自然に還るということ - 雨水篇 【裏窓から】

県庁へと登る坂道に小さな紅色の梅が花を咲かせているのを見つけたのは大寒を二、三日過ぎた朝のことだった
あの日は霙まじりの空模様で梅の花は冷たいしぐれに打たれていました

梅一輪一輪ほどの暖かさ  服部嵐雪
あれから幾度も雪しぐれの日がありました
けれども、春は確実に着々とやってきています

梅が香にのつと日の出る山路哉  松尾芭蕉
梅という花はとても高貴で芳しい香りを放つので大好きです
ぴりっと冷たい空気の朝、散歩に出かけてみると
どちらからともなく甘酸っぱい梅の匂いが漂ってくると幸せ気分が二倍になる

🍀

今月号のメルマガにシイタケの菌打ちの講座の案内を見かけました
これは農家では冬の仕事の一つでした
子どものころ、父がたくさん椎茸を育てていたのを思い出します

思い出といえば、今はほとんど見かけなくなった炭焼きも二月頃でした
煙が濛々と昇る炭焼き小屋の山まで連れられて行き小屋の中に入ると
中は真っ暗で生暖かった
もう記憶というには儚いほどぼんやりとした微かなものになってしまいました
消えてしまってはいけない暮らしの一コマなのだと思うのは昔人間だけでしょうか
あの温もりが懐かしい

何年か前に炭焼き小屋がどこかに残っていないかと思い山道を探し回ってみた
しかし、今やそんなことに時間や金をつぎ込む人はほとんど消えてしまいました

忙しいのか興味がないのか非実用的と思っているのだろうか

コメを生産する農家の人々は冬になると山へ行って仕事をすることが多かった
山は私たちの命を育んでくれている大きな資産です

文明が進化して、あらゆるものが最初から揃っている時代になった
便利で何不自由なく幸せに暮らせるから
豊かさはICチップやコンクリートの建物の中から生まれるとでも考えているのだろう

一人の技術者としてそんな浮かれた幻のような幸せに惑わされてしまっていたのが恥ずかしい
ヒトは不便に回帰して自然の守られて暮らすのが本来の生きる道だ
しかしそんなことを言い出せば変わり者扱いされるだけでしょう

雨水のころになると
間違いなく暖かい日が何日かおきにきて
嬉しくなってしまう

冬は冬で特別に嫌いではないのだが
寒さに気を張りつめている日々から時には解放されたい
と思っているのだろう

🍀

二人で買い物に出かけて
たくさん並んだ催事場のチョコをみていると
なんの申し合わせもなく何種類か買って帰ってきてしまう

バレンタインにチョコを贈ったりもらったりして
感動をしたような記憶はないのだが

大雪が降って
道路も何もかもが埋もれてしまった思い出がある

春を待つ今の季節は
嬉しいものから悲しいものまで
思い出がたくさんあり過ぎて少し困る

便利さと豊かさがもたらすもの ➖ 小寒篇 (裏窓から) 

🍀 便利さと豊かさがもたらすもの

人工知能という言葉をよく耳にする
学生の頃(1975年-82年頃)にそんなことを夢見たが
世の中は振り向かなかった
先取りしすぎで 人工知能学会でさえ数年後に発足したのだから
当時は現実味のない分野だったかもしれない
目指す定義も変化した

わたしは 人間の行動を人工知能という一つのシステムでモデル化することを夢見た
行動科学や認知心理などの方面と医学生理学(脳科学)と情報科学とを融合させるような夢を描いた
コンピュータの性能が格段に向上し夢自体が別のものを目指すことができる世紀を迎えて
わたしが当時の論文に書いた人工知能は歴史上の幻となった

♦︎

必要は発明の母である

しかし便利さと豊かさに満たされた今では必要(や欲望)などは必ず叶うもので
テクノロジーの進化で必ずや実現されてしまうものである

今では発明は必然であり 夢としての姿を もはや抱く人もなく薄れている
ヒトの不満や要望を叶えて自動車の高性能化はますます進む
けれどもヒトはそれをコントロールできずに暴走させることがある
人の心もそれを抑制できずに高速状態での事故を起こしたり
ゲームや酒を抑えることができずにいる

きっと人工知能は人の住む社会をとても便利にするのだろうし満足させるはずだ
だが一方できっと想像を絶するような愚かでアホなことを当然のようにして反省も起こらず事件を必然にしてしまうだろう
知は僅かなマイナスを押し切ってプラスを誇る

原発や戦略兵器がそうであった
情報化社会というシステムの総合体も似たようなもので
視点を変えれば人が生んだ愚かなモノだといえないか

荒んで歪んでゆく人の心を救うことができず傷ついた人を(あるいは心を)綻びを治すように繕うだけだ
やがて
人の住まない街で信号機が動き続けような
荒廃した未来が来るようなドラマじみた風景を想像してしまう

便利さがもたらすものは一つ一つを取り上げれば豊かで幸せなものである

経済は発展し物質文化はスパイラルのように向上する
一方で
間違いなく人間から人間らしさを奪ってゆき
人間から人間らしい能力を引き抜いて潰していってしまう

🍀 困った時には鏡を見る

わたしは成人のころの日記に度々こう書いた
さほど深い意味はその時にはなかっただろう

♦︎

新年にふとしたところで思いつき的に
「常に遠くから見るという視線(眼力)を持って邁進してください
困った時は一歩さがってモノを見る
見えるところまでさがってみるのも勇気」

と書いた

この言葉はありふれた一般的なものであろうが書いたあとで派生する異なることを考えていた

<大きな流れを泳ぎ渡るときに父(オヤジ)の背中と言葉を思い出してください
きっと最初の大きな壁のときにはその人の言葉はチンプンカンプンであるとか意味不明とか時には反発のことがあると思いますがこれが珠玉の金言に見えてきたら相当に一人前に近づいていると思っていいのではないでしょうか>

このわたしの意見はその子に届けることはできなかったがいつかきっと彼も気付くだろうと思う

困った時には鏡を見る
これは鏡に映った自分自身を見つめるのではなく
自分をここまで作り上げ導いた人の情熱をじっと静かに振り返ることなのだ

あの時の父の言葉が蘇ってくるようになれば一人前に近づいてゆく兆しだ

🍀 地震・雷・火事・親父

小寒から成人の日の間の頃になると父の命日も近くなることから様々な後悔や懺悔のことが多くなる
全く幾つになっても進歩のない爺爺ぃである

若い頃とは打って変わって
考え方や生きる姿勢の舵を大きく切った
義理人情の義理などは糞食らえと暴言を吐いていたことがあったのだが

このごろは 義理がこの世を渡る人の心得の中で最も大事なことなのだとまで言う
義理を果たせないような奴は人の屑だ
果たして初めていっぱしの人の道を歩む資格ができるとも言う

最初に書いた「地震・雷・火事・親父」という言葉における自らの対峙の仕方も変化してきている

去年は地震も雷も火事も災害をもたらした年であった

怖いものは怖い
親父なんてものは怖くないと思っていた時もあった
今でもそうでもないのかもしれない
逝ってしまって二十年も経てば鬼ような怖さは全くない

世の中の最も怖いものがわたしを睨みつけているとするならば
その後ろでもっと怖い眼で睨んでいるような気がするのが親父ではないか

若者よ 心に鬼を棲ませなさい

人生は死に向かう歩みである

年齢を重ねていくとは、心が豊かになっていくことだと思っています

先日ある方からいただいたメールに
書かれた一文が目にとまった

するりと読んだものの気に掛かるので
少し思いを揺らせている

その1通前の便りには
まだまだ思い出を語るには早い年齢
とも書いている

いろいろと回想することやら想像が頭の中を巡る

🍀

悩みや悔やみに満ちてこれまで生きてきたことの苦悩から脱出して
少しでも緩やかに穏やかに楽しく愉快に暮らしたいと
晩年を迎えて多くの人たちは夢見る

ストレスに締め付けられる時間を過ごすのではなく
我が儘で気まぐれな時間を送りたいと誰もが願う

豊かなモノに満たされて
欲しい物など何1つ辛抱することなく手に入れて
満足で豊かな暮らしをしたい人もあろう

人生の道筋の先に1つの姿を目標として置き
例えば幸せをこういうふうにして掴みたいと考える
それは叶うかどうかはわからない
叶わずに終わる人も多かろう

私たちは生まれたときから幸せを追い求め続け
苦しみや悲しみを踏み越えて
夢を食べながら一生懸命に歩む

ある形をしたものを描きつつ
そこに豊かさを見いだそうとしている
そんな気がする

🍀

私の想像は
単なる想像というよりも
ドラマの創作のように多様なものに変化し
もらったメールとはかけ離れていってしまう

世の中には
無数の人生の筋書きがあり
価値観があるわけで
私が考えたのは
きっとその1つを
掘り出して組み立ててみただけなのだ

豊かさを求めながら
幸せとは何だろうか
考え続ける

人生は死に向かう歩みである

311 もうひとつの日記

311 もうひとつの日記(mixi から)

5年前の3月10日にわたしは次のような巻頭言の書き出しでメールマガジンを考えていた。


サクラサク。春の空をこんな電文が飛び交ったのは昔のことです。
そんな時代があったことを知る人も今は少なくなりました。

しかし、情報通信技術が夜明けを迎えるのは、1830年代にイギリス人のミシェル・ファラデーが電磁誘導理論を考え出したころのことで、それ以前の通信はとても原始的でした。
飛脚が街道を駆けたり、さらには狼煙をあげて情報を伝達したりしていました。

サクラサク、という言葉と、世間を騒がせたひとつのできごとの記事を見て、科学技術の賜物である携帯電話がもしもこの世になかったならば、不正を働いた子はサクラを咲かせようと頑張れたのかもしれません。


不正というのは携帯電話で入学試験中に不正を働こうとした受験生のニュースが話題になっていたからだ。

東日本を大地震が襲い、原発が惨事を起こすのはあくる日のことである。

科学技術の賜物という表現をしている。これは、原発事故の後であったならば、原子力エネルギーを指すように置き換えられるのだろう。

人類は一度手中に収めた快楽や利便を、欲望という善にでも悪にでも力を働かせることができるもののせいで、簡単には捨てたり諦めたりできない。

既得権という都合のいい宝物にしても、便利さ、豊かさ、満足度、更には長い歴史で積み上げてきたご褒美のような今日の暮らしスタイルにしても、一 度どこかに置いて大局的に見なおさねばならないのではないか。そうここで何度も書いてきたが、社会の大勢がそう思っていても政治はいっこうに方向を大きく 変える気配はない。

5年という昔を振り返りながら5年先10年先の構想を考えるとき、わたしたちは、経済社会のことだけではなく、もっと大局を見つめねばならないのは言うまでもない。

不安と期待が交錯する311である。