今の季節(四月)は学生さんがちょうど新学期を迎えている、オリエンテーションを終えて履修届を提出して、講義が始まっている候だ
ちょっとした切っ掛けで大学時代を回想してみるのだが 思い出話をすれば苦汁が滲み出る
そんな話など聞きたいとは誰も思わないだろう、ボクは有名人でも偉人でもないただの凡人だから、でも、たとえ誰も読まずとも、自分の愚かさと反省を、ここに書き残しておかねばならない、懺悔のような気持ちがある
と言うわけで・・
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ぐうたらな学生時代
大学合格を目指して熱くなったあとに、勉強をサボった愚かな学生時代を振り返る
何とかなると思っている一面、高望みしすぎた希望に対して反省もしないで 滑り込めた大学にも感謝せず、「大学の勉強は必須でしょ」というブライドだけ抱き続けて、しかし、実際にはサボってしまって、遊ぼうと思っていたわけでもなかったが、アンニュイで曖昧な学生時代を頭の中で築いて過ごした五年間(六年間)
毎日講義に出かけても、詰まらない、眠い、面白くない(というバカにした)気持ちで 教室から抜け出す日が多かったのだが、それもやがて、サボってゴロゴロするか古本屋に出かけるか、音楽ばかりを聴いていた
深夜まで夜更かしをして朝寝をして、大学は休んでばかりで、何しろ、英語講義やLL授業でさえも「そんなもんアホくさい」と思って ぐうたらに受けるか、時々欠席した
成績がどん底で返ってきたときに『自分はこの仲間の中に優秀な成績で飛び込んだのだ』という入学時に持った思い込みに拘った
そんなものは早々に捨て去り素直に勉強をするべきだったのだが・・そうしなかったプライドが手伝ったのだろうか、甘い認識力が働いたのか・・大学に真面目に出ようという学生に変身することはなかった
反省の日々
そうは言っても滅茶滅茶に遊び呆けていた学生でもなかったが、やっぱし勉強はせず、楽して単位をもらえればいいと考えていた安易な甘えた学生だったわけで、悲しいことに天性の怠け者が丸出しだったわけだ
そのことを自覚するのは卒業してから二十年以上経ってからで(後悔は先に立たず)
親に学費を出してもらっている感謝は人一倍持っていたものの 日々の行動は全く極悪の怠け者だった・・ことは消し去れない
もしも その時・・僕が親なら息子を強く叱って連れ戻しただろうし大学もやめさせるほどの剣幕で怒っただろう
もしも あの時代に今の僕が戻って学生をするならば・・
講義にはくまなく出席をして1分たりとも無駄にはしない、休講があろうものなら文句を言って授業料を返せと言い出すかもしれない
感謝も間に合わず
そういうわけで、親には説明のつかないことをして取り返しもつかず申し訳ない失態を犯していた学生時代を、社会人になって即座に振り返ってわけではなく、いつまでも気づくことなく反省を怠ってきたのだった
四十歳を過ぎてから魘されることが増えて、またちょうどそのころに 父が亡くなってしまった
学生時代に犯したアホな足跡を消すことはできず、父に詫びることも叶わず、本当に取り返しがつかなくなったのだった
自分の蒔いた種で残した足跡であるのに、それを思い出すのは辛いし、思い出しても今 誰に懺悔ができるわけではない
打ち明け話をしたとしても悔いばかりが湧いて、あまり触れたくない話になるのだ けれども、どこかに白状しておかねば ボクも易々とは死ねないと思い日々が募っている
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最終コーナへと向かう
そんな愚かな学生時代の暮らしを送りながら 平松先生や関谷先生、菊地先生と巡り会えたおかげで就職もできた
社会で使い物にはならないような奴を使ってくれた京都の「オ社」の皆さんにも感謝が絶えない
オ社は八年ほどだったが社会人になったヒヨコのぼくを育ててくれた恩人の会社だ
その後 三十路に入り人生は「オモテとウラをひっくり返したように」荒波に打たれるものの、さらにその十余年後に幸運に恵まれて四十五歳頃からは「生きているだけで感謝しなあかん」という二十年を送れた
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「ひとこと」で言えば
ぼくは『その程度の器』だったのだということだと思う
しかし最初から『その程度の器』なのだと悟って生きていたら こんな生き方はできなかっと思う
ありがとう みなさん
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※ 写真と本文は無関係です