はじめに
城君へ
元気でやっているようですね
著中お見舞い申し上げます
おおかた手紙を書いてから長くなってしまったことを苦笑いしている
手紙の最後になって「はじめに」を加筆している
子どもの話とか、家族の話とか
生きがいの話とか
友達同士が集まったらするような詰まらない話とか
あまりできる機会がなかったので寂しく思うが
知っている範囲で勝手にその後を想像している
三千記事以上の膨大なブログを書いているけど
特に誰にも伝えていません
読みたがるような人など誰もいない時代なんだと思います
自分のことと家族のことと日々の楽しみを満喫するのに精一杯
多くの人がそれで豊かさを満足している
十年間に渡って公式に県庁から発行してきたメールマガジンの巻頭言も
バックナンバーが頭の方から次第に消滅していくので
そのことを寂しく思う一方で
読者として熱心に意見をくれた人たちとの繋がりも消滅してゆくの
人生というものはそんなものなんだろうと納得したような気分になっています
手紙など出したら
明日死ぬかもしれない
というようなジンクスも囁かれそうな年齢になって
いよいよ、父や祖父の享年まで後三年と迫ってきた
1
ずいぶんと長い間手紙を書かなかったように思う
もう誰にも手紙など書くものかと心のどこかで腹を立てていたときもあったからだろう
話せば長い事情もある
2
それをさておき勝手にまた手紙を書く
社会的にも立派になった皆さんにこの世の果てでどん底の暮らしをしている僕のような奴から手紙を届けたところで
それが助けを求めて書く悲鳴ならばドラマか笑い話にになるかもしれないところだが
(別に意地を通しているわけでもないのだが)
なんとか死の淵からは救われて居るので
それが今のろころ意地を通しているみたいみ見えるのであるけど
格差社会の底流で生きている
3
前置きが長いのはいつものことだから許されたい
手紙を書くことにしたのは純粋に懐かしいから書いております
昔と変わっていなければ多分受け取って読んでもらえるだろうと思っているし
変わっているわけがないとも言うても大丈夫だろうとも信じている
4
みんなが競争社会の中にいて自分が一番で飛び出すことを策略しながら生きてきた時代を走り抜けてきた
その始まりの頃の段階(二十歳の頃)で偶然にも何の利害も考えないで出会った仲間だった大学生であった僕たちだったが
だが性格や生きる哲学は著しく違っていたのだろうと回顧しながら
そんな奴らが友だちになれたのは幸せなことだったと今になって喜んでいる
けれども、実際にはバラバラで音信不通の者もいたりするので、それは運命かもしれない
5
社会出た直後はある種の矜持のようなツッパリで生きてゆこうとした
競争意識や出世意識や人生にかける夢などが肌身に漲っていたのだと振り返っている
同僚だった(学生時代の)仲間たちもお互いを「糞食らえ」と思っているかのように散り散りになってゆく
四十歳過ぎくらいまでは無我夢中という言葉が当てはまるような時期もあった
社会が刻々と変化してゆく流れに追従するだけの知力と才能が僕には足りなかったのだろう
いや、その足りないという事実に気づくのが遅れた自分(いつまでも走りきれると思っていた自分)であったことが失敗であった
社会からスピンアウトしてみて古巣になった島々を遠くから眺めていると見えてくるものがたくさんあった
あんな努力やそんな夢などは阿呆らしいものだったと気付き始めたときに、初めて違って見えてきたものがたくさんあった
島に残って成功をする者もいたのだから明らかにこちらは落伍者であり漂流者であったとも言える
大企業というものや長いもの、大きいもの、強いものにヘイコラする生き方に激しく反発していたから子どもの未来での失敗は許されない
しかし親としての発言力はすっかり衰えている
反面教師にもなってい中たのだろう
とりあえず子どもは軌道に乗せたし結婚もして子ども(孫です)もできた
6
友が、あるいは、貴君が遠い友だちのように思えることがあって
手紙が書けなくなったことがある
でも、こんな時にこそ話を聞いてくれるのがアイツではないのか
社会が求める人ではないのか
と誰に問うこともできずに手紙を書かない日々が続くのだが
7
まとまらないのだが
静かに考えるようになっている
地位とか名誉とか金とかを追う一方で
人間関係の間にもそういう物差しを当ててしまっていた
友だちと付き合いにもそんな悪い物差しの使い方をしてしまっていたかもしれない
でもある意味では裸一貫で社会から放り出されたときに
学歴とか地位とか身分とかは過去のもので(そうでない人もあるけど)
肩書なしの名字だけで呼ぶ社会(年齢)に(特に地域では)なっていることにも気づき
違った考え方や生き方であっても対立することもなく日々を暮らすことを目指せた
だったら大学時代にせっかく友だちになった仲間たちよ
幸いにも?考え方も違うのだから今になって肩を並べれば
仲良しになることはなくとも
広い範囲に散らばった様々なタイプの人たちを
見渡せるチャンスが埋めれるのではないか
異種の生き方の交流にもなる、と考えた
学生時代の友だち、中学や高校なら
もっと純粋に人間として素っ裸で付き合ってきた時代の友だちだから
尚更、人生の第四コーナーからを肩を並べれば
静かに話ができるのではないかと思ったりしたのだった
8
そんなわけで幾人かに便りを出してみた
音沙汰のなかった(手紙を書いても返事もなかった)友だちもあった
静岡県の電話番号検索をすると名前からヒットしたので手紙を書いた
しかし、返事は返っては来なかった
どう思っているのかは全く不明
今さら手紙なんかと思ったのか
大きく出世をしていわゆる立派になったのでもう今さら昔の友なんてと思ったのか
僕の想像していなような事情のある暮らしをしていて、アホな奴には関わりたくないと思ったのか
単に「面倒だ、今はそんなにアツイ人間をやっていないんだ」と思ったのか
9
手紙を書けば友が減ってゆくのも辛い
(返事がなく音沙汰が消えてゆく)
しかしそれも宿命と思う
一年間、予備校の寮で辛くて苦い日々を共に暮らした仲間の一人だった奴も
鹿児島市内で立派な整形外科の医院を開業していた
「医者になることにした」と秋ころに言い出し突然方向転換をして
僕ら同僚の者たちが1浪でゴールへ逃げ込んで行く時に
もう一年チャレンジを続けて故郷の九州に帰って(鶴丸高校でしたので)
鹿児島に戻って医者になっている
其奴はとてもいい奴ですし心も知れている
「オレはお金持ちなったし、今の暮らしが達成できたから、あの頃の友だちはそれなりで十分だ」
というようなそぶりのメールを何度かくれて、メールもいつの間にか途絶えてしまう
彼のことはそういう友達が存在したのだという記録を残して大事にしておくことにした
10
年老いたからなのか
あれやこれやと回想をしながら
(貴殿の講話のユーチューブを ふとしたことで見つけて、さらりと見たりして)
貴殿に手紙を書いてみるかと思ったの
回りくどくて面白くないから
読んでくれないかもしれないけど
それは昔から変化ないので
すでにわかったことや
人生をたくましく生きてゆく力になるような話を聞かせてもらえるかもしれんな
とも思った
でも雑談でええのだ
雑談の中で生き返ってくる言葉があるだろう
11
六十歳で、およそ二十年ほど世話になった県庁を退職して
継続雇用的に公益財団法人に移ったのですが
割と安定していたけど体調不良で一年前の春にやめて
110日間の連続休暇(失業ともいう)をとって
夫婦で東北に旅行をしたりしてきた
旅から帰って
再び10ヶ月ほど県庁で臨時で使ってくれるというので働いたけど
この4月に本格的に再び(2度目の長期休暇)失業している
その後もパートタイムの採用試験に幾度か出向いているけど
さずがに空席の椅子は若い子が先ですので、こちらには回ってこない
一年ほどチェレンジを続けるつもりでいるけど
もう再就職は諦めるかなあと弱気のような悟りのような日々
12
あとがき
いつまでも書いていても終わらないので
ひとまず、ここらで終わりにしよう
ここまで読んでくれていたならば
とても感謝します、ありがとう
時間があれば、貴君の語りをゆっくりと聞きたいですね
wahakuma ®️