コロナ・やれやれ - その後(号外5)

コロナ
終わった

やれやれ


11日までは 自宅療養
色々と考えると 災難だったが 珍しい経験でもあった

生きててよかったと思う
基礎疾患系の身体なので もしものことがあったら苦しくことになる

当然 母親の心配もした
それほど症状が出ることもなく
冷や冷やドキドキすることもそれほどなかって 幸運だった
長生きしたら この事件を大いに語って振り返りたい


以下のようなことを書き残しているので 貼っておく

* *

先ごろ母親(91)が庭で転倒して骨折し入院となったことで手紙を書く機会ができた
不慮の事故を後悔しながらも、ふとした偶然のことからの意外な幸運に些か喜んだ

コロナの渦中であるから見舞いの不自由さは想像通りで、91歳の老人には家族であろうと面会はできず、老人を寝台に寝たきりにさせることで残された者たちには次々と不安や心配を生んだ
そこで思いついたのが手紙を書くことであった

学生時代に鉛筆書きで「学費のことは心配せずしっかり勉強しなさい」と手紙をくれた父や母であったが、こちらからは書いたことがなかった
タバコ屋の店先の赤電話から仕送りの工面の電話をしても「元気でやっているか」などの手紙は出さなかった

使わなくなった便箋を探し出し、寝たきりの老人を元気づけるために老眼でも読めるような大きな字を意識して「頑張って早く歩けるようになってください」と書いた
今さら母親に何を書き出すか思案に暮れて、日ごろから暮らしへの感謝も疎かにし、畏敬や感謝を粗末にしてきたことに気付かされるのであった

久しぶりに持った万年筆のインクの文字が下手くそで滲みばかりが目立ったが、その辺の戸惑いも母親には届いただろうか。

コロナが来た ー 清明篇 裏窓から

久しぶりに『裏窓から』を考える
入院やら退院やらコロナやら

生きているのが有り難いと思うような年齢である


📌 花も舞う浮世の風やコロナ哉
📌 花咲いてコロナの日々が三日過ぎ(四月三日)


話せば長いような気がするが、きっとすぐ終わる

* *

三月末に若葉病院でもらったコロナが親戚中で蔓延した
家族関係者で15人が感染したのだから、大きな事件だ

若葉病院を退院してからの発覚なので病院が院内感染で最初に40名を公表し次々と増えていった一連の事件には我が家の感染者は関わったことになっていない

これは茶番劇だが、世の中こんなものなのかもしれない

* *

三月二十九日に退院をして、付き添った関係者は、四月一日から次々と症状が出始め
ウチのツマは 一日(土曜日)、じっと我慢をして不安な日曜を過ごして
私は三日に罹患を確認された

一日から十一日までの間は自宅療養であった

* *

所感としては 様々なものがあるものの
詰まるところ コロナのウイルス菌があれば 罹患するということで
一生懸命に対策を打って行動している人たちにおいては
無駄な努力とは言わないものの 虚しいもの潜んでいる

本当に罹ってはいけない人や罹りたくない人は
一切の外部接触を断つことしかない

* *

四月上旬(一日から十一日まで)は ほんとお疲れ様でした

十四日・記

コロナワクチン二回目 - 月のはじめに考える


📍 九月のはじめに考える

九月一日にコロナワクチンの二回目の接種をした

第一回目が八月十一日でした
ちょうど三週間後となります

その間にも感染者数は日に日にうなぎのぼりで 八月十九日には311人(三重県)
その後も四百人を超える日が続きます
八月下旬から九月になって少し減りふたたび三百人台になっています

医療機関に入院できない人のニュース、入院できないまま死亡するケースなど
市民は不安に怯える日々です

国民を家族だと思って政策を打って欲しいと思う人はたくさんいるでしょう
あまりにも知恵も心もこもっていない行政の指導に呆れている人たちが溢れる


* 書きかけ

四月初旬に考えていること様々 - 清明篇 裏窓から


🌱 命拾い

コロナの騒動はまだまだ続く

母の住む市内ではクラスターが発生していた
友だち(「ひろまさ」君)の母さんと叔母さんが市内の施設に通っていた
報道では 四十人近い利用者と何名もの職員の罹患が確認されていた

身近な人はほかにも大勢いるはずなのだが
如何なる情報も全く届いてこなかった

ところが先日実家に用があって立ち寄って新しいことがわかった
二人は共に コロナに罹り 三週間の隔離入院していたのだ

しかも 一時は命も危なかったという

叔母さんは八五歳を超えている
友人お母さんはうちの母親よりも歳上で九十二、三歳ではなかろうか

一時は「もうあかんと覚悟をした」と言う
その苦痛を誰にも告げることができずに三週間も孤独を過ごしたことになる

単に入院だけでも並大抵のことではない上に
コロナに罹っていたのだから 目の前は真っ暗だったことだろう
家族であっても 友人や親戚に入院の情報を漏らすこともできない

命拾いとはまさにこのことを言うのだ


まだ少し考え中

九月は下旬に - 秋分の日篇 裏窓から

敬老の日そして秋分の日へと

休みが四日ほど続く
そんな時間であれこれと考えてみる

コロナ騒動はまだまだ続く
人はじっとしてはいられないのだろう、連休に遊びに出かけたいのだ
伊勢神宮にも観光客が訪れているというニュースをTVでやっているのを見て

コロナは嫌で怖いのが、外に出なくては不満が溜まってくるのだ

平成から令和へと暮らしは向上するわけではないものの安定しているように見える
つまり、この時代のステージを生きる人は、幸せで不安おなく暮らしを手にしてきたのだ

そこにコロナが割り込んだのだから、私の幸せをどうしてくれるのだという感覚なのだろう

後戻りはできないというのは世の常識で、一度便利なったり楽しかったり快適になったものは取り上げられたら耐えられないのだ

🍇

そんなことを思うとこのまま束縛されながら不満を抱きつつ、危険を冒しながらことなと付き合ってゆく、という生活スタイルは誰もがいろんな曇っているものなのかもしれない

年寄りが小言をいうものではないと、自分に言いきかせている毎日である

新型コロナに怯えて生きている 怯えねばならないほど大敵ではある 五月下旬号 号外 -  裏窓から

新型コロナに怯えて生きている
怯えねばならないほど大敵ではある

他にも怯えているものがあるのではないか


Ⅰ.心配

先日、眼が充血して医者に掛かった時に心配してくれる人から、緑内障、白内障、糖尿病、眼底検査、失明、という言葉が飛び込んでくる

身近な人が大腸癌の手術をした折も、あなたも大腸癌の検診を受けたほうがよろしいぞと忠告される

他に、前立腺癌を手術した人から、血液検査でPSA値を確認しておいたほうが良いと忠告を受けた

胃癌の検診は受けているかとか、甲状腺の病気にかかった人があるので、あなたも心配したほうがいいなどと、健康をお互いに気遣い合う会話が絶えない

半年ほど前にも、胸が苦しく不整脈っぽい症状があるとふだんの会話でポロリと呟くと、すかさず循環器内科にかかって24時間の心電図を計測してもらい診断を受け、悪ければハートセンターで手術をすれば五日以内で退院もできる、早期発見であれば安心だ、脈動が欠けた時に血管内の脂肪が剥がれて体内循環し脳梗塞などを引き起こす恐れがあるのだ、と熱くアドバイスを受けた


Ⅱ.長生きな時代

命は惜しいし、長生きはしたい

何かの病気で倒れて、後遺症で辛い予後を送るのは怖いし、そんな心配を日々しているのはしんどい

流行性(はやり)の風邪が蔓延して大勢がかかって倒れているらしい噂のような話を耳にして、自分も気をつけていればいい時代ではなくなった

恐ろしい感染症が発生したという正確な情報が手元に届き、その危険性も解明されてきちんと伝わってくる時代で、巻き込まれたら一溜まりもないこともきちんと理解できる

長生きをしたい人は、怯えながらも恐ろしい情報をしっかりと受け止めて、対応できるし、する時代だ


Ⅲ.むかし

・怖い疫病が流行っているので、それに罹ったら一溜まりもない
・これまで悪行三昧をした者はバチが当たる
・昔からの言い伝えや社会の慣習、掟を守らないと怖い疫病に襲われる
・心を清くして神に祈れば疫病は退散できる

そんな時代があって、その時代には保険もなければ薬もなかった
増して病気の招待やら治療方法などはあってないようなものであった

自分たち庶民は誰もがみんな災難に襲われることなく無理なく暮らして生き続けたいと願っている
病気、災難に遭いながらも、貧しいながらも、幸せに暮らしていた

そういった幸せという形のない漠然とした中で日々を送れることに感謝をし、神に祈り、バチが当たらないように自分自身にも自戒の念をを持っていた


Ⅳ.幸せな時代

当たり前のように十分な情報が、行政を通じて伝達され、誰一人として感染症に安易な形でやられてしまうことのないように、国民は守られている

解明できない難病は数多いものの、現代医学はかなりのレベルまで進化を遂げてきた
人の暮らしに安心を与え、幸せな社会づくりも実現できている

生き続けることから社会的な要素を排除し、自力で、自分の銭金で、自分で得た知識で、自粛の中をそろりそろりと歩いてゆく

迷信で麻薬のような不安定であったつい先ごろまでの暮らしのことを顧みることなく、何もなかったように「解除宣言」に万歳をしている

とはいうものの

実は、現代人はいわゆる病気というものに怯えているし、その度合いは歴史的に大きくなっているのではないか

悪いことをするとバチが当たり禍い(災い)に見舞われると
本当に信仰していた時代と、現代と、どっちの時代が幸せであるのか

ふとそんなことを思った

禍 - 穀雨篇 裏窓から

禍。災いともかく
意味は微妙に違うようだ

そう書いて考え込む

待て!


コロナ禍
という言葉が広まっている

禍(わざわい)とは災いのことである

私が座右に置く言葉の一つに
禍福は糾える縄の如し
というものがある

禍があって福があるのだ

ヒトは幸せになって面倒臭いことを考えようとしないで
他人ができることは自分ではせず
ゼニカネで済むことはそちらに任せ
優越感や満足感や幸福感に浸って生きてきてゆくようになった

禍が
そこに
一石を投じた

というわけである


『こくう』 と打つと「穀雨」と出る前に「虚空」と出た

面白いことに気づいて嬉しがっている

コロナの話で騒ぎが続く
女優の岡江久美子さんが亡くなっている
六十三歳

「虚空」を見つめて何を考えているんだろうか
大抵は何も考えないで つまり思考は停止している人が多い

++(書き足し中)

日記もここまで書いて放置して日が暮れていったのだった


四月中旬 あれこれありますがまずはこの辺りをお訪ねください
▶️ 貧乏暇暇 無職自粛 と三べん唱えてお昼のうどんを作る ─ 四月中旬号 その3