悩むということ 一、
『悩む』という言葉に引き留められている
青春時代はこの言葉が嫌いで仕方がなく 受験雑誌などに出てくるたびに頁を閉じて逃げていた。今はそれが懐かしい時代になった
あのころは「悩み」が多かった。大雑把に言ってみれば 二十歳代の時代は 未知なものだらけで 前に進むには不安だらけだったということだろう
進学で悩み恋で悩んだ。人間関係でも悩んだ。そのころの僕たちには「人間関係」という難しい言葉は身近ではなかったのだが 自分の頭にある像と実像との食い違いに悶々と解決策を見つけようと悩んだのだろう
実現できない自分の夢が 叶うことなど本当にあるんだろうか、と考えることがあれば 同時に目の前の難関を乗り越えて受験の勝者になろうと闘志を燃やした日々もある
夢を叶えられない奴は根性なしか弱虫か・・というように考えたのだろうか、努力が足りないのだ、自分には甘さがあるのだ、というように自分を責めた時もあった
高校生や大学生はそんなことに悩み暮れているのが青春だったのだ
四十数年も荒波に揉まれた。荒波というと格好がいいが実は一言では表せない凸凹の人生だった
悩むとは一体どういうことだろうか
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受験で火花を散らす時代ではなくなった
早稲田慶應が惹きつける魅力は 今や失せてしまった
優秀な人は間違いなく増加している一方で 優秀を計る尺度には好成績を残せるのに 使い物にならない(教え直さねばならない)高学歴な若者が増えていることも間違いない
甘いというか 緩いという言葉が 浮かんだ
つづく
悩むということ 二、
『悩む』という言葉は長い人生の間に 何処かに捨てたか、いいや 何かの拍子に忘れかけていったか、ノートの片隅にも出てくることが殆ど無くなった
もう悩まなくなったのか 悩みが変形したのか・・それを今は判別できない
思案に暮れることは これまでに幾度となくあった
そのたびごとに迷っている
しかし結論を見透すコツが身についたのか
あるいは 人間が冷めたのかなとも思う
あたふたとしないのだ
悪い奴らをたくさん見て 躱すのは上手になった
世の中こんなもんや、この程度の集まりや と舐めてかかれるようになった
そしてもう一つ
世の中にはまだまだ「もの凄い奴」が居るのだと言うことを知った
冷静になれば動じず 道がいくつも見えてくる
全ての道には言い分がある
表があれば 裏がある
裏(ウラ)を否定してはならない
つづく
悩むということ 三、 ─ 狡い奴たち
過去に在籍した会社で出会った人間の善悪な顔を思い出しながら少し脱線しよう
過去の道のりには人間の醜さが溢れていてそこでオロオロしていた期間が少しあった
でも そこを抜け出してからの人生で 視野を変えて 社会を冷静に分析すると「表・裏」が見えてくる
あそこで(悪を)学んだことを振り返ってみれば そのおかげで 人としての厚みと深さを備えた懐を得て 逞しくなった自分ができたのだと振り返っている
世の中には美的な談話の数と同じほど醜く『エゲツない』話がある
真面目に生きれば 周囲には善人ばかりがいるように思えるけれど ところが 実際に紛れ込んだ目前の社会(組織)には 優秀で使える人材が一割ほど その一方で不出来な奴が三割ほど しかも 全体の八割は 悪い奴だ(過言だが)と考えてよいことも知った
そう知らしめたのは 三十代に過ごした組織での凸凹な道だった
人生の選択の時に悩んでいる日記を書いている人を見かけるたびに もっと視点を変えようと言いたいが こちらの声は届かないし耳を傾けられることも少ない
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そんな根拠を探るために「醜い」とは何かを考えてみたい
あまりいい話ではないがどうしても書いておきたいの触れておく
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パーな会社に長年在籍したことで 二つの人間性をみることができたし 自分も成長できる礎ができた
メモを探ると いくつかの言葉が出てくる
「狡い 貶める 卑しい 蔑む 謗る 腐す」
「卑怯 誹謗 冷淡 非情 悪賢い 身勝手 薄情 横着」
「中傷 侮辱 脅迫 叱責 怒鳴 」
「逃げる 無関心 すばしこい 貧困な精神」──
「パーな会社には 『狡い奴』が満ち溢れていたことを忘れてはいけない」
──と書いている
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国立大学や有名大学の出身者のデパートのような集団で 世間から見えればエリート集団であり人気企業であり難関な会社でもあった
ところが 中に飛び込んだら(まあ何事でもそういうものだが)全く様子が違うわけで 総じて言えば「醜い」人間性の集団だった
松下幸之助の言葉は 素晴らしいし人生訓としても社会人としての手本としても 掛け替えのないものだったのだし 触発されて飛び込んできた面々は各々 入社したころは 清く美しく純真無垢な新卒だったのだろうと思う
ところがそこでそれを手本にしたはずの集団は 大きく期待外れの集団に姿を変える
それはそれで なるほどと認めて 集団とはこんな風にも成長⤵️するのだと納得することにしている(それ以上悪口を言ってもコチラの品が下がる・・)
大切なのは『そんな集団に変化していったのは何故か』を様々な角度から考えてみるのが良い
その(一種の)反省は 会社をスピンアウトしてから二十年間ほど別の新しい組織で社会人としてやっていく過程で大いに役立った
世の中には こういうギャップが存在して 表と裏があって 醜いものがあって 汚い奴らがいて そんなものをほどほどに(最低限度でいいので)体験するのがいい
八割が悪い人間だと書いてはいるが 私は性善説でそれらの人が『性悪』というわけではなく 日常に暮らすぶんには「イイ人」のことも多いと感じている
悩むということを乗り越えるには 悪いものを一通り乗り越えておく必要がある
昔からいう「人のふり見て我がふり直せ」を体感をすることだ
そういうわけで悩むなんてのはまだまだ青い証拠で 悩んでいるくらいならもっとやらなあかんことがあるのだという話
つづく
「悩むということ」に続いて
年の瀬で就活の波に揉まれている人の声にちょっと耳を傾けた 、けど
もう 蘇るのは四十年以上も昔話であるし 景気が良く楽な時代だったので僕に就活は無かったと言える
研究室の教授に話が来て 面々の中から「ほいキミがここに行くか」と声をかけられて 就職先が順番に決まっていった
試験も受けないで 形だけの面接があったかどうか
みんな大手や有名企業ばかりに振り分けられ もれなく彼らは出世して偉くなっていった時代だ、新聞で名前を見かけても引退の色合いが濃い
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それぞれの時代にはそれぞれの悩みがあって 胸に描く夢もその時代のその人々によって違ってくるのだ
振り返ってみれば 激動の時代だったと感じるのだ、けど
本質にはそれほど差はないのではないか
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大きな夢を抱いてトップ企業に滑り込んでも夢破れて ひと時は 人生を諦めるほどまでになったとしても 何が運命でどう道が開けるかということは 未知だ
運ではない、自力でもない、瞬間の判断でもない
日頃の行いでも 徳を積むものでもない
言葉にできないものがあって 今がある
さて、それをどうやって伝えるか、だが
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雲外蒼天
『悩むこと』に続くことなどなく
もっとさっぱりとクールに捉えてよかろう
社会で生きていくこと(人生)とは
深い森を抜けて高い山に登りに出かけているようなものだ
頂上が見えていることがあれば 見えないことだってある
それは雲に隠れていることもあれば地形的に見えないことがある
頂上が見えていたがそれは 一歩手前の(あるいは別の峰の)小峰かもしれない
頂上に到着しても『雲外蒼天』とは限らない
裏切りもあれば 落とし穴もある
悪天候もあれば クマも出る
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出現する数々の想定外な事柄は
冷静な後からの考察では 全く例外ではなく
想定上の壁程度のことも多い
悪い奴や狡い奴も居て当たり前だと心構えをすることも大事だ(った)
そんな中で
筋書きにないような人に出会い
大いに刺激を受け
考え方にも大きな感動を受けて
道を進む上で
掛け替えのない影響をもらう人も出現する
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三人の息子を順次京都大学入れた知人がいる
車が好きなのを我慢して 子どもの教育を最優先に考え生きてきた
頂上に辿り着いたら さて 大空に舞い上がることを考えるのか
羽を背につけて崖から空に向かって飛ぶのか
長くて暗い森を抜けて険しい崖を登って辿り着く頂上は 本当に人生の目的なのか
ヒトは 頂上を目指すべきものなのだろうか
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負け惜しみ人生を送ってきた私だが
ここにきて 余命に欠陥ではないがそこには限界が存在すると宣言されるような(大袈裟)診断の結果を聞いた
百歳まで生きる事は可能かも知れない時代だが「そこまでするつもりもない」というのが日頃の信条だ
しかし 意思を伴わずに折って捨てるような事は考えない
引退後は もはや 頂上を目指すことを強く考えていたわけではない
だが
五合目にある別荘のようなところで 頂上や麓を眺めながら暮らしはじめて
さて、何をしようか
なのだ
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