春のお彼岸のころ ✦ 弥生日記 二、(号外)

弥生三月春を待つ

春を待つ陽気が心地よい日々が続く

仲春の候は 寒さに縛られる窮屈な時間から解放されて 大きく背伸びをする悦びの季節でもある

一月末に手術をして 二月末に一回目の診察をしてもらたので 今度は四月初旬に二度目の診断を受けて 次の手術を計画してして考え始める

✦✦✦

『心房中隔欠損』

心臓の壁に穴が空いているなんて想像できないし 日常生活を送っているにも何ら自覚症状がない

ずっと大昔からそんな病気があっても 気づくことなく苦にすることもなく 与えられた人生として死んでいった時代があることを思えば 幸福な時代に生まれたのだと 染み染みと思う年になった

だが そんな年寄りになってからそれが原因で心臓の疾患に悩むことにならないために七十歳になる前に治療しておくのが良いとお医者さん(武部先生)は説明してくれる

春になったら大学病院で手術を受けるように考えていく

そんな意味では

四月が待ち遠しい

自覚症状は全くない病気であっても 年を負うにつれて寿命に影響を与えるだろう

長く健康に生きることは ストンと楽に死ねる可能性を生むだろうと想像するので 痛みが怖くとも手術をしよう、尻込みをするのはよそうと考えている

人によればそこまでして生き続けたくないと言う人もある けれども 今の時代は進化したので怖くない(と思いたい)

手術のこと

幼少期に同名の病気の人(子ども)があって 手術をする話をちらりと耳にする話を母親(93)から聞いた記憶がある

六十年ほどむかしにそんな怖い手術をしたことを思えば 今で言うなら先端医療だったのだろう

病を治すのを使命とする医者にすれば輝かしく勇敢なチャレンジだったろうと想像できるし 病と闘い生きようとする人の心も窺える

お金もかかる上に命も賭けねばならなかったその時代に 「無理に手術しなくても自然に治る人もある」とも言われ六十年がすぎた

老後に

「その間に一度も(専門的に)診てもらっていないの?」と先生に聞かれたが 僕はこうしてここまで生きてきたのだ

これからの時代は七十歳までも定年を延長して働いて社会活動しようという声が 叫ばれている


確かに元気で 健康であれば その夢も遠くはないが 果たして人間として高齢を生きることを平等に過ごせるのだろうか

実際に僕は 身体も弱いし聴覚も衰えているので 横並びに七十歳定年の波には乗れない

何かを活かして社会に溶け込んでいける枠組みを作ることが必要だ

仕事に参加をしたい気持ちを柔軟に受け入れてもらえ流ならば 健康を維持して働けるものなら働きたい

寿命という数字をそのまま社会の構造の中に組み入れては歪みが必ず起こるだろう


魔法にかかったように時間に残してきた足跡 ✻ 京都日記 [裏表紙・号外]

京都日記


冬を待つ束の間の季節である

秋という時間は短く足早に心を枯れさせてゆく

しかしながら
この枯れてゆく瞬間というのは
自分を静かに見つめられる
かけがえのない時であるようにも思える

数々の忌まわしい過去を捨ててしまおう
思い出など枯れ果ててもかわまわない
とそう思っている

ひとつの逃げの手段かもしれない

やがて
忘れようとしても忘れられることなどないはずの
魔法にかかったように時間に残してきた足跡

あっさりと掃き捨てられそうな気持ちになる

欲張って
自分の人生の記録帳を膨れ上がらせてきたのだが
それもよくよく考えれば
虚しいことだと気づく

その気づきが正しいという保障もないまま
行く道を探って
一つ二つと決心を重ねて
やがて行き着くところの姿を思い描く人も多かろう

答えなど
模範解答などどこにもないし
答えがあるかどうかさえ明かされないままだ

京都の時間は止まっているかのようにすぎる

痴呆の人が静かに
『サ高住』の玄関ロビーを歩いている姿を見ていると
何処かへ泳ぎつこうとする
漂流する何者かそれは漂流者にも似ているように
見えてくる

決められた動作を
繰り返すロボットのように動き回る介護施設の人たちや
それと対照的に浮遊する高齢者の姿が
決定的に病院での様子とは違うことに
遅まきながら気づき
目指すところの違いを知らされる

静かである
会話はいらないのだ

待っているのだろうか
自分がどこかに導かれるのを

息が止まる瞬間

いや
誰か人が現れるとか
恋人ができるとか
昔の友人がやってくるとか

この住処を飛び出して
何処かへ行けること

夢見るのだろうか


✢✢ 十一月十日のひとときに メモ帳に書き残したメモを載せておく

腎臓病(CKD)を学ぼう - 月の初めに考える 霜月

外伝✺ 塩分など制限厳しい日々・・十月は足早に過ぎて ✢ 十一月はじめに  ➣

⚡︎

十月は 飛騨高山に出かけたり 心電図の連続計測を受診したり サンマも連続して食べた

サンマ6号(16日)
サンマ7号(27日)
サンマ8号(29日)
食べ続けました

けれども

⚡︎

心房細動

心房中隔欠損』の他に 心電図解析の結果 『心房細動』も見つかります(31日)

⚡︎

不整脈の薬にこれから世話になる
腎臓病(CKD)の恐れがあること 遺伝的にも 予測がついていた
コレステロール脂肪塩分との闘いの日々が始まる

12月の初めに血糖値の上昇の検査(HbA1c)を受けます。その結果を診て 日赤で精密検査か、しばらく 食事療法を続けるのか。この先はまだ私にはわからない

⚡︎

美味しいもの

ウインナー ソーセージ、ハンバーグ、ラーメン、パン、竹輪、ハム、マヨネーズ、サーロインステーキ、ベーコン、バラ肉、スパゲッティ、たらこ、エビ、小麦粉製品、バター類、卵類、鰻

こういったものは 要注意でして 大きく制限がかかってきます
しばらくは お別れになりそうな気配です


つづく・・・

いよいよ秋を迎える ひそかに嬉しい - 白露篇 (裏窓から)

白露の時節を迎えた
朝夕が涼しい
さすがに夏の暑さは身体にこたえた
やれやれである

例年にない猛暑日の連続であった夏を過ごし
やれやれと思っている人も多かろう
このまま地球温暖化傾向が続くとなると
人類はどうやって新しい知恵を生み出すのか

冷静に考えてみれば何も難しくない

埋蔵資源や宇宙の光エネルギーを閉ざされた地球の上で消費している
エネルギーは最初の安定した物質から 音、光、熱、動作に変換されていく

石油を消費して電気を起こしクルマを走らせ暗い部屋を明るく照らすときに、効率が100%となることはないのだから 変換の損失は無駄な熱エネルギーとなって発散する

地球の温暖化現象は この熱が蓄積しているからに他ならない

大昔の人々の時代からこのような『発熱生活』をしてきたのだから 消費が悪だとは言えない。だが、消費の量が桁違いになっていることを考えれば 熱を放出する日常を原始時代から送ってきた人類の暮らしを じっくりと省みることが大事だ

現実は簡単なものではなく、家庭で消費する電力を一つ取っても 膨大な熱を生み出す暮らしが常識の時代だ
電気を使わず化石燃料を消費せずにこの地球上で生きていくことは 今や不可能である

しかし 消費すれば必ず熱を発する

九月の初めに三人で昼食を✦悠ちゃんお作品展示を見にいくための休暇✦市内に以前から狙っていたけどいつも一杯だった「いとう料理店」というイタリアンな店

高齢者の仲間入りをしたことにこれまで何度か触れてきた
健康に気をつけて暮らすということに心がけている
だが それくらいか


たった1000週間しかないのだと思うのか
おやおや1000週間も残っているではないかと考えるのか

残りは1000週間 ー 新年年頭に考える

新年にはそんなことを書きながら 一向に進歩がない
裏窓から』見る景色も変わり映えしないものになっているのか

脳神経科、内科胃腸科、呼吸器科、循環器科、皮膚科、耳鼻咽喉科
まさか こんなに多くの医者に定期的にかかっていかねばならないことは想像しなかった

医者にかかれば長生きできるというものでもなかろう
この六つの診療科目はサイコロの目のようだ
僕はどの目を引いて死んでいくのだろうか

ふとそんなことを今思った

そろり九月が始まって 月のはじめに考える

九月は雨

過ぎゆく夏が 不憫に思えるのか

暑さの日々を呪いたくなるほど憎かったけれど
過ぎてゆくなら 笑顔でさようならを言おう

雨は今の所ジメジメと降ってはいませんが
台風が12号13号と立て続けに列島に近づくふりで
怖がり屋さんたちは また嫌な夜を迎えるのを心配している

﹆﹅

スーパームーンの話題がネットにあった
僕は月を見上げて何か想いに耽ることなど
もうこのごろは無縁になってしまった

(詩篇)

日が暮れはじめると東の空に十番目ほどの月が見えていることに気づいた

白く薄く化粧をするような影が月を幻想的にしていた
私たち十年後にこの月の下で再び会えることがあるかな
オンナはそんな夢のようなことを呟いた

旅はゆきずりの出会いだ
お互いの名前も知らない

月は傾き
夜はふけて
怪しい時間が過ぎてゆく

﹅﹆

(書き始めて 四日から六日へと日が過ぎてゆく)


月のはじめに考える

秋の風揺れるパンツの赤と黒
パーカーのインク枯らしたままである  #十六夜
涼風に寝たふりしている夜明け前
八月を棄てて新しい秋を待つ

九月になったからといって誰かに手紙を書くわけでもなく
パーカーのインクは 補充することもなく ペン立てにある

少し涼しくなって寝る時の温度調整が楽になっている
エアコンは依然 入れたままだが ほとんどが作動しておらず よく眠れる夜が二、三日続いている

不整脈

平岡内科循環器科に連絡をして 診察をしてもらう予約をした
深井くんにメールをして 不整脈のことを書いたら 彼もそのような診断を受けているがそれほど取り立てて治療をしておらず 心配をしすぎなさんな というようなことを書いてくれていた

それほど深刻には考えていない
母も九十二歳まで生きていて 若いころから心臓に心配があると言われ続け、六十歳の時には数時間にも及ぶ大腸癌切除手術も乗り越えている

心臓が止まって死ぬなら それはそれでサッパリと人生を終わろうと思う
そうもいかない心配が多いから 僕の場合は困ったもんだ

蜩やあの世に誘うような声 ー 処暑 暮れる

  • 蜩やあの世に誘うような声
  • コロナ来てあれからずっと日曜日
  • 朝顔や孤独にみえる夜明け前
  • 桔梗生けて占うようにひとりごつ
  • いきたいなあ鈍行列車の行き止まり旅  #予讃線
  • 夜明け前 少し冷やりとする窓辺

﹆﹅﹆﹅﹆﹅

ちかごろは
俳句作品を
どこかに投稿することもなく
ひとりで作って遊んでいる

まあそれでいいだろう
詰まらない作品を量産しても
何も残らなくなるし

﹆﹅﹆﹅﹆﹅

サルビア

あのとき
あの人が手を伸ばしたのは
真っ赤なサルビアの花ではなく
そばにあった私の手だった

黙って添えて
微笑んだあと
すうっと引っ込めてしまった

花は知らん顔で
そこにいた

私たちが言葉もなく交わした約束を
見抜いていたのだろうか

﹆﹅﹆﹅﹆﹅

処暑が過ぎてしまった
暑さのせいもあるが 腰をやられてから 歩くのが少し辛い
三十分以上を回ってこようとすると 腰に痛みが出る

言い訳になるだろう

(歩く)
歩数を稼ぐのが重要ではない
健康増進や長寿、痴呆防止に役立つのは適度の運動である

そのように都合よく解釈して
毎日も歩かない、長距離歩行もやめにしている

(体操)
腰のストレッチを積極的にやっている
ストレッチといっても 屈伸程度だ

関節を柔軟に曲げて 関節部分の血行促進を図りたいと思っている

* 書きかけ

夏バテ知らずに暮らしている - 八月下旬

八月中旬の最後の日に孫たちがキャンプに行った様子が届いた
今の子どもたちは 夏休みに山を駆けずり回ったり川で遊んだりしない
遊ばないから余計に危険が伴うようになり 事故が起これば目立つのだろうか

健康診断に行って 肺がん、肝炎、前立腺の検査も入れてもらった
今年は無料でやってもらえるというのでありがたくお願いをした

不整脈も見つかって 平岡先生宛の手紙も書いてもらった
九月になったら心臓の検査を受けに行こう

鰻を食べに回り道をした
「川新」は二度目で 初めての時はお持ち帰りにした
お店で食べるのが美味しい

(処暑)
そうこうしている間に処暑が過ぎた
北海道で買ったお土産が埋もれた荷物の中から出てきて 風を切って食べてみる

旅に出かけたのは六月の下旬だ
日が過ぎるのは早い


➡️ 不整脈があるのが気にかかる - 八月下旬号 外伝

京都日記ノート 

﹅ これが 台風7号8月14日9時 の様子です。残しておこう

お盆の真っ最中に台風7号が紀伊半島潮の岬から山陰地方へと抜けていった
当地は15日の午前中に風雨共に強くなってきた
県内各所で停電も起こり 台風数値的強さ以上に暴れている
我が家では幸運にも停電も風による被害もなかった

草稿として温めていても何か新しいことが閃くわけではない

夏はそのうち
気づかぬように終わるだろう
それでいいのだ
命も
気づかぬように・・なのか

先日も呟いてみたが

高齢者住宅の玄関ロビーで
人を一時間ほど待つ
読書をしながら待った

僕の前には
九十歳くらいの爺さんが
ポツンと一人ソファーに座って
前を見て じっとしている

一時間
そのまま

つぶやき

SOMPO住宅でツマがとうさんと話をしてから帰ってくるまでの間
玄関ロビーで待った時の感想です

時間は止まっているように見える
しかし
刻々と刻まれていて そこにいる人はその刻みの波に乗って呼吸をする

これまでに
生きるとはとういうことか
愉しいとは どんなことを言うのか

などを考えてきた

もしも命がここで止まったとしても
何も変化も起こらないし
激情の波が湧き立つものでもない

夏休み 作られたアウトドアな気が少しするのだ・・  八月はじめに考える

八月初めになっても考えることがなくて


7月29日、30日 孫たちはキャンプ
8月1日 図書三冊

  • 澤田瞳子
    火定
    星落ちて、なお
  • 山脇りこ
    50歳からのごきげんひとり旅 だいわ文庫

八月回顧

八月になればソワソワしていたものだ
夏休みを十日間ほどもらえたサラリーマン時代には 取り憑かれたようにバイクに荷物を積んで旅に出た

冷静に回顧すれば あれは異常なほどに職場から逃げ出そうとしていたのだろうか
家庭も置き去りにして一人旅に出るのは のちに反省しても 行き過ぎていた身勝手だという感が残る。もちろんその時の当人はそんなことなど反省もせずに既得権として遊びに出掛けてしまっていた

数々の反省が 残される時期であるものの もう後悔しても戻せない
もしも あの時間のあの行動がなかったとしたら 人生が違ったものになっていたのかどうか

責めることもできないし いまさら 塗り直すこともできない

自分の足跡に自信と確信を持つのが 一番なのだろう

アウトドアな時代

孫たちはアウトドア三昧で夏を過ごす

むかしなら 夏休みは学校科から解放されるのだが 今の子は親が仕事をしているのでそうはいかない

爺さん婆さんが近所に住まなければ 夏休みであっても普段通り 学童や幼稚園に行く

それが当たり前だからそれでいいわけであるものの 昔の世代から考えると やりきれないものも感じる

子どもは 勉強や習い事を淡々とこなし 夏休みは 滞りなく終了してゆくのだろう

熱い夏

水の事故のニュースも届く中 猛暑日の最高気温記録も日々更新をしていく

命に関わる危険な暑さ という言葉も飛び出す

大変な時代がやってきたと言って騒いでいるだけでは済まされない時代が近づいているのを感じる


大暑篇 「裏窓から」の筆休み 余白

なかなか纏まらずに外伝を書いて さて 裏窓を書こうか
と大きく息を吸っても テーマが浮かばなくて・・
(外伝)➡︎ 梅雨も明けて ゆっくりと大暑に 七月下旬号


───── どうして「裏窓から」を書き出せなくなったのですか?

まず生活リズムが単調化したからでしょうね
朝から晩まで家にいて 日々同じことをして過ごす
テレビや映画を見たりするわけでもない
食事も変化がなく うどんなどの麺類を食べたり冷蔵庫をご飯をチャーハンにしたりしてます
簡単にできる麺類は 飽きもせずに重宝しています

───── それだけではなく生活面ではどうですか

腰痛が少し治って歩けるようになったのですが ウォーキングに出かける頻度が落ちました
歩く距離を不必要に多くするのはやめて 団地内を一周する程度にしています
休日に街歩きや山歩きに行くことがなくなって 家に居て部屋で楽器を吹いている時間が増えました

───── 認知症の心配もするわけですか

そうです
物忘れには気を遣っています
いつから認知症が出てくるかが 全くわかりません
年齢的に いつ兆候が出ても おもおかしくないわけですから 心配をします
しかしながら 簡単にこれといった対策で予防ができるわけではないので 不安が募ります
ただ 必要以上に心配をして精神的に暗くなっていくのは考えものだと思っています

───── おとーさんが高齢者施設にいるんですね?

そうです
高齢者住宅という種類の施設で よく似た高齢者の人が住んでいるマンションのようなものです
介護が必要な人もありますし 痴呆が始まって医者に通院する人もあります

この日記でも 半年ほど前から 痴呆のことに少し触れることがあります(京都日記)
自分の高齢化のことを考える時間も増えたので そのことを書くときもあります

まだ梅雨は明けないみたい(十二日)ワインの封を切る- 七月中旬号

ワインのこと
少し書いておこうか

我が家にとって歴史的高価なワイン購入でしたが
やっと 今夜一つ目の封を切りました

『清見』の栓をあけてウチの人はハンバーグを作ってくれて
チーズも買ってワインをいただきました

私たちにはもったいない味です
とてもいい香りがする
甘すぎないし 酸っぱすぎるわけでもない
なるほど 美味しいワインというのは わざとらしくアピールして来ない味なのだ

﹆﹅

九日がむすめの誕生日
お祝いを何もしなかったので
このワインを贈ろう

でも ダンナさんは1%の酎ハイでも酔うてしまうから
ワインは嬉しくないだろうなあ
仲良く 乾杯をしてもらえるとええなあ

線状降水帯を知らせる報道が続く日々 - 小暑篇 七月初旬号

七月になった
精神的に随分と老いぼれてしまった

痴呆脳の話を書いているが 自分も心配になってくる一方で そのようなことをくよくよ考えるから病に冒されていく側面もあるのではないかとも思う

六月までの電気料金が五千円以下で収まったので 後二ヶ月余りは気兼ねなく冷房を使って過ごそう

『裏窓から』を考えながら 頭の整理をすると

老後の生き方について
痴呆脳が回避できないのをどうするか
一人で暮らさねばならなくなったらどうするか
健康を維持することや病気の苦痛を回避する対策などあるのか

などを考えている

社会が行末に少子化の問題を負うてどうなるかとか
国際紛争が起こって若者が兵役にゆかねばならなくなったらどするか

などとは 想像しても 『勝手にしやがれ』『高齢者や先輩人生からの声に耳を傾けない罰当たりだ』と思っている

そうだ
近年 『バチ当たり』という言葉や概念が消えていった

これが そういう社会風潮が『ストレスを生む社会』を作り出し 『人権ばかりを主張する自己中な世の中』を誘発しているのだ

と 持っっともらしいジジイの主張をして 独りごちている


(短信)
星乃珈琲店でカツカレーを食べて 少し贅沢を味わう
九日は ムスメの誕生日で ケーキの写真が届く
北海道への旅の勢いでワインを五本も買って 一生最後の贅沢
誕生日とクリスマスのお祝いにしようと考えているが・・

* 裏窓から

『しっかり 考えてみたい』と書きながら
一向に書こうとしないのである

待っている人はいないと思うので
その辺で自然消滅をするのがよかろうか

・・

考え中

なぜ 北海道か その二、

なぜかを考える

旅に出かけようとした動機を振り返る

北海道に旅する必要はなかった

はじめは銀山温泉へを計画してあれこれと宿を探すものの思い通りに計画が立てられず、ふと検索で出てきてしまった飛行機のフライトの値段が安かったので北海道へと心が動いた

安く行けるのならばいつかは北海道へと考えていたこともあって少し詳しく調べ始めてみると すっかり北海道を少し楽しんでみようという気になっていく

心のどこかに北海道はあったのだが

二ヶ月前に予約をすると割安でチケットが買えることがわかり 計画は最初とは大きく変化していく

北海道にこだわりがあったわけではないが 旅人生の始まりが北海道からだったこともあって いざ行くとなったら密かに思い続けている北海道を楽しもうという思いが 日に日に大きくなる

その気持ちを そうように押して行ったのが 父が晩年に旅をした思い出の話であった

最後の思い出に

母は先に死なれてから二十五年を過ごし 昔の話しを時々聞かせてくれる中で 二人であちらこちらにツアーに連れ添ったエピソードを話し「死んでしまう前に満足がいくほどに旅をした 後悔することな何一つない」ときっぱりと言う

そのきっぱりとした言葉のキレが こちらの心を動かしたのだ

思い出は 自分のために作るのではない

残された人のためにも 思い残すことなく北海道の旅を満足しておかねばならないのだ

1977年にヒッチハイクで回ったのが北海道だったと言うこともあるし もう行けないかもしれないという弱気もある

五月雨や未練もないと見得を切る - 五月中旬号 (京都日記)

眼科で糖尿病の所見があるといわれる

眼科所見

日記に書くことはこれくらいや

仕事なし 健康状態は不安定だ
歴史的に昔の人の視点で見れば
社会を生き抜くには能力不足の判断をされて 仕事などさせてもらえない
まさに 私はそんな状態か

人間が持つ時間軸と社会が提供する時間軸のズレあって
その中を生きていくには 暮らしにくい世紀を迎えている

﹅﹆

つまりは
野生で生き獰猛な獣たちと戦って暮らしていたらなら
もはや生き延びることなどできない身体になっている

落ちぶれてきているのを認めねばならんのだ

﹅﹆﹅﹆

﹅﹆

京都日記

車折神社の三船祭りは 来週 第三日曜です

十三日(土)のお昼過ぎから雨が降り始めまして 外に散歩に出かけるのは諦めました
そういえば「十五日は葵祭ですやんか」と思いついたのが昨夜のことでした

お天気は雨の予報ですから きっと翌る日に順延でしょう。僕は その前に京都を離れようと思っています

﹅﹆

『いっせい』の鰻をお持ち帰りで買って とーさんに届けてきました。「母の日」なので お店は予約で満杯で追加予約は受け付けず 次々とお客さんを断っていたようです

とーさんのいるSOMPOの家へも入れ替わり立ち替わり遠くから家族が訪れて 玄関先には車が溢れていた

﹅﹆

どこの じーさんも ばーさんも この季節だけは束の間の幸せだ

未来が暗い人ばかりではないものの、明日から急展開で明るくなりそうな人もいない
このまま 明かりが消えるのを待っている人たちばかりみ見える

この施設の玄関で ウチの人が帰ってくるのを待っている
時々ふらりと どんな意味か不明だが じーさんやばーさんがソファに並んで腰掛けて 話を始める

どんな程度の知り合いなのか わからないまま 静かに耳を傾けてみる

街の公園のベンチで偶然に隣り合わせになったように
━ 九十四歳ですんや、おたくは?
━ わしは八十四歳ですわ
などと挨拶を交わしているのがわかる

もしかしたら 昨日もここで会って同じように話したのではなかろうかと思うような会話をしたかもしれない

実際に 同じ話を毎日していても どちらも全く迷惑でもなく苛立ちもないような人が この建物中には 何十人もいるのだ

﹅﹆

うなぎ

とーさん うなぎ美味しかったかなあ
京都の人は、見栄っ張りで、ブランド志向なので 最初は 嵐山の『廣川』の鰻というていたのですが『いっせい』でもええという。ボクにすれば そんなに美味しい鰻でないのだけれど、そして江戸前と聞くとさらに それほど・・と期待も薄らいでしまうけど、ココと決めたら カタチを大事にするから 美味しいかどうかは二の次になってしまうのかもしれない。もしかしたら最初に食べて感動したとかいう思い出もあるのか

確かに とても上品ですし 江戸前なので蒸してあるので柔らかい。来客に出すならこんな鰻だと いかにも京都の味です

﹅﹆

老人施設でも、結核病棟でも、軍事収容所でも、癩病施設でも そう変わりがないような雰囲気のSOMPO高齢者住宅の外容ですが、とーさん自身にはそれほど悲壮感もなく、送り込まれたとか閉じ込められたという感覚はなさそうだ。それが病気のせいか、認知症の薬の投薬のせいか、人間として自然な姿なのか、不明である。だけど 切ないことにボクから見れば 穏やかに 三途の川の方を向いて 座っている毎日のように見える

時間を過ごすことにも苦心もせず 野球を見たり 相撲を見たりしていると時間が過ぎてくれるから、悲壮的なものはなく 悲しみや苦しみも 何もない、恨み辛みも湧き上がってこない。時間が淡々と過ぎるのです。人が来てくれるのが切々と待ち遠しいこともないのだが 電話をすると「今度 いつ来てくれるのや」と口癖のように尋ねる。だからと言って 行かなければ 早く来てくれとせがむこともない。

一日の時間は止まったようであり刻々と流れているようでもある、日々に愛想つかして悲鳴を上げることもない、目の前で起こっていることを記憶に残すこともないので 来客が来てくれてもやがて忘れてしまい、特に日時の感覚はなく その日が何日で何曜日であるかも (動物と同じように)意識に持つこともなく時間の流れに浮遊しているだけだ

﹅﹆

うなぎがとりわけ好きなわけでもかったはずだし、もともと食い物の味にうるさいわけでもなかったと思う。幼少だった戦後の苦労時代の食い物の苦労や生きるための苦労が頭にこびりついているから 上級なものにあり着きたいという貪欲な根性が激しく体の中を流れているので 味がわかるよりも 人並み以上に食いはぐれたくない意識がある。それを克服していつかは稼いでやろうという強い意識があって、その上での 京都の人の格式とブランドとプライド、評判と値段と見栄などが合体して いかにも京都の人らしくモノ選びをする。そこに満足があって達成された幸せを築いて来たのだろう

だから、こんな環境で「うなぎが食いたい」と言い出したとーさんの気持ちには 人生の苦心を乗り越えてきた上での栄冠をもう一度味わおうという感覚が滲み出ていると感じる。

江戸前の鰻は やはり関西好みの味では無いはずだし、京都人などは鰻なんてものよりも もっとおいしくて安いものが好きなはずだけど ある意味で鰻が高級感を持っているので 心をその点で満たしている

京都流の美味しい料理というのが頭にこびりついていて、それは守らなければ (京都人のプライドを破棄してしまうことになりかねず)よそモンに成り下がるような意識が奥深く潜在的にあるのだろう

自分たちの本質から(京都)文化を生み出したのではなく 外部からの人々が融合して侵略し合って 騙し合って、見栄を張りあって築き上げた(京都という)土地に息づいた訳で、そこで人間が生きる手法のようなものがあるのだ

﹅﹆

「そんなもんを食べさしたら 冥途への招待の晩餐になってしまう」と感じてしまうことは誰にも言えない。その考えは 間違っているかもしれないから、ボクの『悪言・毒舌』で留めておかねばならない

しかしながら、鰻を食べている姿は 可哀想で よー見ておらんから、(椅子もないけど)無理に同室で同席して一緒に食べると言い出せずに、ボクは部屋に帰って一人でいただきました

『ごちそうさま』と電話をして とーさんも『満足に』食べられたと 報告を聞いて やはり いっそう 悲しさが募るのだった


京都でのつぶやき

🐝 紐のなか三人寄れば汽車ぽっぽ
   #ぽっぽの意味を知っとるか

🐝 大堰川暴れて待つ葵祭

🐝 新緑の嵯峨野を濡らす本降り

🐝 十五日うっかりしてた葵祭

🐝 たんぽぽや 恋の花咲くぽっぽっぽ

🐝 雨降り出しとりました昼過ぎから(京都)

🐝 たんぽぽがふわふわ嵐電コトコト

GWのド真中で 旅について考えてみる

桜が散ってソメイヨシノはすっかり葉桜になってしまった
大型連休が近づいて 巷は賑やかになってきた

仕事時代に、配信する記事に うっかりと『GW』(ゴールデンウィーク)と記載してしまい、チェックで『大型連休』と指摘を受けたころが懐かしい
あんな時代から大きく舞台は回り続けている

人生の憂いにしょげてばかりもいられない
勝てない勝負であっても美しくあるべきであろう
かつて難関至難の中でも 勝ち負けの数字よりも 美を追求しようと こだわり続けたこともあったのだから

﹆﹅﹆﹅

旅のインセンティブ

不便・不自由・不満という面倒臭く世話が焼けて遅くさく格好の悪いものは 次々と世の中から姿を消してきた

野営で旅を続けていた時代にはスマホやケータイ、ETC がなかった
明日の天気がどうなるのかは即座にはわからなかった
天気予報は宿に着いて初めてわかった

ひとり旅は 不便で不自由で孤独であった
けれどもそれは当たり前のことであって 逆説的に言えば そんな情報を遮断して徹底的に孤独になるための一人旅だった

テレビニュースの映像を求めて駅に立ち寄ったことを思い出す
野営旅の道具においても未完成なものが多く 揃ったとしても便利とは限らなかった
火を起こす、湯を沸かす、雨を凌ぐ、明かりを灯す、暖を確保するなどということ自体が 鼻高々であったのだ

ひとり旅をする人は 珍しかったわけではない
だが、店に行っても現代のように十分な道具は揃っていない
旅のための情報も流れていない
だから、地図のない無人島を探検する気分を味わって旅ができた

﹆﹅﹆﹅

好奇心と冒険心

あの時代の旅人の、旅のインセンティブは 自分自身に漲る『未知なるものへの好奇心』が大きく占めていたのだろう
社会の中で窮屈に(今で言うとストレスに)縛られていたから、そこから逃れようとして「今から」飛び出す
そこは 無人島に探検に行くようなものだった

あらゆるところで 何もかもが満たされていなかったことが 「向かい風」になって前進をした

ストレスという「精神的な疾患」を定性的に解析する科学が進んで診断ができる時代になった
そんな社会の歪みの中から 逃れるために、新しいステージの人は 新しい情報や道具に温かく見守られて旅を始められる
『旅』『キャンプ』という言葉は もはや あの時代と同じものを表現していないし 再現もできなくなっている

好奇心とか冒険心の代わりに 十分に吟味して味付けされた旅のメニューが揃えられている
それを旅とかキャンプという食器で味わうようなものだ

新しいステージ

ステージが変わったと捉えねばならない
同時に 僕たちにとっての新しいステージを 僕たちは始めねばならない

社会に立ち向かっていた僕の方に激しく吹いていた向かい風が止んで時に
僕は 旅人(バイクツーリスト)をやめて バイクを手放し 生きるための向きを大きく変えた

﹆﹅﹆﹅

新しいステージの人たち

スマホ、ナビ、様々な旅のツールやグッズが生まれて便利な時代だ
僕たちのかつて夢に見たユートピアは実現された

だが、苦心して休みを取り、何もかもが未知のエリアへ 冒険心だけで突入して行った興奮は 再現できない
今の人には伝わらないということがわかってきた
現代の旅人は あんな旅の冒険を求めてはいないのだ

﹆﹅﹆﹅

四国の旅を回想して考え続けた

峠を越える

大山塊の峰の遥か向こうまで九十九折りになって伸びている山岳道路を見て身震いをした
平家の落人の集落かもしれない鄙びた村を訪ねてゆく
幕末の志士たちが山を駆け上り峠を越えて海へと向かった脱藩の街道を思い浮かべて 辿って走った
村の人と挨拶を交わして暮らしの話を聞いた
なかには泊め待っていけ、風呂に入っていけと招いてくれる家もあった
鄙びた村の人々の温かさには世話になった
景色だけが素晴らしいのではなかった
国道439号線には不思議な魅力があった
歴史時代のままの不便さや狭さ、未完成なままなところ、道路そのものの姿や佇まいにも人間味があふれていた
ヒトが歩くことで移動することを求めた
新しい文化を求めて暮らしを変えてゆくための道路だ
知恵が絞られ人間が生きる力を迸らせたことの証を道路の佇まいは秘めている

それを旅人は追い続けていた
自分の社会や現実からの逃避に重ね合わせて 身震いをしながら 身に染み込ませて 味わう旅をしていた

四国はそんな旅人を大切に見守ってくれているのがわかった
お遍路の旅にもそれが表れている

﹆﹅﹆﹅

令和の時代

情報化社会の近代化が 大きくそんな心に変化をもたらす

何かを求めて 何かを切り開いた時代ではなく
完成されたメニューを用意されて お好きなものをどうぞの時代

つまり 1
「おいしい牛丼、寿司が食べたい!」の時代ではなく
おいしい牛丼があります、おいしいお寿司がありますのでいかがですか

つまり 2
美しい景色を探し求めて彷徨うのではなく
「無人島の 崖の下にインスタ映えのポイントがあります」から ルートをご紹介します

おしなべて
そういう時代に
古い旅人の出る幕はない

そのことについて 僕は何も言わないことにしている

note

これからの海に漕ぎ出す人は 新しい船で - 新しい水夫が乗って

宮本常一や種田山頭火の本を読んで しみじみと地方をたずね歩きたいと考えて旅をした時期がある

旅人からすっかりと足を洗い 仕事も捨てて名刺も返上し無冠になってしまった

すっかり身が軽くなったのは良いが あれこれ首を突っ込んで理屈に参加してしまうクセが抜けきらない

バックストレートを全速力でぶっ飛ばす人は応援するものの 高みの見物でいいだろう

僕にはもう出番はないんだから

未来の海へは未来の船で 新しい水夫が操縦していくのがいい

旅を少し振り返ってみることにします

✻ ✻

懐かしむ

四十年ほどバイクツーリストをしていた

歴史は着々と変化をしてゆくなかで その時代がどのような背景に嵌め込まれていたのかを考えてみると 過ぎ行く時間や目まぐるしく新しくなっていく便利さや不便さが 懐かしく思える

だが、それを考えてあれこれと言ってみたところで 『昔は良かった』的な話と すでに自分が時代に取り残された『古い時代の』人であることを 明確にされるだけで 悲しさが滲むだけである

だから そんなことはやめよう

衝動的に

いったい何があれほどまで僕を惹きつけたのだろうか

全く愚かであったと今なら思うような旅であったのに 全く自分を疑うこともなく 危険も常識も世間の声も心配にも耳を傾けることなく まさに我武者羅に旅に出たのだ

そこまですることもなかろうにと思った人があろう。家族は心配をしただろう。人生の第四幕を迎えてから思うに 自分にあんな愚かさを通せる勢いがあったのだから 自分でも不思議になる。人には おそらく誰でも一つくらいは 脇目も振らず 周囲も見ずに突っ走るような力があるのだと言うことなのだろう

惹きつけるもの

何がそうさせたのかを掘り起こすのは 少し怖いし 今更掘り起こしても仕方あるまいと言う気持ちがある

冷静になれば 見えてくるものもあろうが 暴走な旅であったことを冷静に呼び戻して考察をする必要もなかろう

現実逃避

旅先の野営場で焚き火をしながら 『何故 旅にくるのでしょうね』と話した人があった

現実逃避」だと短い言葉でそう呟きながら 心の中では様々な現実への憎しみが渦巻いていたのだろう

その言葉に大きく頷いて 気持ちは通じてゆく

ポツンと

あのころは『ポツンと一軒』だけの家が珍しかったわけでもなかった。社会もそれほど注目もしないし 面白がったりもしなかった

また そのような鄙びたところに憧れるとか行ってみようとすることが 流行りでもなく目立つものでもなく 一目置くようなものでもなかった

『ポツンと』は 唯我独尊的で孤高な息使いに溢れていた

雛をゆく

バイクの一人旅は 誰も注目もしないけれども 孤高に胸を張っているような山奥へと惹かれていくのだ

日本中でここが最高とどれもが横並びになるような山深い鄙びた山村を巡った

そこには人が居て ヒトとして自分を見つめるための静けさと素朴があったのだ

地図を見て雛な場所を探す

そこは なんの手がかりもない場所で 観光案内もパンフレットもないところだった

スマホ

四〇年の一人旅人生に区切りをつける心の準備をし始めたころに 偶然の変化がいくつか重なった

携帯電話が普及し、カーナビが出回り、高速道路が整備され、ETCを使う人が増えた

さらに、やがてスマホが一般化し、情報はいつでもどこででも手に入るようになる

天気予報やキャンプ場や観光名所や道路情報を完璧に事前に入手して旅をできることによって 新しいページを開くことができる

そのことは理解できるのだけれど どうしても 旅の『色付け』や『味わい』が変わってしまうしまうのを受け入れられなかった・・とざっくりと分析している

バイクとの別れ

(トータルに人生を見直して)新しい生き方を 考え始めて 次のステージに出会ったときでもあったので 悲しいけれどバイクを手放した

四十年間、三十万キロの旅をバイクとともにして来たのだけれど 新しい旅の形と 新しい生きる愉しみを探すことにした

これまで家族を置いてけぼりにして 一人で休日を過ごした日常をがらりと塗り替えてしまう

簡単には新スタイルが出来上がるものではないけど まあぼちぼちである

孫もできたし 人生の第四幕にもやはりスポットライトは当たらないものの 上手に幕を閉めたいと考えている

余談

あのころは 就業の都合をつけて 連休は必ず最大限になるように取得した。GWや夏休みは 十日以上の休みにして旅に出た。家族は心配をしたに違いないが そんなことは御構い無しであった

後で考えると なんと酷い事をやらかして来たのかと思う

「ポツンと」のTV映像などで山深い道路が映し出されると そんな道を血相を変えて走り回って居たころのことを思う

もしもあの時にあの谷底に転落してしまっていたらと思うと 昔を思い出すことさえ辛く 思い出に浸るなどというような甘ったるい気持ちは冷めて 申し訳なさと恐怖が混在して今に蘇ってくるのだ

ツーレポ

【バイク】小さな旅
【バイク】旅の軌跡

▶️ note

京都日記 春分篇

京都日記 三月下旬 春分のころ

飛び石連休なのでというわけでもないが お彼岸なのでとーさんのところへ出かける
暖かくなってきているので 洋服や布団のシーツを交換してやらないと・・
入れ歯の洗浄は「サ高住」のヘルパーの人はどの程度やってくれるのか
あらゆることがよくわからず心配をして見にいくわけだ

緑内障の進行でほとんど視力がないため エアコンや携帯電話の操作が満足にできない
電話機の充電もできないかもしれないので ヘルパーさんにお願いをする
きちんと依頼が伝わってるのか
そのあたりの日常の世話が不安で仕方がない

もしも 家族が放り込みっぱなしで ほとんど面会にも来ない家庭ならばどうなるのだろうか
自宅から遠く離れているこの「サ高住」に放り込まれている人も 実際にありそうだ
どの程度の世話をしてもらえるのか
SOMPO のカタログには特に触れていないので契約書をくまなく読めばわかるのだが それは全てを相続しているムスコの役割で お嫁に行ったうちのツマ(長女)の出る幕ではない

ムスメ(長女)は 父のもとにこうして通うのだが その心の深層は私にも計り知れない
大慌てをした入居の頃の様子よりも 父は落ち着きを取り戻している
毎日の暮らしも 一人で暮らすペースを掴み始めていて 精神の動揺もそれほど見せるようもなさそうだ

認知症(痴呆)症状も 当初に心配をした 急激な悪化の様子もなく 不可能なことも見えてきて できることとできないこともわかってきた
ごく普通の認知症高齢者の老人である

毎朝 同じ時刻に起きて食事をし
ぼんやりと時間を過ごし
はたと思いついてはムスメに電話をかける
様子を聞いて 次はいつ来てくれるのかを問う
しばらくしたら忘れるので 何度か同じ話をして電話を切る
時には電話を切ってすぐにまた掛けてくることもある

誰と特別に話をするわけでもなく
日々何かを楽しみするわけでもない
見たいテレビがあるわけでもない

どうしてこんなふうになってしまったのだろう
長生きしすぎたからだろう
コロナで家にこもって悪化したのが原因だ

そんなふうに
同じことを振り返りながら
「まだまだ生きるから」と想像を語り
明日の朝 目が覚めない そういう時がいつかくるのだ
という場面を誰もが言葉にしないで脳裏に描き

時間が過ぎるのを
凹凸ない気持ちで送っている

二十日の夜は嵯峨野のガストで済ませる
他の日は スーパーの惣菜で 簡単に食べておく

外伝▶️

21日 春分

今年度最後になるかと思いながら
京都を訪ねている


啓蟄篇 三、 裏窓から(余白)

✤✤

啓蟄 三

何も考えがまとまらないまま『啓蟄 三、』を迎える
平和なのだろう 何も心配事もなく日々が過ぎるのだ

言い残すことはないのか

そんなことを考える日々が過ぎゆく時間の中で
果たして何を残す必要があるのか
死んでしまえば消滅ではないのか

説教じみたことは 聞かされる側にはさほど役に立たない

確かに 父の言葉は人生を振り返るたびに自省を促すことはあった
だが それが重要な鍵となって父の人生も私の人生も転換したとは断定できない

もしも 大きな失敗や後悔を招いていたとしても たった今を生きる一人の人間にとって そんな未来映画の予言のようなことは不要なのかも知れない

そんな(言葉に動じているような)柔な生き方をしているようでは 厳しい人生を生き抜く資質を持っているとも言えない

つまりは その人が生きている間に残そうとすることなど 生きている人の人生の嗜みの一種類に過ぎないのかも知れない

真に望んで過去の助言や姿が欲しいなら生きている間に盗み学び勝ち取るべきであるし 亡くして(失くして)からそのような要望が出るなら 残された資料を学者のように堀探すのがよかろう

﹅﹆﹅

これでいいのだ

元来 その程度の人間だったといえよう

大きな野望を持ったところで資質も備えておらず 多分 IQ も高くなく 性格も甘っちょろくて いい加減であったのだから この程度で終了とする

そう思うと随分と楽になるし 死んだ後の始末は多少の苦労や手間があろうとも 世間のみなさん並みに対処すればなんとかなる

膨大な遺産や資産が金銀財宝が残っているなら 悔しいと思うのだろうが 一円の稼ぎにもならないものが残るだけだろう

﹅﹆﹅

夜さり

夜さり

つぶやきから 集めてみました


❀❀❀

書きかけ
気まぐれに書き足します
またお越しください

父の逝った歳に迫り あのころの父の気持ちを思う - 天皇誕生日のころ

外伝🔗 あの人の逝った歳に迫り そのころのあの人の気持ちを思う - 天皇誕生日のころ

令和になってから 天皇誕生日は二月二十三日だ
天皇も六十三歳になるという
同じ時代を歩む人(私)が そこにいる


﹅﹆﹅

あの人の逝った歳

あの人の死亡した六十六歳という年齢に迫りながら そのころのあの人の気持ちを思う
あの人とは 父のことだ

父の脳梗塞は死ぬ数年前から起こっていたので 自分にやがてくる最後の瞬間は想像したことがあっただろうに間違いない

しかしながら そのことの気持ちを誰かに語ったというそんな話は耳にしたことはない

妻や子どもにも話さなかったのか その不安と恐怖を(誰かに)口にする機会を得ることもなく淡々と死ぬまでの時間が過ぎたのか

﹅﹆﹅

死亡診断書には 逝く六年前から死因を導く症状が記されている
あの世への道を六年間 たぶん孤独に歩みながら 心を誰にも明かさなかったことになる

「そんなに沈黙を通せる人ではない」というのが 私の推測だが 仮説を証明することも裏返すこともできる手がかりは何も残っていない

証拠はどこにあるのか・・それは遺された息子たちの心の中ということか

﹅﹆﹅

死生観

『生きること』『死ぬこと』『断念すること』をどう考えるか

松本零士さんの『生きるために生まれてくる』という言葉を先日この日記に書いたが そのあとに 色々と頭に浮かんできたことがあって 纏まらずに ぼんやりしている

同年代を走る人は皆同じ死生観を抱いているかもしれない

自分がやがて 死んでしまうなど考えもしなかった時代(人生前半)から 次第に「必ず死ぬのだ」と『観念』するようになってゆき 周りの人々が次々と死んでいき 自分もそのうち死ぬのだというカタチが見え始めと それを否定しなくなってくると その果てには『痛くもなく 苦しまず 怖くもなく幸せに 死んで行きたい』と 我儘なことを望むようになる

『死ぬときに何をどう感じて死んでいけるか』
そのことが大事なのではないか

(長生きが目的ではなく)

死ぬときに

父は人生をどのように感じて 振り返っていたのだろうか
後悔はなかったのだろうか
こうありたかったと言うような願望はなかったのだろうか
子供や孫に託したい夢はなかったのだろうか

* - 書きかけですが置いておきます(続く)

雨水の時季に のんびりとした日々を過ごしている - 雨水篇 (裏窓から)

雨水篇

松本零士さんが亡くなった 85歳

ボクは漫画やアニメに無縁の暮らしをしているので 松本零士さんの作品を読んでいないし 有名な作品を上げられても 感想は言えないのだが、偉大な漫画家ということと『本郷三丁目』の時代のことを評伝に書かれているのを読むと 苦難の時代を『本郷三丁目』にある下宿で送ったのだろうと想像します

僕より十九年前に生まれた人ですから 十九年前の時代を走っていたと思うと 懐かしい下宿屋の風情などを思い描く

たかが十九年といえど 僕の頃の十九年は現代の十九年とは「速さが違う」から わたしの頃とそう変わりがなかったのではなかろうかと思う

この時代を生き抜いた人の 「不便で貧しい暮らし」は もう二十一世紀の人には実感として伝えられないだろうと思うと それが最大の『寂しさ』だ

『昭和の時代』を取り上げるメディアを近頃見かけることが多いが そこには『昭和後期』が多く 『昭和前期』から『昭和中期』のころは メデイアの(儲けの)ネタにもならず注目もされない時代に なってしまったのだと感じる

汚いトイレ、暗い裸電球、鍵のない戸板の下宿の入口など 歴史の教科書にも登場しない時代になってしまった


﹅﹆﹅

雨水の時季に のんびりとした日々を過ごしている

「技は盗め」
「黙って見て学べ」
「一を聞いて十を知れ」
「見てわからんなら聞いてもわからん」

父はこの言葉をよく口にした

「あのなあ、師匠なんてものは、誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん」
(立川談志)

少し前にこんなことを書いている日記を見つけてメモに残している

それを読んで私は
『この二つの正反対の言葉を同じ方向に向けるところに人を育てる難しさがある』と書いている

自分で書いておきながら正にその通りだと思い また 自分にはできないことだとも反省した

もしも わたしの父の日記が残っていたならば その言葉について何か言及していただろう

✪✪

コツコツと農作業をする傍ら口癖のように私に呟くように話したものだ

説教に感じた若きころもあったが 親になって爺いになって言葉の意味が染みるようになった


倜儻不羈
--
(六然から)
自處超然
處人藹然
有事斬然
無事澄然
得意澹然
失意泰然

﹅﹆﹅

十八歳で家を出てから
父とゆっくり話をしたり
食事をした記憶はほとんどない

四十一歳の時に逝ってしまう

説教も聞かなかった
好きな食べ物も話すこともなかった
酒も酌み交わさなかった

ハヤシライスが食卓に出て
一緒に食べたこともなかった


﹅﹆﹅

秘伝日記には 認知症についての所感が多くなる

同じようなことを繰り返し日々考え続けてこの先患う人はどうなるのだろうという不安

そして自分がその時を迎えたらどうするのだろうという想像

﹆﹅﹆

「人は生きるために生まれてくる」

という松本零士さんの言葉

。。

ふとしたことで自分の読後感想を読む

岡持太郎の本だ

岡本太郎の言葉 ─ 強く生きる言葉
岡本太郎の言葉 ─ 愛する言葉

そんなことを考えていた


外伝から

雨水の時季に のんびりとした日々を過ごしている - 二月中旬

はじまりはバレンタインの美術室

タンポポを探しに散歩 ぽぽぽのぽ

春近し明るい農村散歩する

鳥啼けばおんもにでたいとうとた日々

冬の花ちょきんと切って生き返る

母はとてもタートルネックが好きでした

赤鬼のこと忘れていって冬終わる

サプライズの秒読みが始まっている夜明け

結末に見とうもないわ冬景色

花におうて無事澄然な雨水なり  #匂う

春告げる出会があれば別れも告げる

春告げる出会いも告げるし別れも告げる

講義さぼって聖橋から丸の内線を意味もなく見ていた青春時代

スケッチはハイヒールから描きはじめる春の坂道

石畳黄色い花の蝶の道

路地奥に馬酔木隠るる昼下がり

『認知症世界の歩き方』 春 ゆるやかに ー 二月初旬号

『認知症世界の歩き方』を読み進む

知らない事に出会う
知っていることが 丁寧に整理されている

❇︎❇︎

とても身近にあるのが認知症だと思いながらも、如何に認知症を知らずに、時には 間違って理解していて、きちんと整理された書物を読むことは必要だと痛感する

❇︎ もう少ししっかり読んでから続きを書き足したい

❇︎❇︎

久しぶりに田んぼの方へと歩きに出た
きっと麦がすくすくと大きくなっているだろうと予想していた
予想どおりでホッとする
嬉しい


心機一転 如月日記は新ページ ー 二月初めに考える

一月をしっかりと締めたいと思いながら お座なりのまま二月となった

人生の節々できちんとけじめをつけてきたわけでもなかった
なのに 愈々終末が近付けば妙に細かい事を気にするようになる

▾ 結ぼった糸は無理してほどかない  #糸
などと書きながら

▾ 雪嵐去って名残の宇多野かな   #京都
▾ 寒風やねじれる果ての嵐山    #京都

オムライスを大津市で食べて京都入りをする


天山の湯でリラックスして垢も落としてこようと考えたが コロナの時期であるし 高齢者も身近にいるので 控えることにした

❇︎❇︎❇︎

『サ高住』の住み心地は 健康な我々から見たら快適で 食事も粗末なものではなく 家庭で家族に世話になるのと変わりがないだろう

どこまで気持ちが納得できるかである

脳が健常に反応しないことで 健康な人が想定して作り上げた住まいの生活システムが 健常でない人にマッチするかという大きな課題があるものの 多くの人にフットするようにできる限りの仕組みは考えてあるようだ

不満や不具合が出るならば その人に応じた対処法を当てるしかない

❇︎❇︎❇︎

費用にはノータッチで来ているが それなりに高額な様で 私などの年金額では入居できるところではないということもわかってきた

幸せな終活を押し付けるつもりは毛頭ないが ムスメとして頑張って付き合えるだけの準備はできていると思う

可哀想だと思う反面 この条件で幸せを感じてもらうしかない、集束するところは無茶な姿でもないだろう

📌人生に答え合わせはありますか ー (余白篇)

📌人生に答え合わせはありますか

そんな走り書きをノートに残して
ちょっと待って 消さずに少し考えてみよう
と思っている

﹅﹆﹅

僕たちは生まれてからずっと
何かを問いかけられて それに答えて
正解を聞いて 軌道を修正して
歩んできている

必ず そこには答えがある
そして そこには 正しい答えと間違った答えがある

﹅﹆﹅

間違いは 道を進むにおいて 選択してはいけない答えで
普通に経験を積む過程で 間違いを排し 正解を手に取るようになる

だが
人生をそんな明快なステップで歩んでいけないことは分かっていて

時には
正解が無いまま進まねばならないこともあるし
正解ではない答えを頼りにゆかねばならないこともある

﹅﹆﹅

全速力で走り終えた人もあれば
コントロールをしながらゴールを目指してきた人もあろう

足跡を残しても
それが美しいものであるとも限らなし
自分が歩んだ道のりが 正しかったとも言えない

果たして
正解があったのか

あったとしても
その正解を縒り戻してもう一度やり直せるのか

正解を正解だったと誰が何に基づいて断定できるのか

そう考えると
人生に答え合わせはない
必要もないのかもしれない


🔗 一月中旬のころ あれこれ

寒の入 じわりじわりと過ぎる日々 ー 日々雑感

✘ ✘ ✘

痴呆脳の行動に添うてゆく暮らしが身近になってくる
すると 自分の行動までもが似てくるような錯覚に襲われる
日々の行動で心配なことが発生すると 不安を煽られる

  • 水道栓の締め忘れ
  • ガスコンロのの消し忘れ
  • 電気の消し忘れ

決して 痴呆脳は遠いものではないと思う一方で
必要以上な心配をするのではなく
前向きな行動改革をするのがよかろう

✘ ✘ ✘

✘ ✘ ✘
成人年齢が 十八歳に引き下げられている
関連ニュースが流れている

四十五年前を回想するものの 過去は過去というサラリと流した気持ちが昨今は増える
残りの人生に思い出はそれほど重要ではないと思い始めている

✘ ✘ ✘

✘ ✘ ✘

翌朝のノートから

夜明け前今見た夢が忌々し  07:10:03

冬の夜閉じられたままの日記帳 06:41:59

✘ ✘ ✘

(翌日に続く)

寒の入りぶるりと震えて満月 ー 小寒篇 

新年を京都で迎えてそのあとすぐに家に帰った
生まれてから自宅で新年を迎えなかったのは 十八歳の浪人中だけで それは相応しい決意の行動だった

大晦日から新年をそのように過ごすことは ただならぬ事であり 今年も例外ではなかったと言えるのか

❇︎

正月を京都で迎えて 二日に家に帰る
ラーメンと唐揚げが食べたい
その言葉が表すが如く 何と平和で安泰な新年なことか

❇︎

『痴呆脳』を考え続けていても答えが出るものでもない
正月明けに実家を訪ねて母や兄弟と話すなかで「ボケきってしまっては 生きていても 生き甲斐を失い その人にとっても気の毒かも知れぬ」という内容が話に出る

それほど身近でなかった認知症や介護と併走する暮らしが 今の社会には普通に存在していて 九十二歳を迎える母親の身の回りでも日常茶飯事で そういった人々に囲まれて日々を暮らしながら 母は自分の順番を待っている

その息子たちにも 迫り来る『その時』は決して想像の物語ではない

❇︎

祖父も父も 六十五歳、六十六歳で逝っている
これは紛れもない事実で この血脈を受け継ぐ者には 逃れられない生きてゆく時の条件だ

たかが遺伝といえど されど遺伝である
生命科学や遺伝学をしっかり考えてみれば自明のことで 身体の生きる力を支えるための重要な箇所は その遺伝子で構成されている

だから早く死ぬとは限らない
医学も進化している

❇︎

しかし長生きは 宝くじに当たるようなもので 早いか遅いかは 自分の意思とは別のところにある力が働くこともある

覚悟をして
美しく 生きていたい

いまさら 大きなことをしたいとも思わない

沁みるということ ー 令和四年師走に考える

しみる(沁みる)という字を漢字で書いて立ち止まっている

その時に十七音で綴ったのが 次の句で 作品としては駄作かもしれないが 自分に問いかけるものを噛み締めている

年の瀬は焚き火の煙も目に沁みよう   #忘れる

﹅﹅﹅

十二月の初旬に認知症の症状が急激に悪化した父親を介護するために京都に来ている

ツマに付き添って停止しているような時間を 一日中過ごし 答えのない問題のゆくえを不毛だと分かりながらも 解きほぐすゆくえを一生懸命考え続けている

次々と滲み出てくる後悔、解決の糸口のない未来のゆくえ、手の打ち様のないが決して難題でもない選択肢 これらが為す糾える迷いをほどこうとして喘いでいる

前に進もうと何歩も足を踏み出しても 進んでいる手がかりは感じられないまま 暗闇の中を彷徨うように 誰も保証をしない得体を掴みながら進む

痴呆の人を見つめ続けることは苦痛である

手を差し伸べても 応えが返ってこないし あったとしてもそれは 幻か夢やうつつと変わりがない

﹅﹅﹅

生きていることに疑問を抱き 生きていても仕方ないから もう死んでしまった方が良いのだとさえ思い詰める

親子であるがゆえにそんなことを考えてはいけないという気持ちがいっそう自分を締め付けている

﹅﹅﹅

『沁みる』

言葉は無常であり 無情とも言えるか

そもそも・・と口癖が出てしまう


🎋🎋🎋

心に沁みると言う言葉がある
煙が目に沁みる、胸に沁みるなど、心の中に入り込み身体全体を痺れさせてゆく

「毒に痺れる」と使えば何かいけないものが沁み込んでくるのがわかる

忍び込むものは 毒であり薬であり 喜怒哀楽の感情でもあろう
痺れをもたらす魔薬は 心の中にまでいきわたり魔法をかけたように魂にまでおよぶ

🎋🎋🎋

『沁みる』

焚き火を見ながら 全てを燃やし尽くしたいと思う人もあろう
これで燃え殻になってくれれば オシマイだ とさっぱりとする人もあろう

甦る後悔や憎しみ、恨みもあろうし 歓びもあるだろう

令和四年の師走
どこかで焚き火をしながらその煙のゆくえをぼんやりと追うことができるならば、忘れたいことを燃やし尽くして 新しい年のために数々の怨念を また今年も忘れようとするのだろう

認知症と付き合いながら考える日々 ー 師走の或日

12月26日の外伝に
こがらしの一日吹いて居りにけり ー 年末整理
という日記を書いた

﹅﹅﹅

❀ 十二月初旬から

少しずつの進行の中で 激しい暴言が起こったのが初旬のことで 日々寄り添って暮らす老老介護のツマも家を飛び出さざるを得なかった

正常で穏やかな時間もあるものの あばれだすと手に追えないし 何よりもそれ自体を本人が記憶していない

認知症とは一体どんなものなのかと初めて考えだしたのでした

❀ せん妄発症 その後 鎮静化 

荒立てる時間の裏側で 老人同士で「暴れる人の介護は無理」と非難して出ていたツマに帰って欲しいと嘆く日が増えて 逆ギレが出て「離婚だ」と騒いだり「資産が・・」と言い出して 街に徘徊をするようになる

一方でケアマネさんのアドバイスを参考に『サ高住』を探したり 施設に頑固に行きたがらない本人を説得したりしている

少しずつ落ち着いて 入居の契約もして 介護認定が出るのを待ちながら入居日を決めた

❀ 老老介護のゆくえ ー 『サ高住』へ

正月が明けたら 施設に入居させる予定となった
投薬や通院は 施設に入って 介助を受けながら可能である
掃除 洗濯 入浴も家屋の付き添いなしで 介助を受けられる模様だ

家族は ひとまず見込みが立ちそうで 安心をしている
住居が変わるのが心配だが あとはやってっみるしかない状況だ

❀ 痴呆の進行具合は

一ヶ月前と比べると静かである
精神安定の薬の効果だけではなかろうと思う

つまり 脳の働きは 日々進行していて 痛みに例えればもはや我慢できない痛みの域になっているのではないか

❀ 観察していると

脳みそに飛び込んでくるあらゆる事象に敏感に反応する能力は 一気に劣化している
放出する感情的動作も そうとの割合で消滅しつつある

施設に入れば 加速するように「惚け」は進むだろう
「あんた誰や」と言われる日は 近いうちに必ずくる

分かってながら防ぎ様がないので みんな口には出さないが 悩んでいる
いや もう悩まないで待っているのが正しいのか

覚悟を決める時間が 刻々と過ぎてゆく

きさらぎの日和もよしや十五日 上島鬼貫

■ 巻頭言

例年になく寒い冬になりました。

立春を過ぎてもいっこうに寒さは衰えず、友だちが「三寒四寒」と言って笑わせてくれました。

建国記念日の朝にはうっすらと雪が道路をおおいました。

パソコンに向かうときも、冬山に出かけるような防寒対策をしています。

それでも、手が冷たいです。

二月は「如月」ともいいます。

寒さで着物を更に重ねて着るからでしょう、漢字で「着更着」とも書きます。

「きさらぎ」と読みますが、むかしの人は洒落た名前を付けてくれるな と、まことに感心をします。

きさらぎの日和もよしや十五日 上島鬼貫

鬼貫の句にはもっと難しくてインパクトのあるものを密かに期待してしまいますが、この句はホッとします。

立春も過ぎましたし「きさらぎ」とひらがなで綴ってじっと春を待つのでしょうね。

■ あとがき

先日、鳥羽市の離島を訪ねて、小さな旅を愉しんできました。

定期船で島に渡るのですが、それはそれは冷たい風が海上を吹き抜けます。

海に出て木枯帰るところなし 山口誓子

島の住人の人たちは誰もデッキに出ようとはしませんけれども、船に乗るのが大好きなので冷たい風に吹かてきました。

島の中を健康ウォークを兼ねて散策をするうちに、港の小屋の軒先で日向ぼっこをしているお年寄りを何組も見かけました。

言葉にならない暖かさを感じながら島旅ができました。

旬のお魚も美味しかったです。

この峡(かい)の水を醸して桃の花 飴山實

春は、飴山實の句がほっこりします。

十二月 迫る年の瀬に考える (巻頭言から)

12月号  (巻頭言は重複します・ご容赦)


■  巻頭言

師走を迎えて本格的にいよいよ来たかと思わせる寒波と共にフォークソング「風」を作曲してヒットさせた、はしだのりひこさん死去のニュースも飛び込んできました。

1960年代後半から一世を風靡した「ザ・フォーク・クルセダーズ」や「はしだのりひことシューベルツ」の名前を知らない人も多いかもしれません。

五十年という歴史のページをパラリと捲ってすべては過去の中にしまい込んでしまうこともできましょう。

けれども、それでは少し気が収まらないというわけで、酒を片手に音楽を聴いてあのころ・あの人を偲びました。

北山修・はしだのりひこのコンビでヒット作を放った「花嫁」も回想するなかに出て来ます。

「花嫁は夜汽車にのってとついでいくの」と歌っても何の違和感もないどころか、夢とロマンに満ちていた時代でした。

天国にはこわい神様がいて地上へと追い返されることもあったのかもしれない。

しかし今も昔も「プラタナスの枯れ葉舞う冬の道」は変わりなく、京都・都大路には「プラタナスの散る音に振りかえる」人が溢れて賑わっていることでしょう。師走は刻一刻と暮れていきます。

これを書き始めた日から配信する日まで、日一日と目まぐるしく変化する波のなかで、今年一年を省みて漢字を考えたりしながら、ふっと五十年を振り返ってみる時間があったので、ここに覚え書きをしておこうかなと思ったのでした。

みなさま、良いお年をお迎えください。


■ あとがき

時間という波のなかで新しいモノが生まれ、流行し廃れてゆきます。それをひしひしと感じるのが年末であり年度末でもあるのでしょう。

12月初旬に話題になった流行語大賞も興味深いのですが「羽生善治・永世七冠」のニュースのほうにも惹きつけられました。

そこでちょっと「羽生語録」を辿ってみると、とっても鋭く切れている言葉の数々がありまして、何れにおいても淀みのない深さや重みを感じます。

将棋・囲碁などといった勝負では凡人の私には信じられないような思考や読みが展開されます。

100手以上ともいわれるステップを冷静に見極めてゆくときの頭のなかは、どのような動きをしているのかは計り知れません。

駒や石の展開を追いかけているだけでひとつの美学に出会ったような思いに駆られますし、「羽生マジック」には多くの人が驚かされていることでしょう。もはや勝負の世界を忘れていってしまいそうです。

揮毫で「玲瓏」と書きます。その言葉の意味は、雲ひとつない晴れ渡った景色またはそのような心境で透き通った静かな心持ちを表します。「八面玲瓏」からの言葉です。

語録には

「いかに戦うか」は大局観にかかわるが、その具体的な戦略は事前研究が決め手になる。
事前にしっかり準備して万全の態勢で対局に臨んでくる人は強い。

誰でも最初は真似から始める。
しかし、丸暗記しようとするのではなくどうしてその人がその航路をたどったのか、どういう過程でそこにたどり着いたのかその過程を理解することが大切。

勝負の世界では「これでよし」と消極的な姿勢になることが一番怖い。常に前進を目ざさないとそこでストップし後退が始まってしまう。

などの名言が並びます。

顧みることも大切としながら、来る年を如何に構想するかを考えることにして本年最後のメルマガのペンを置くことにします。

1年間ありがとうございました。