弥生三月春を待つ
春を待つ陽気が心地よい日々が続く
仲春の候は 寒さに縛られる窮屈な時間から解放されて 大きく背伸びをする悦びの季節でもある
一月末に手術をして 二月末に一回目の診察をしてもらたので 今度は四月初旬に二度目の診断を受けて 次の手術を計画してして考え始める
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『心房中隔欠損』
心臓の壁に穴が空いているなんて想像できないし 日常生活を送っているにも何ら自覚症状がない
ずっと大昔からそんな病気があっても 気づくことなく苦にすることもなく 与えられた人生として死んでいった時代があることを思えば 幸福な時代に生まれたのだと 染み染みと思う年になった
だが そんな年寄りになってからそれが原因で心臓の疾患に悩むことにならないために七十歳になる前に治療しておくのが良いとお医者さん(武部先生)は説明してくれる
春になったら大学病院で手術を受けるように考えていく
そんな意味では
四月が待ち遠しい
自覚症状は全くない病気であっても 年を負うにつれて寿命に影響を与えるだろう
長く健康に生きることは ストンと楽に死ねる可能性を生むだろうと想像するので 痛みが怖くとも手術をしよう、尻込みをするのはよそうと考えている
人によればそこまでして生き続けたくないと言う人もある けれども 今の時代は進化したので怖くない(と思いたい)
手術のこと
幼少期に同名の病気の人(子ども)があって 手術をする話をちらりと耳にする話を母親(93)から聞いた記憶がある
六十年ほどむかしにそんな怖い手術をしたことを思えば 今で言うなら先端医療だったのだろう
病を治すのを使命とする医者にすれば輝かしく勇敢なチャレンジだったろうと想像できるし 病と闘い生きようとする人の心も窺える
お金もかかる上に命も賭けねばならなかったその時代に 「無理に手術しなくても自然に治る人もある」とも言われ六十年がすぎた
老後に
「その間に一度も(専門的に)診てもらっていないの?」と先生に聞かれたが 僕はこうしてここまで生きてきたのだ
これからの時代は七十歳までも定年を延長して働いて社会活動しようという声が 叫ばれている
確かに元気で 健康であれば その夢も遠くはないが 果たして人間として高齢を生きることを平等に過ごせるのだろうか
実際に僕は 身体も弱いし聴覚も衰えているので 横並びに七十歳定年の波には乗れない
何かを活かして社会に溶け込んでいける枠組みを作ることが必要だ
仕事に参加をしたい気持ちを柔軟に受け入れてもらえ流ならば 健康を維持して働けるものなら働きたい
寿命という数字をそのまま社会の構造の中に組み入れては歪みが必ず起こるだろう
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