屈さがあるのではないか

満員電車に乗って仕事に出かける
休日にはショッピングかレジャー施設に出かけて 美味しい食事を楽しんで帰ってくる
そういった暮らしに疑問をいだく人が 決して少なくないのだ

📍 ポツンと一軒家

そんな高視聴率のテレビ番組がある
ポツンと一軒家の人たちは 鄙びたところで暮らし
その暮らしを とやかく「不便だ」とは言わない
なかにはこれまでの人生に黙って幕を引いて 新しく不便を探し出した人もある
事情は様々だろう

『筋書き』はどんな暮らしにもあるはずだ
しかし 「ポツンと一軒家」の人たちの『筋書き』に 違った色があり 全く違う質を持っている
使用者はそこに共鳴し惹かれてゆく

必ず幸せが待っているわけでもないのだろう
みんなが口を揃えたように「幸せはヒトそれぞれの捉え方や物差しの違いの結果なのだ」という

エンディングノートに何を書くのか ー 寒露篇 裏窓から

十月八日 寒露
ひんやりとした朝になった
台風14号が接近しているからだろう
➡️ 十月上旬号 台風14号 その後さらに接近中


エンディングノートという冊子を市民向けに市役所が配布しているそうだ

そのことをニュースで知りそろそろ何かを書き残して行く準備をしなくてはならないかと考えた

どんなことを書くのか
あれやこれやと考えているとまだ簡単に死んでしまうわけにもいかない


手帳にメモを書いたので書く写すことにした

言い遺すこと言葉などない

ムスメには結婚のときに「なかよく」と書いたがそれですべてである

これに言葉を足すこともなければ不足もない

「人生は糾える縄のごとし」

まさにこの言葉の通りであり、日々縄たどるように生きているのだ

人と接する縺れ具合を確かめつつ、解くも固く結ぶも自らの意思と行いに左右されるだろう

運もあろうが縄を手繰るのも綯うもの自分である

縄とて元々は稲藁であり、所詮その程度のもの

考える葦と人間のことをパンセがいったが、縄にもその何かが似たような点が通じる気がする

控えめなスタンスでいること、踏み出すときには自信を持って確実に踏み出すこと、着地点をしっかり見ながら歩むこと、が大切だ

私が書いた「なかよく」という言葉は、何かの思考に役立つものではない、しかしながら必要不可欠な条件であることはわかろう

どんなときでも柔軟で大局的な視点を持ち瞬時には自信を持って手が打てるための条件として、なかよく誰とでも協調している自分の姿こそが武術でいう「正眼の構え」のようなものだ

したがって、遺す言葉などなく特になく、次の世代の人に伝えたかったものは一つの姿勢のようなものであったことをじっくりと考えて欲しい

時代は何百年も昔の歴史時代から昭和(戦後)へと大きく一気に変化した

それと同じくらい激しく令和へと変化をしようとしている

古い水夫は新しい海に出る船を操ろうとはしない、海とはどんなものなのかを伝えるだけにとどめたい


そんなことを書き留めたのだが、実に面白くない
これでは誰も読まん



エンディングノートには

第一章 伝記篇
第二章 遺言篇
第三章 語録
第四章 雑記

など分けて考えて見たいと思っている

この上段に書いたのは「遺言篇」に当たるところの草稿のようなものと言えるか

生きているのだから日々ころころと変わって(進化して)良いのではないか

サンマ5号を食いながら西東三鬼を読む - 寒露篇 (裏窓から)

寒露篇
十月八日から寒露の節に入る

そろそろと夏の暑さが引きそのように影を潜めて秋の気配が漂いはじめて
九月には秋らしさのちょっとした歓びを見つけては一喜一憂をしていた

彼岸花、萩の花、サンマ、運動会などなど

台風もむかしならば夏から秋にかけてであったのであろうが、地球温暖化が叫ばれてからそうとも限らなくなってきた

ちょっと前に来た台風15号に続いてまた台風19号が襲来する週末になりそうである


六十二歳
西東三鬼を読み終わって一息をついている

1900年から1962年までを生きた彼のような人が書き留める作品である
舞台は神戸
人間は人生で一番イキ盛んな頃を突っ走っている泥臭くて汚くて一途で悪くて善良な戦中を生き残って来た人たちである

林芙美子の浮雲を並行して読んでいる
ここにも戦争で焼け野原になった土地の上に生えるように生きている人々が登場する

西東三鬼も戦中をくぐり抜け戦後の混乱を生き延びて来て戦後に差し掛かったところでストンと人生を終えた人である

昭和三十七年にこの世を去らざるを得なかったときに六十二歳であった
ぼくはそのとき五歳
そしてあと数日で六十二歳である


人生はクローズアップで見れば悲劇だが,ロングショットで見れば喜劇だ
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

西東三鬼「神戸・続神戸」の解説で森見登美彦がそんな言葉を引用している
チャップリンの言葉だそうだ

かくして、ようやくおぼろげながら判ってきた執筆の目的は、私という人間の阿保さ公開することにあるらしいのである。だから、私のくだくだしい話の数々は、何人のためのものでもなく、私にとっても恥を後世に残すだけの代物である。しかし私は、私が事に当たるたびに痛感する阿保さ加減を、かくす所なくさらけ出しておきたいのである。(「第九話鱶の湯びき」冒頭から)

ただの凡人の私が書けば屑かごに棄てられる運命の言葉も然るべき人であれば歴史に残せるということだ

その辺にある白い紙に

熟れ柿や赤い日暮れに沈みゆく
かげふみで遊び疲れて秋の暮れ
ふゆ柿や 軒の日暮れも賑やかに

と書いてみるものの
やがて消えゆくのだろう

六十二歳を目前にしながら何事もなく淡々と
ぼくのおとやんのように体調を患うこともなく

毎日「貧しいなあ」とばかり呟きながら生きている
恩返しができなかった人には申し訳ないとしきりに反省しながら


メモの最後にあった一節を貼っておく

恋に破れ十七音の旅に出る
鰯雲あれが私の遺言や
夕暮れのあのひとことで恋実る

赤い実のその名を聞いて

ぶるっと一回ふるえて冬を思い出す 寒露篇 (裏窓から)

10月8日は寒露だった

少しずつ夏の暑さを忘れ去っていく

冬の寒さが忍び寄る
ぶるっと一回ふるえて冬を思い出す

このごろ

滾る 漲る 迸る

という言葉を考えている日々が続く

🌱

サドンデス(sudden death)という言葉が
じわりじわりと迫って来る

けれどもそれほどの恐怖感はない

恐れているわけではない
しかし
覚悟ができているわけでもない

🌱

礼を欠いたままの恩人がたくさんある
私の人生の舵を切ってくれた人もある

音信の途絶えた人もあれば
先に逝ってしまった人もいる

💦

やり残した・・・感も少しある

サドンデス(sudden death) 寒露篇 裏窓から

秋分から神無月を迎える時期に色々と思っている

其の一つに

🌱 サドンデス(sudden death)

これはジョーダンで語れるものではない時期に差し掛かってきた

祖父も父も六十五歳と六十六歳でこの世を去った

叔父もまだまだこれからというときに病で倒れて再起を図る前に逝ってしまう

顔がそっくりなように性格もよく似ていた

似ていることに薄々は気づいて大人になってゆくのだが
父が死んでからそのそっくりなことを確信する

たった十八年間しか同じ屋根の下では暮らさなかったのだし
とりわけ突っ込んだ対話をしたわけでもない

いわゆる親子で飲むことを愉しんだことも数えるほどだった

だが確実に似ていることを確信する

何故に似なくてはならないのか
同じ血脈であるのだからだ

だから身体の弱さもよてもよく似ている

ヒトは万能のように見える科学が支配する時代になっても
天地人のさらに向こうにいる神が与えた滾るものを簡単には変えることなどできない

やがて確実に来る サドンデス(sudden death)

待ち遠しいようで
怖いもの見たさで待ちわびるようであるものの決して歓迎はできない

負けないようにしておくつもりでいるが
勝てないだろうと思う、血脈には

木曽旅情庵 その2 ─ 寒露のころに考える

考えてみれば
失うことの連続であり
人生の第4コーナともなれば
新しいことなど
もうこれ以上に起こらない

旅情庵という宿へは
もう行くことはなかっただろうが
営業をやめてしまったことは
わたしの旅のひとつのカテゴリーに
ピリオドを打った

旅情庵に何度も泊まりに行き
信州の山々の雄大な風景や
目がさめるような秋の紅葉を目の当たりにし
大きく息をを吸って
元気な自分を取り戻そうとしていたのだろう

ちょうど十月の今ごろ
地図も持たずに
新品のオートバイで
乗鞍高原へと
鉄砲玉のように
走っていったのは
1982年10月の連休のことだった

三連休の一日目に仕事が入って
不平不満の気持ちで仕事に行ったときの気持ちの
記憶だけが強烈に残っているものの
あくる日に高速に飛び乗って
何も調べもせずに
ただ信州の方をめざすという
爆発心のようなものだけで
でかけたのだ

だから地図もなければ
宿の手配もしていなかった

あれから
信州の虜になり
木曽街道や中山道に夢中になり
秋の紅葉、初夏の新緑に
食べて走って湯につかって泊まって
という冒険のような旅をしてきた

旅情庵はそんな遊びのひとコマで出会った宿で
全国数々のユースを駆けまわったなかでも
飛び抜けて贔屓にする理由を
しっかりと持っていた宿だった

風呂に入れば窓から御嶽山の峰々が見えたし
窓のすぐ下には鄙びた田舎の山畑の景色があった

宿の建物は古くて
歴史を肌で感じることのできる味わい深いもので
タイムマシンに乗って
半世紀を飛んできたような安らぎの空間だった

ねこが
どっしりと
ふつうに
静かにいて

写真もスケッチも残していないので
わたしの記憶が老化とともに過去を捨て去る

それと一緒に消えていく記憶のひとつだ

それでいいのだ