大雨の降る空を見あげて晴れを待つ 七夕号 ─ 小暑篇 【裏窓から】

九十四歳のお母さんを亡くされて
そのあれこれとあったあとに
きちんとした便りも書けるわけでもなく
そっとブログが復活するのを
お待ちしていました

ブログのタイトル通りの「静かな生活」が
ふたたび蘇ってきて
「静かな」暮らしが淡々と過ぎてゆくのを
お祈りするばかりです

自分をじっくりと見つめる日々が
歳をとることで次第に増してくる

このような時間が一日のなかで多くを占めるようになってきても
そこにはそれほど決定的な答えがあるわけでもなく
考え込んだところで探り出せるものでもない

ずっと遥かむかしに
自分のゆく果ての姿を想像しながら描いたような
人生の第四コーナーのようなものあるのだと
このごろ やっと気づきはじめている

これまで歩んできた道が
人生行路だったのか
苦行の修験道だったのか
将又、明るい光を受けたステージへの花道だったのか

もはやそれは振り返って酒の肴にするくらいしか使い道もなく
次の世代に語り継ぐような価値などはないといえよう

胸に秘めて
静かに暮らしていきましょう
ということだと感じている

そしてそれがわたしの使命なのだと
このごろ痛切に感じます

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六月の終わりに咲く花

この頃は猜疑的な人間になって来て
「別れる男に、花の名を一つ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます」
という言葉が川端康成のものかどうか疑っている

それゆえでもないが
ムクゲの花を見るたびに
憎い女が蘇る

お礼をいう

三十四年前に二人で暮らし始めた家を
散歩の傍ら訪ねてみたら
取り壊して新しい住宅が立ち並んでいました

京都の嵯峨嵐山というところです

表通りは観光の人で溢れて
一条中に入ると昔の雰囲気も少なからず保ちつつ
京都の普通の人たちの暮らしの空間がありました

そそくさとそこを捨てて
今の地域に移り住み
倍ほどの広さの屋敷を手に入れて
今の暮らしをしていますが

人生なんてのは
何が正しいとか間違ってるとか
表が美しいとか裏が鮮やかとか
そんな法則なんてないです

後で気がつくのですよ
あの時にああしてたら
こうなって幸せだったかも

でもね

それが幸せとは限らないでしょ
成功していたとも言い切れない

だから

こうして今まで来たことに
感謝して
かけがえのない幸せに
お礼を言わなあかんのですわ

こればかりは
遺産でも受け継げない
私が完全燃焼しておくべきもの

だから二人で
足並みを揃えるのですわ

そう思います

このメッセージは
旦那さんが胃癌にかかったブログ交流のあるかたに
治療・療養中の旦那さんと過ごすある日の日記(ブログ)に
コメントを書いたものです

それは他人に向けて書いたものですが
間違いなく自分宛の手紙でもありました

残しておきます

人生は第四コーナーから 夏至篇 - 裏窓から

第一コーナーから第四コーナーまで
それは15年という月日で区切れることに気づく

1コーナー:15歳で高校入試(失敗)
2コーナー:30歳でムスメが生まれる
3コーナー:45歳で仕事を離脱
4コーナー:60歳で再び仕事を始める

大雑把に言えばそんなところだ

振り返ってみればどの時期もすべてかけがえのない思い出がたくさんある

しかしどれも幸せには満ちてはおらず荒波に揺られている苦渋の時節だということもじわりとわかる

幸せ度という指標でみれば第二コーナーから第三コーナーへ向かうときが最高であったのではないか

ムスメが生まれて仕事もしんどいなりに充実して人生にも迷いはない

自信を持って前進をしている

一方でツーリングばっかし行っていたと非難も受ける

ペラペラとおしゃべりを始めた子どもが2歳になったばかりの夏に、二人を置き去りにしたまま北海道へとツーリングに行ったという事件がある

後年ツマとあのころのことを振り返り合うことがあたびに、ツーリングに夢中になっていた自分はいったい何だったんだろうか、と回想する

子どもを置いて休日はバイクばかり乗っていたのだが、今もしもあの時代に戻ったらそんなことは絶対にしないだろう

子どもと一日中触れ合っていることは間違いがないのだが、あのころは全く違ったカタチで日常を満たしていたし、過程をお座なりにしていたわけでもなかった・・・のではあるが

子どもを置いたまま一人ででかけてしまい、残された母と娘はどれほど寂しく心細かったのかを知っているのか……とツマは言う

ひどい父である。だから「家庭をどう考えているのだ」と指摘を受けてもそれは当然のことであろう

もしも万一の交通事故にでも遭おうものなら言葉では吐き尽くせないほどの最低の父になってしまうこともある

ともかく勝手な父であったのだが、偉大なる反面教師であったと誰かが言ってくれるだろうか

夏至

月はひとり 星は二人で見上げたい」のブログのサブタイトルに
人生は第四コーナーから」と書いている

そこへ「少しダッシュしてみた」と続けてみる

どの直線を走っている時もどのコーナーの時もいつも必死だった

割と手抜きのなかった人生だったとも思う

『父の日』で検索してみた 父の日篇

  1. 三十数年の歳月が過ぎて幻の日記が見えてくる
    らないのだそう思って黙っていたに違いない父の日記は紙切れ一枚も残っていないしかし、こんなことを必ずあの枕元に置いていた帳面に書き残していたはずだ残っていなく…
  2. 父の日記 はじめに
    父の日記 はじめに   (秘伝本篇はリンク先です)わたしが子どものころ、そう小学生から中学生のころのことだ。父は、就…
  3. かき氷
    モで日記にしておきたいようなものもある 父の日が近づいているのでそんなことを詠んだ句などが色々と気にかかったかき氷を食べながら話をする光景と父とかき氷を食べ…
  4. 人生なんて 出番など ないままそっと 幕が降りる
    何も買ってやらなかったそういえば誕生日も父の日も何も贈り物をしなかった挙げ句の果てにはいつかは一緒にお酒でも飲もうと願いながら染み染みと食卓に向かい合いなが…
  5. 父の日や仕事に来てる父ばかり
    思うのですけど家族はお肉がいいみたい▶ 父の日や仕事に来てる父ばかり写真日記から …
  6. 父の日や父に似ているムスメ哉
    子どもと親は似るもんだなと思うなぜって父の日のプレゼントが届いたといって写真に撮って送ったらムスメといったらそうやったな 何を送ったか忘れとったわと電話で…
  7. 三十年という周期 ─ 小寒篇
    たものに―2013年10月16日 (水)父の日記■子どもというものは父や母の日記や行動や考えにはあまり感心を持たないことが多い例をこれまでにもいくつか見てき…
  8. 飲むで検索する
    6月下旬篇つぶやきない。6月19日▼父の日や普通に1杯酒を飲む▼父の日や部屋で形見の絵を睨む▼父の日に鬼の顔して我を見る父の日に、三句いじって、黙り込む…
  9. 父の日記
    (10月15日)という日記のなかで「父の日記を読ませてもらった。父が日記をつけていたとは知らなかった。」と書き出している。親と子どもというのはギャップを…
  10. 父の日や貴方はあの日の朝のまま ─ 6月台風4号接近中
    ですな。台風がくるそうです、もうすぐ。▼父の日や貴方はあの日の朝のまま▼ねえ線路の向こうに繋がった町にいる貴方便りをおくれよただいま6月18日(月) こんな…
  11. 好きだよとイチゴを噛んでキスをする ─ 5月下旬篇
    かで、後悔をしている自分がいるのだ。▼ 父の日や逝って孔子の如くなり5月24日(木)▼摘み食い人差し指だからなお美味いそうだ。この日は、から揚げを食べたのだ…
  12. ヒソヒソとあなたの好きなウイスキー 6月下旬篇つぶやき
    まり好まないのかも知れない。6月19日▼父の日や普通に1杯酒を飲む▼父の日や部屋で形見の絵を睨む▼父の日に鬼の顔して我を見る父の日に、三句いじって、黙り込む…

かけがえのない贈り物 芒種篇 - 裏窓から

ジャパネットたかた社長・高田明
「私は、商品はただの物じゃない、生き物だと思ってるんです」
「ビデオカメラを買ったら、お父さんやお母さんを撮ってください」
と高田社長は強くすすめる。
子どもは成長してから自分の昔のビデオなど大して見ない。
むしろ両親の若いころの映像こそがかけがえのない贈りものになる。
2011年8月6日朝日新聞土曜「be」で

🍀

芒種がすぎても「裏窓から」に着手してません
机に座っても考えをまとめようとせず怠けている
まとめたい考えも漠然としているし焦点が定まらないままだ

そんな折に
ジャパネットたかたの高田明(前社長)語録を思い出す
偶然にも高田さんがTVで語っている場面も見かけた

お母さんお父さんと高田さんは語録では言う
おじいちゃんとかおばあちゃんと子どもが写っているところでコメントをしていた

子どもは写真なんか見ないでしょ・・・とはっきりとした上で語っている

🌱

この言葉の意味をじっくり考えてみると良い

写真やビデオに自分の姿が映って残るというのは夢の出来事だった
昭和四十年頃までは、写真は白黒で貴重なものだった

人生の歴史というアルバムのページをパラパラとめくると
昭和五十年頃になると写真はカラーが当たり前の時代に変わる

今や、写真は身近なものである
けれどもその分アルバムに貼ったりすることは怠るようになる(軽率化)
写真に写る自分は、珍しくもなく驚きもない時代が到来する

昔でも
父母と撮った写真は残っている
けれども、父母が子どもの頃の写真となるととても貴重であった
持っている人はお金持ちだろうと思う

昔の人たちは
父母や祖父祖母の若い頃の写真が見たいとは考えなかった
何故ならそれはハナから叶わぬ夢の話だったからだ

一方で今の子たちは
おじいさんやおばあさんが写っていたらいいなあ
とも思わないだろう
何故なら、写す事か簡単な事だから

ゆえに
そんな白黒世代の人のなかには、
過去の中に消えていった歴史を惜しむ人や
少しでも残しておきたいと願う人たちが多い
消えてゆくものの価値に掛け替えのなさを切実に感じているからだろう

🌱

三十年という世代交代の周期は想定しなかったほどに大きな段差を生んでいる
その段差を隔てて現代社会の文化はある

この変化の様子をしっかりと捉えて分析できていることが重要なのだと感じている

時代につれて変化する人々の心のようすとか、その心の礎となるものは何か、 そしてその礎の上に築き上げるものはどのようなもか
現代社会の犯している過ちを発生源まで遡って伝えておくことがわたしたちの使命であろう

高田前社長の言葉はわかりやすい語録であるが、その背景にある厚みやと深さには計り知れないものがあると思う

酒房・あうん

「居酒屋・鶴さん」
「喫茶・コリン」
その店の話はこれまで書いてきたとおり

劇的な出会いがありました
情熱的な恋もしました
それに悲しい別れも経験しました

++

ねえ、ぼくと
ケッコンして欲しい

ダメなのわたしには
大好きな人がいるから

そんな会話があったわけではない
二人の間を 確かめようと僕はしないし
鶴さんは自分からも話しはじめようとはしなかった

月日は過ぎる
コツコツと音を立てるように刻まれてゆく時間の
その間に何度も逢う
話もしたし
お酒も飲んだ
夜の銀座を彷徨った
だが 何を話したのか 記憶にない

憶えていないって こんなことを言うのだ

多分ぼくたちは将来の夢の話をしたのだけど
大人たちが言うような記録なんか残ってない
楽し過ぎて日記にも書き留めていなかった

++

ぼくと鶴さんがケッコンしなかった訳は
誰も知らないのだけど
鶴さんとぼくは知っている

酒房・あうん

二人の間には 現実はなかった
夢しか見えてなかったのだろうか

すべては「あ・う・ん」なのだ
しゃぼんのようにふわりふわりと漂いながら
どこかに紛れて行ってしまう

その訳は誰も知らないけど
ぼくたちは知っていたのかもしれない

二人はお互いに
この国のどこかとどこかで暮らしていて
「酒房・あうん」で辛口の旨い酒を飲んだ時にだけ
幻の乾杯にこたえてくれるだろう

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居喫茶・コリン
居酒屋・鶴さん
酒房・あうん
カフェ・六角堂
古書・わはく