雨水の時季に のんびりとした日々を過ごしている - 雨水篇 (裏窓から)

雨水篇

松本零士さんが亡くなった 85歳

ボクは漫画やアニメに無縁の暮らしをしているので 松本零士さんの作品を読んでいないし 有名な作品を上げられても 感想は言えないのだが、偉大な漫画家ということと『本郷三丁目』の時代のことを評伝に書かれているのを読むと 苦難の時代を『本郷三丁目』にある下宿で送ったのだろうと想像します

僕より十九年前に生まれた人ですから 十九年前の時代を走っていたと思うと 懐かしい下宿屋の風情などを思い描く

たかが十九年といえど 僕の頃の十九年は現代の十九年とは「速さが違う」から わたしの頃とそう変わりがなかったのではなかろうかと思う

この時代を生き抜いた人の 「不便で貧しい暮らし」は もう二十一世紀の人には実感として伝えられないだろうと思うと それが最大の『寂しさ』だ

『昭和の時代』を取り上げるメディアを近頃見かけることが多いが そこには『昭和後期』が多く 『昭和前期』から『昭和中期』のころは メデイアの(儲けの)ネタにもならず注目もされない時代に なってしまったのだと感じる

汚いトイレ、暗い裸電球、鍵のない戸板の下宿の入口など 歴史の教科書にも登場しない時代になってしまった


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雨水の時季に のんびりとした日々を過ごしている

「技は盗め」
「黙って見て学べ」
「一を聞いて十を知れ」
「見てわからんなら聞いてもわからん」

父はこの言葉をよく口にした

「あのなあ、師匠なんてものは、誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん」
(立川談志)

少し前にこんなことを書いている日記を見つけてメモに残している

それを読んで私は
『この二つの正反対の言葉を同じ方向に向けるところに人を育てる難しさがある』と書いている

自分で書いておきながら正にその通りだと思い また 自分にはできないことだとも反省した

もしも わたしの父の日記が残っていたならば その言葉について何か言及していただろう

✪✪

コツコツと農作業をする傍ら口癖のように私に呟くように話したものだ

説教に感じた若きころもあったが 親になって爺いになって言葉の意味が染みるようになった


倜儻不羈
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(六然から)
自處超然
處人藹然
有事斬然
無事澄然
得意澹然
失意泰然

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十八歳で家を出てから
父とゆっくり話をしたり
食事をした記憶はほとんどない

四十一歳の時に逝ってしまう

説教も聞かなかった
好きな食べ物も話すこともなかった
酒も酌み交わさなかった

ハヤシライスが食卓に出て
一緒に食べたこともなかった


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秘伝日記には 認知症についての所感が多くなる

同じようなことを繰り返し日々考え続けてこの先患う人はどうなるのだろうという不安

そして自分がその時を迎えたらどうするのだろうという想像

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「人は生きるために生まれてくる」

という松本零士さんの言葉

。。

ふとしたことで自分の読後感想を読む

岡持太郎の本だ

岡本太郎の言葉 ─ 強く生きる言葉
岡本太郎の言葉 ─ 愛する言葉

そんなことを考えていた


外伝から

雨水の時季に のんびりとした日々を過ごしている - 二月中旬

はじまりはバレンタインの美術室

タンポポを探しに散歩 ぽぽぽのぽ

春近し明るい農村散歩する

鳥啼けばおんもにでたいとうとた日々

冬の花ちょきんと切って生き返る

母はとてもタートルネックが好きでした

赤鬼のこと忘れていって冬終わる

サプライズの秒読みが始まっている夜明け

結末に見とうもないわ冬景色

花におうて無事澄然な雨水なり  #匂う

春告げる出会があれば別れも告げる

春告げる出会いも告げるし別れも告げる

講義さぼって聖橋から丸の内線を意味もなく見ていた青春時代

スケッチはハイヒールから描きはじめる春の坂道

石畳黄色い花の蝶の道

路地奥に馬酔木隠るる昼下がり

あ・う・ん - 芒種篇 裏窓から

父親に教わったこといくつか を考えていた

  • パジャマのボタンのとめ方
  • 風呂焚きのマキのくべ方
  • 靴紐の通し方
  • 靴のかかとを踏まない工夫
  • 風呂上がりの身体の拭き方
  • 襖や障子の上手な閉め方
  • 寝巻きの帯の締め方
  • 縁側や軒の庭箒での掃き方
  • 鶏の捕まえ方
  • 蛇の持ち方
  • ナイフで鉛筆の削り方

すぐには思いつかないため
思い出しながら書きなおしていくことにする


一を聞いて十を知れ
見てわからんものは聞いてもわからん

この言葉は 直訳しただけの軽々しいものではない

  1. モノを習う時はまず習うことに集中して
    何を習得するべきなのかを見据えていなくてはならない
  2. わからん時は聞けば良いのだが
    聞いた以上は奥に潜むものを探り出し盗み取ることが大切だ
  3. 黙って仕事の様子を見ることから始めて
    技を見抜こうとする姿勢を磨いた上で要点を一つ聞けば十倍以上のコツが得られる

そういったことを いちいち口で説教することもなく
「黙って見て学べ」と口癖のように言うたものだ

「質問をしてはいけない」とけっして思っていたわけではない

的確な質問をしてこそ モノをどこまで理解できたかが 教える側からも推し量れる
言葉では伝えきれないところまでも丁寧に伝えようとしていた

『あうん』の人だったのだろう


伝えるものそのものやそのこと自体が
明確に言葉になっている必要もない

気持ちや熱意でもよかろうし
興味のようなものでも良い

目のつけどころの生む感性のようなものであっても良い

子どもに伝えて世代を超えて孫にも
『あうん』で伝わっていくものがあるのかもしれない

祖父の足跡や実績、語録などを掘り起こすたびに
そのようなことを感じる

孫たちは大人になってそのことに気づくだろうか

父の最期の言葉

父の最期の言葉

二十年前の大寒の二、三日後に父は亡くなっている

残された母の話によると
亡くなる日の二三日前には
既に意識がぼーっとしてたらしい

ビールが飲みたいと言うのであるが
こんな状態で飲ましてはならんと思い
お茶をやったという

「ビールと違うやないか、まずいなあ」

言うてやったわ
と あのときを母は回想している

それが父の最期の言葉であったことになる

2018年1月29日 (月曜日)
増殖する(秘)伝

便利さと豊かさがもたらすもの ➖ 小寒篇 (裏窓から) 

🍀 便利さと豊かさがもたらすもの

人工知能という言葉をよく耳にする
学生の頃(1975年-82年頃)にそんなことを夢見たが
世の中は振り向かなかった
先取りしすぎで 人工知能学会でさえ数年後に発足したのだから
当時は現実味のない分野だったかもしれない
目指す定義も変化した

わたしは 人間の行動を人工知能という一つのシステムでモデル化することを夢見た
行動科学や認知心理などの方面と医学生理学(脳科学)と情報科学とを融合させるような夢を描いた
コンピュータの性能が格段に向上し夢自体が別のものを目指すことができる世紀を迎えて
わたしが当時の論文に書いた人工知能は歴史上の幻となった

♦︎

必要は発明の母である

しかし便利さと豊かさに満たされた今では必要(や欲望)などは必ず叶うもので
テクノロジーの進化で必ずや実現されてしまうものである

今では発明は必然であり 夢としての姿を もはや抱く人もなく薄れている
ヒトの不満や要望を叶えて自動車の高性能化はますます進む
けれどもヒトはそれをコントロールできずに暴走させることがある
人の心もそれを抑制できずに高速状態での事故を起こしたり
ゲームや酒を抑えることができずにいる

きっと人工知能は人の住む社会をとても便利にするのだろうし満足させるはずだ
だが一方できっと想像を絶するような愚かでアホなことを当然のようにして反省も起こらず事件を必然にしてしまうだろう
知は僅かなマイナスを押し切ってプラスを誇る

原発や戦略兵器がそうであった
情報化社会というシステムの総合体も似たようなもので
視点を変えれば人が生んだ愚かなモノだといえないか

荒んで歪んでゆく人の心を救うことができず傷ついた人を(あるいは心を)綻びを治すように繕うだけだ
やがて
人の住まない街で信号機が動き続けような
荒廃した未来が来るようなドラマじみた風景を想像してしまう

便利さがもたらすものは一つ一つを取り上げれば豊かで幸せなものである

経済は発展し物質文化はスパイラルのように向上する
一方で
間違いなく人間から人間らしさを奪ってゆき
人間から人間らしい能力を引き抜いて潰していってしまう

🍀 困った時には鏡を見る

わたしは成人のころの日記に度々こう書いた
さほど深い意味はその時にはなかっただろう

♦︎

新年にふとしたところで思いつき的に
「常に遠くから見るという視線(眼力)を持って邁進してください
困った時は一歩さがってモノを見る
見えるところまでさがってみるのも勇気」

と書いた

この言葉はありふれた一般的なものであろうが書いたあとで派生する異なることを考えていた

<大きな流れを泳ぎ渡るときに父(オヤジ)の背中と言葉を思い出してください
きっと最初の大きな壁のときにはその人の言葉はチンプンカンプンであるとか意味不明とか時には反発のことがあると思いますがこれが珠玉の金言に見えてきたら相当に一人前に近づいていると思っていいのではないでしょうか>

このわたしの意見はその子に届けることはできなかったがいつかきっと彼も気付くだろうと思う

困った時には鏡を見る
これは鏡に映った自分自身を見つめるのではなく
自分をここまで作り上げ導いた人の情熱をじっと静かに振り返ることなのだ

あの時の父の言葉が蘇ってくるようになれば一人前に近づいてゆく兆しだ

🍀 地震・雷・火事・親父

小寒から成人の日の間の頃になると父の命日も近くなることから様々な後悔や懺悔のことが多くなる
全く幾つになっても進歩のない爺爺ぃである

若い頃とは打って変わって
考え方や生きる姿勢の舵を大きく切った
義理人情の義理などは糞食らえと暴言を吐いていたことがあったのだが

このごろは 義理がこの世を渡る人の心得の中で最も大事なことなのだとまで言う
義理を果たせないような奴は人の屑だ
果たして初めていっぱしの人の道を歩む資格ができるとも言う

最初に書いた「地震・雷・火事・親父」という言葉における自らの対峙の仕方も変化してきている

去年は地震も雷も火事も災害をもたらした年であった

怖いものは怖い
親父なんてものは怖くないと思っていた時もあった
今でもそうでもないのかもしれない
逝ってしまって二十年も経てば鬼ような怖さは全くない

世の中の最も怖いものがわたしを睨みつけているとするならば
その後ろでもっと怖い眼で睨んでいるような気がするのが親父ではないか

若者よ 心に鬼を棲ませなさい