新型コロナに怯えて生きている
怯えねばならないほど大敵ではある
他にも怯えているものがあるのではないか
Ⅰ.心配
先日、眼が充血して医者に掛かった時に心配してくれる人から、緑内障、白内障、糖尿病、眼底検査、失明、という言葉が飛び込んでくる
身近な人が大腸癌の手術をした折も、あなたも大腸癌の検診を受けたほうがよろしいぞと忠告される
他に、前立腺癌を手術した人から、血液検査でPSA値を確認しておいたほうが良いと忠告を受けた
胃癌の検診は受けているかとか、甲状腺の病気にかかった人があるので、あなたも心配したほうがいいなどと、健康をお互いに気遣い合う会話が絶えない
半年ほど前にも、胸が苦しく不整脈っぽい症状があるとふだんの会話でポロリと呟くと、すかさず循環器内科にかかって24時間の心電図を計測してもらい診断を受け、悪ければハートセンターで手術をすれば五日以内で退院もできる、早期発見であれば安心だ、脈動が欠けた時に血管内の脂肪が剥がれて体内循環し脳梗塞などを引き起こす恐れがあるのだ、と熱くアドバイスを受けた
Ⅱ.長生きな時代
命は惜しいし、長生きはしたい
何かの病気で倒れて、後遺症で辛い予後を送るのは怖いし、そんな心配を日々しているのはしんどい
流行性(はやり)の風邪が蔓延して大勢がかかって倒れているらしい噂のような話を耳にして、自分も気をつけていればいい時代ではなくなった
恐ろしい感染症が発生したという正確な情報が手元に届き、その危険性も解明されてきちんと伝わってくる時代で、巻き込まれたら一溜まりもないこともきちんと理解できる
長生きをしたい人は、怯えながらも恐ろしい情報をしっかりと受け止めて、対応できるし、する時代だ
Ⅲ.むかし
・怖い疫病が流行っているので、それに罹ったら一溜まりもない
・これまで悪行三昧をした者はバチが当たる
・昔からの言い伝えや社会の慣習、掟を守らないと怖い疫病に襲われる
・心を清くして神に祈れば疫病は退散できる
そんな時代があって、その時代には保険もなければ薬もなかった
増して病気の招待やら治療方法などはあってないようなものであった
自分たち庶民は誰もがみんな災難に襲われることなく無理なく暮らして生き続けたいと願っている
病気、災難に遭いながらも、貧しいながらも、幸せに暮らしていた
そういった幸せという形のない漠然とした中で日々を送れることに感謝をし、神に祈り、バチが当たらないように自分自身にも自戒の念をを持っていた
Ⅳ.幸せな時代
当たり前のように十分な情報が、行政を通じて伝達され、誰一人として感染症に安易な形でやられてしまうことのないように、国民は守られている
解明できない難病は数多いものの、現代医学はかなりのレベルまで進化を遂げてきた
人の暮らしに安心を与え、幸せな社会づくりも実現できている
生き続けることから社会的な要素を排除し、自力で、自分の銭金で、自分で得た知識で、自粛の中をそろりそろりと歩いてゆく
迷信で麻薬のような不安定であったつい先ごろまでの暮らしのことを顧みることなく、何もなかったように「解除宣言」に万歳をしている
とはいうものの
実は、現代人はいわゆる病気というものに怯えているし、その度合いは歴史的に大きくなっているのではないか
悪いことをするとバチが当たり禍い(災い)に見舞われると
本当に信仰していた時代と、現代と、どっちの時代が幸せであるのか
ふとそんなことを思った