誰にも言わない・誰も聞いてくれない話 ✦ (わはく百話、その十二) - 四月下旬号

今の季節(四月)は学生さんがちょうど新学期を迎えている、オリエンテーションを終えて履修届を提出して、講義が始まっている候だ

ちょっとした切っ掛けで大学時代を回想してみるのだが 思い出話をすれば苦汁が滲み出る

そんな話など聞きたいとは誰も思わないだろう、ボクは有名人でも偉人でもないただの凡人だから、でも、たとえ誰も読まずとも、自分の愚かさと反省を、ここに書き残しておかねばならない、懺悔のような気持ちがある

と言うわけで・・

✦ ✦

ぐうたらな学生時代

大学合格を目指して熱くなったあとに、勉強をサボった愚かな学生時代を振り返る

何とかなると思っている一面、高望みしすぎた希望に対して反省もしないで 滑り込めた大学にも感謝せず、「大学の勉強は必須でしょ」というブライドだけ抱き続けて、しかし、実際にはサボってしまって、遊ぼうと思っていたわけでもなかったが、アンニュイで曖昧な学生時代を頭の中で築いて過ごした五年間(六年間)

毎日講義に出かけても、詰まらない、眠い、面白くない(というバカにした)気持ちで 教室から抜け出す日が多かったのだが、それもやがて、サボってゴロゴロするか古本屋に出かけるか、音楽ばかりを聴いていた

深夜まで夜更かしをして朝寝をして、大学は休んでばかりで、何しろ、英語講義やLL授業でさえも「そんなもんアホくさい」と思って ぐうたらに受けるか、時々欠席した

成績がどん底で返ってきたときに『自分はこの仲間の中に優秀な成績で飛び込んだのだ』という入学時に持った思い込みに拘った

そんなものは早々に捨て去り素直に勉強をするべきだったのだが・・そうしなかったプライドが手伝ったのだろうか、甘い認識力が働いたのか・・大学に真面目に出ようという学生に変身することはなかった

反省の日々

そうは言っても滅茶滅茶に遊び呆けていた学生でもなかったが、やっぱし勉強はせず、楽して単位をもらえればいいと考えていた安易な甘えた学生だったわけで、悲しいことに天性の怠け者が丸出しだったわけだ

そのことを自覚するのは卒業してから二十年以上経ってからで(後悔は先に立たず)

親に学費を出してもらっている感謝は人一倍持っていたものの  日々の行動は全く極悪の怠け者だった・・ことは消し去れない

もしも その時・・僕が親なら息子を強く叱って連れ戻しただろうし大学もやめさせるほどの剣幕で怒っただろう

もしも あの時代に今の僕が戻って学生をするならば・・

講義にはくまなく出席をして1分たりとも無駄にはしない、休講があろうものなら文句を言って授業料を返せと言い出すかもしれない

感謝も間に合わず

そういうわけで、親には説明のつかないことをして取り返しもつかず申し訳ない失態を犯していた学生時代を、社会人になって即座に振り返ってわけではなく、いつまでも気づくことなく反省を怠ってきたのだった

四十歳を過ぎてから魘されることが増えて、またちょうどそのころに 父が亡くなってしまった

学生時代に犯したアホな足跡を消すことはできず、父に詫びることも叶わず、本当に取り返しがつかなくなったのだった

自分の蒔いた種で残した足跡であるのに、それを思い出すのは辛いし、思い出しても今 誰に懺悔ができるわけではない

打ち明け話をしたとしても悔いばかりが湧いて、あまり触れたくない話になるのだ けれども、どこかに白状しておかねば ボクも易々とは死ねないと思い日々が募っている

✧✧・・✧✧

最終コーナへと向かう

そんな愚かな学生時代の暮らしを送りながら 平松先生や関谷先生、菊地先生と巡り会えたおかげで就職もできた

社会で使い物にはならないような奴を使ってくれた京都の「オ社」の皆さんにも感謝が絶えない

オ社は八年ほどだったが社会人になったヒヨコのぼくを育ててくれた恩人の会社だ

その後 三十路に入り人生は「オモテとウラをひっくり返したように」荒波に打たれるものの、さらにその十余年後に幸運に恵まれて四十五歳頃からは「生きているだけで感謝しなあかん」という二十年を送れた

✧✧・・✧✧

「ひとこと」で言えば

ぼくは『その程度の器』だったのだということだと思う

しかし最初から『その程度の器』なのだと悟って生きていたら こんな生き方はできなかっと思う

ありがとう みなさん

✧✧・・✧✧

※ 写真と本文は無関係です

大暑篇 「裏窓から」の筆休み 余白

なかなか纏まらずに外伝を書いて さて 裏窓を書こうか
と大きく息を吸っても テーマが浮かばなくて・・
(外伝)➡︎ 梅雨も明けて ゆっくりと大暑に 七月下旬号


───── どうして「裏窓から」を書き出せなくなったのですか?

まず生活リズムが単調化したからでしょうね
朝から晩まで家にいて 日々同じことをして過ごす
テレビや映画を見たりするわけでもない
食事も変化がなく うどんなどの麺類を食べたり冷蔵庫をご飯をチャーハンにしたりしてます
簡単にできる麺類は 飽きもせずに重宝しています

───── それだけではなく生活面ではどうですか

腰痛が少し治って歩けるようになったのですが ウォーキングに出かける頻度が落ちました
歩く距離を不必要に多くするのはやめて 団地内を一周する程度にしています
休日に街歩きや山歩きに行くことがなくなって 家に居て部屋で楽器を吹いている時間が増えました

───── 認知症の心配もするわけですか

そうです
物忘れには気を遣っています
いつから認知症が出てくるかが 全くわかりません
年齢的に いつ兆候が出ても おもおかしくないわけですから 心配をします
しかしながら 簡単にこれといった対策で予防ができるわけではないので 不安が募ります
ただ 必要以上に心配をして精神的に暗くなっていくのは考えものだと思っています

───── おとーさんが高齢者施設にいるんですね?

そうです
高齢者住宅という種類の施設で よく似た高齢者の人が住んでいるマンションのようなものです
介護が必要な人もありますし 痴呆が始まって医者に通院する人もあります

この日記でも 半年ほど前から 痴呆のことに少し触れることがあります(京都日記)
自分の高齢化のことを考える時間も増えたので そのことを書くときもあります

寒の入 じわりじわりと過ぎる日々 ー 日々雑感

✘ ✘ ✘

痴呆脳の行動に添うてゆく暮らしが身近になってくる
すると 自分の行動までもが似てくるような錯覚に襲われる
日々の行動で心配なことが発生すると 不安を煽られる

  • 水道栓の締め忘れ
  • ガスコンロのの消し忘れ
  • 電気の消し忘れ

決して 痴呆脳は遠いものではないと思う一方で
必要以上な心配をするのではなく
前向きな行動改革をするのがよかろう

✘ ✘ ✘

✘ ✘ ✘
成人年齢が 十八歳に引き下げられている
関連ニュースが流れている

四十五年前を回想するものの 過去は過去というサラリと流した気持ちが昨今は増える
残りの人生に思い出はそれほど重要ではないと思い始めている

✘ ✘ ✘

✘ ✘ ✘

翌朝のノートから

夜明け前今見た夢が忌々し  07:10:03

冬の夜閉じられたままの日記帳 06:41:59

✘ ✘ ✘

(翌日に続く)

早や夏が終わり秋が深まる ー 霜月 文化の日のころも過ぎて

🥑 🥑 🥑

親子丼をしたのは十月の暮れ三十一日のことでした
食事の量を不必要に多くしないで お酒も控えるように心がけて一、二年が過ぎる
胃腸の調子は良い方だろう
便秘で悩むようなこともない
もちろんくよくよと考えないようにも心がけているが

🍷 🍷 🍷

面倒な料理はしないようにして 食べ過ぎ栄養の摂りすぎにも心がけたいと思っている
鯵フライとか餃子とかピーマンの肉詰めは定番化していて ちょっとしたリズムを持っている

サンバレーなどに外出をしたときは マクドやラーメンを楽しみにしていて
五日は 健ちゃんの誕生日お祝いにポケモンの人形を買いに行き 肉のヤマキでカルビ焼肉丼を食べてみた

🍷 🍷 🍷

料理番組が目立つような気がする
その影響を受けてか レシピ情報がネットや新聞記事でも目立つ

鯵のフライをして タルタルソースの作り方を調べながら支度の時間が過ぎる

うちのじいさん(おとやん)は 夕飯のおかずのことで
あれこれと希望を話しているのを見かけたことがなかった

夕食の時刻になると 野良作業を片付け黙って飯台に着いてご飯を食べた
団欒という言葉がある
我が家にも団欒はもちろんあったが どんな話をして夜を過ごしたのだろうか

そんなことに纏わる記憶が ほとんど残っていない
お酒も飲まなかったので 無駄な話もしなかった
だが、決して無口ではなかったのだから 何かを和気藹々と話したに違いない

。。

巻き戻しができない記録がものすごくたくさんあり過ぎて
自分のもの含めて そういったものを一括して捨てる覚悟の(諦めの)日々である

ゴールへと漂流すること ー 霜降篇

霜降 二十三日

🍊 🍊 🍊

『思えば生まれた日以来、母と私は同じ年齢差で生きてきた。時には手本に、あるときは性格の違いに驚いたりしながら生き合ってきた。その人が突然、老人になったのだ』

池田澄子さんの「本当は逢いたし」のなか(21頁)でこう書いている
そこまで読んで 私は立ち止まって自分の思いを探っている

こういう気づきに「ふと」引き止められる
誰にでもそんな思いに気づくことがあって 容易に時に流してしまえない
何かを掴もうとしてしまう

九十二歳になる母親と私との間には二十六年という隔たりがある

この隔たりのことを朧げながら考えることは度々ある
父も同様に二十六歳の隔たりであったが
死んでから来年が二十六年で いよいよ私も追いついてしまう

ムスメは 三十年
孫ちゃん2が六十年(酉年)
縮まることのない年月だ

🍏 🍏 🍏

人生も後半を迎え 還暦の節目を超えたあたりから この隔たりを『周期』と捉えてじっと考えることが多くなった

それほど大きな意味もないことかもしれないし 深い運命が隠れているものでもないと思いながら 見過ごせない数値だ

ーー

さらに池田さんは続けている

『若さの素敵さは、痛々しさの素敵さかもしれない。若くなくてはできないことがたくさんある。といっても、若い日に戻りたくはない。人間の中の単なる一人と言う気分は佳いものだ。過去に戻って、また世の中心にいるような錯覚に陥るのは面倒。戻りたく思うのは、今は亡き人に会いたいときくらいだ』

🍏 🍏 🍏

このまま私は
どのように
どんな姿で
漂流するのだろうか

あ・う・ん - 芒種篇 裏窓から

父親に教わったこといくつか を考えていた

  • パジャマのボタンのとめ方
  • 風呂焚きのマキのくべ方
  • 靴紐の通し方
  • 靴のかかとを踏まない工夫
  • 風呂上がりの身体の拭き方
  • 襖や障子の上手な閉め方
  • 寝巻きの帯の締め方
  • 縁側や軒の庭箒での掃き方
  • 鶏の捕まえ方
  • 蛇の持ち方
  • ナイフで鉛筆の削り方

すぐには思いつかないため
思い出しながら書きなおしていくことにする


一を聞いて十を知れ
見てわからんものは聞いてもわからん

この言葉は 直訳しただけの軽々しいものではない

  1. モノを習う時はまず習うことに集中して
    何を習得するべきなのかを見据えていなくてはならない
  2. わからん時は聞けば良いのだが
    聞いた以上は奥に潜むものを探り出し盗み取ることが大切だ
  3. 黙って仕事の様子を見ることから始めて
    技を見抜こうとする姿勢を磨いた上で要点を一つ聞けば十倍以上のコツが得られる

そういったことを いちいち口で説教することもなく
「黙って見て学べ」と口癖のように言うたものだ

「質問をしてはいけない」とけっして思っていたわけではない

的確な質問をしてこそ モノをどこまで理解できたかが 教える側からも推し量れる
言葉では伝えきれないところまでも丁寧に伝えようとしていた

『あうん』の人だったのだろう


伝えるものそのものやそのこと自体が
明確に言葉になっている必要もない

気持ちや熱意でもよかろうし
興味のようなものでも良い

目のつけどころの生む感性のようなものであっても良い

子どもに伝えて世代を超えて孫にも
『あうん』で伝わっていくものがあるのかもしれない

祖父の足跡や実績、語録などを掘り起こすたびに
そのようなことを感じる

孫たちは大人になってそのことに気づくだろうか

深まる秋に思うこと - 立冬篇 裏窓から


さて、十一月七日 立冬である

いよいよ冬を迎えるにあたり何を考えていたのか
先日「漸く」という漢字を覚えた(笑)

学は漸(ぜん)を以て日に進むを貴ぶ。 天下の極遠なる、固より人跡の及ばざる所のもの有り。 然れども日日に力(つと)め行きて息(や)まざれば、則ち至らざる所無きなり。 学の源流は遠し。 苟くも下学(かがく)の功、日に進みて已まざること久しければ、則ち以て上達すべきなり。 (貝原益軒 慎思録)

  • 木枯らしや待ち遠しいのはただ一つ
  • 朝ぼらけきのうの焚き火の痕を見る
  • 一通の手紙届いて秋の暮れ
  • 呼び止めて振り向かないで夢の人
  • 北風やコートの裾のその奥へ
  • ふける夜魔法のように寝落ちして
  • 人生を語らずは本当に美学なのか
  • 陽だまりで燃え尽きる人生の焚き火する

🍀

文化の日も過ぎてまた普通の日々が戻って来た
寒波が来ているので覚悟をして朝を迎える
仕事を退いてからは朝寝坊をしているので朝の寒さはそれほど感じない

仕事に出掛けていれば
日に日にイチョウが色づくのやら職場に向かう人の上着が厚くなるのをみながら
冬の到来を肌に感じていたのだろう

十二月から三月まで少し仕事をしたいと思い募集に応募中であるが
願いが叶う可能性は低かろう、こんな爺さんに席を明け渡してはくれまい

僅かでありながらももしも職場に戻るならと想像をしてみながら
一年以上ご無沙汰をしている昔の部署を懐かしんでみている

🍀

サンマ7号を美味しく食べた
家でもらって来た生姜も漬けてみた

甘くて酸っぱい
子供のころにはこんなものは美味しいなどと思わなかったのに
我が家の畑からの里芋も茹でた

🍀

その二へつづく

二人で生きている - 立夏篇 【裏窓から】

5月5日(立夏)

夏になる
こどもの日であったが仕事に出かけて
帰り道でケーキ屋さんに人の群れがあるのを見て
そうか
子どもたちにケーキを買うとか
夕飯でご馳走を食べるとか
そういう日だったのか
と気づく

日記には何も記録がなく
6日に

🌱こどもの日子どもは巣立って夫婦だけ

そんなことを書きおいて
ゆうはんには二人で餃子を食べている

当たり前のことにもっと感謝をして生きていきたい
言葉にしてしまえばタダそれだけのことである

🍀

目が見えて
耳が聞こえて
心に何らかの病を患うこともなく
身体の機能も不自由なく
生きている

わたしの父は耳が聞こえなかったのだが
日常生活であの人の苦労を推し量ることもせずに生きていたわたしは
なんと無謀な人間だったのか今頃に気づく

身の回りに至ることで考えてみると
わたしは結婚をして
子どもがいて
孫ができて
まずまずの近所に住んでいる

🍀

金はない
これは当たり前のことで
自らの能力と力量の限界から考えれば
こうして暮らしておれるのは
贅沢なほどに真っ当なのだ

人に騙されたり
悪い企みにハメられてしまったのも
今思えばお人好し過ぎた

🍀

人間というのはあれほどに
絶対忘れないぞと思ったことまで
はっとして忘れてしまうのだから
哀しいものだ

わたしはお人好しなのだ
(だったら)バチは当たらんやろ
アタマの閃きは決して良くない
だがそのことと生きる道とに相関性はないだろう

🍀

ツマには感謝している
しかしそんなことを言葉で語っても
ツマは一切喜ぶことは無く
寧ろ昔まで遡って
不平不満をわたしに向けて
これまでの人生を悲しみ悔やむだろう

🍀

しかし
それでいいのだ
仕方なかろう
誰にも打ち明けられない弱音があってもいいのではないか



わたしは
初夏の風になって
蜜柑の花咲く丘を
一気に海まで駆け下りて

あの人の前に
かくれんぼの鬼のように飛び出してみたいと
夢のようなことばかりを考えていたひと頃があったのだ

伸ばした髪を短すぎるまでに切るのもやめて
ふわりとした天然のウエーブにブラシを当ててみたり
置きっぱなしになっていた若い頃の大事なコロンを
本棚の片隅で見つけて
少しつけてみたしりている

本当に会いたい人は
何処にいるのかわからず
何をしているのかもわからない

温そうな雨  【裏窓から・雨水篇】

❏ 雪景色夢にだけ見て冬終わる
❏ 餃子二つがぶりと食って雨水ぞよ

♡♡

二三日前に嫌な夢を見たので、それが正夢になったら嫌だからここに書いておくことにする。

夜中に珍しく弟から電話がかかってきて母が急に死んでしまったと非常に冷静に話す。
こりゃあ大変なことになったと慌てなくてはならないところだがやけに冷静に応対している。

夢だから細かい心理や動揺まではまったく記憶してない。
とにかく平然として電話を聞いて慌てずに私が振る舞っているのが不思議なのだ。

♡♡

夢を見ながらなのに
不思議な夢だと思って、自分の反応に空想のような非現実を感じている。

これは夢だから母はまだ生きているのだ
死んで欲しくない人殺してしまうような嫌な夢だ
そんなものを意志に反して見てしまい
だが、消せないだけに段々腹も立てている。

夢の非現実性に気付いている。

私は眠っている。
だから夢として分類していいだろう。
私は非現実なことの様々を考えつつ、うつらうつらとしている状態にあった。
やはり夢であったのだ。

だから、正夢になっては困る。
だからといって胸にしまっておくのも気持ちが晴れない。
そこで、誰かに話しておくか、
こうして書き留めてしまうのがいいのではないかと考えた。

(続く)