季節の初めに考える ─  節分・立春篇 裏窓から

月の初めに考える - 待ちながら海路静まる果てを見る  節分号
待てば海路の日和あり

そこには確信がなくてはならない
数々の苦難を乗り越えて克服し手応えのある確信を努力の果てに掴んだ人に言えることである

二月から失業者となり求職者をスタートさせた
その経緯(いきさつ)を語ったところでそれほどに価値もなくことが裏返るわけでもない
静まっている海路を眺めながらさてこれからというところだ

田中角栄の語録をさらさらと読んでいるとこの人の人間味のある言葉に出会う
珠玉の名言は他にも数々あるが

「いやなことは、その日のうちに忘れろ。自分でどうにもならんのにクヨクヨするのは阿呆だ」

という言葉に目が止まった

(🌱断筆再開)

昨今は便利な言葉があって「パワハラ」と言い放ってそれで終わりだ
わたしが仕事を逃げ出した根源はそういったものによると周囲はいうのだが
確かにそれは事実かもしれないものの対策を講じる力があればもう二ヶ月でも生き延びることができたわけでそれが惜しくて仕方がないと残念がりつつ怒りを噴出させる人もいる

(書いておかねば記録に残らず忘れ去れてしまい全く何事があったのか不明となってしまうので簡単に書いておくが、多くは書いても不毛だろうと考えている)

つまりは、パワハラな上司に愛想をつかして二ヶ月後の職務期限を待たずに
私の仕事は後の人にお任せしますので明日から休みます
といって強引に拒否してしまったのだった
早い話が業務の指示体系に不満があり強引に辞任をした形になってしまった

○○

豆を撒かなくなった節分に恵方巻きを食べて孫たちと夜を過ごす

誰が考え出したのか恵方巻き今年は東北東だそうです

巻き寿司作りはツマのワザ寿司飯作りは僕のワザ

🌱

先日お隣さんのご主人が亡くなった
六十九歳だったという
死因はわからないが定年を迎えて家に篭るようになってから体調が悪かった様子が伺えた
施設に入っていたのかもしれない
コツコツと定年まで真面目に勤めてきた人であっただけにまだ十年という年月が過ぎていないのに気の毒な限りである

ご近所のその隣のご主人も一足早く亡くなっていて七十歳を超えたばかりの頃だったという
そのお向かいのご主人も定年を迎えて新しい仕事を始めて出張で飛び回っている姿が元気そうだったのに突然であった

何年かの間に三軒隣のご主人が七十歳という壁と闘ったのだった

次は私の番なのだがと考えると
アホみたいにカラダに鞭打って
ヒトの顔色見て
ココロの奥を推測して
波風を立てないように
丸くモノゴトを納めて
ときには褒めてもらって一喜一憂している
そんな人生を
第四コーナーを回ったのだから
拒否して
ゴールのテープの前でコケてもいいから
ピースで駆け抜けたい

🌱

そういえば

中学時代の運動会の障害物競走で
一位でゴール直前に到達し
クラスの面々にピースをして愛想を振りまいていたら
足がもつれて転倒してビリでゴールをしたことがあったのを思い出す

 

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三十年間を「激動」という言葉で済ませていいのか ─ 大寒篇 裏窓から

三十年という月日を振り返る

ムスメが生まれて十年ほどして父が逝く
平成の前半は私にとって激震・激動の時代だった
だが後半もどん底の時代であったのだから

つまるところ
私にとって平成は何もいいことのなかった時代であり
考えようによっては
ベールで覆ってしまってもかまわないし
塗りつぶしてもいいのかもしれないもので
記録にとどめておく必要のない三十年であるのかもと思う

では
ムスメが成長した三十年間は詰まらない歳月であったのか
意味のないものであったのか・・・というと、それは違う

ムスメにとってこの三十年は人生の始発からの三十年であるから
どの瞬間を切り取っても掛け替えのない一瞬の連続であろうし
とても棄てることなどできない時間であるだろう

同じ屋根の下で暮らして来たのだが
私の頭の中にある記憶は私だけのもので
私が忘れてしまうことに支障などないし
記録に残したところで、さほど価値があるものでもない

一方、ムスメの視点で見た私の三十年間がどのように映っていたのかは
私にはわからないし
知ったところで仕方がないものかもしれない

三十年間という私の歳月に(時間に)
ムスメが価値を見出してくれるかどうか
それは私が決めることではない

🌱

同様に
ムスメの三十年という人生を振り返ることができる
けれども
あの子はそんな三十年を
ジメジメと振り返ってみようなどとは考えもしないだろう

なぜなら
私が三十年ほど前に
その年だった時にはそんなことは思いつきもしなかったのだから

その十年あまり後の年に父が逝ってしまうことさえ
想像も想定もしなかったのだ

人間とは
そんなものだ

そういう未熟を積み重ねて
生きてゆくのだ

バカボンのパパは「いいのだ」と言っている
本当の意味を理解している人はどれほどいるのだろうか

これでいいのだ

正月をすごして愈々寒の入り ─ 小寒篇 裏窓から

寒空が好きやといえば嘘が吹く(1月12日)
椿咲いて隣の庭を羨やまん(1月14日)
成人式ねぇーもう三倍も前のこと(1月14日)

(ここから未来)

好きだった人 星を見るのが好きだった(1月15日)
冬の薔薇 鋏の音も凍り落ち(1月19日)

新年が明けたころには
アツイ自分と冷たい自分がいた

二つの自分が見えてきて
どちらがホンモノなのかを
悩んでしまう時間があった

🌱

夢は叶えるためにあるのか
人生は楽しもうと生きてゆくものか
負け越しの人生だったわけです

そんな疑問を提起して思案をしても
行き着くところなどない

これでいいのだ

そうだ

わたしには
何かを目指し辿り着くところなど想定できない

何も残されているものなどもない

命題も
使命も
宿命も

そんなものはもう意識しなくてもいいではないか

許してやろう


NEWS

新年 雑考 そのII ─ 元日篇 (裏窓から)

そんなことをあれこれ考えて
正月を普段通りに過ごしている


平成最後の元旦に考える

人生は第四コーナーから……などと定年のころに自分を回顧しながら言ってみた
あれからまだ一年も経たないが、自分の大したことのなかったこれまでに(人生に)
一区切りをつけて残り少ない人生を悠々と歩み始めていたかどうか

静かに考えてみるとやはり長い年月の突進する勢いからスピンアウトしきれていないのではないかと思う

人生を振り返りながら「第1コーナー」とか「第4コーナー」などと書いて見たのだが
別の書き方であれば始まりを<序>として次から順に<起><承><転><結>の章ともいってよかろう

では
ちゃんと「起・承・転・結」な時代を踏み固めながら人生を送ってきたのか

🍀

昭和から平成に変わってゆくころ
わたしは「承」の章から「転」の章へと駆けていた
子どもが生まれて家族は一つの目標へと必死で向かっている時期だった
迷うこともなく、日々の暮らしは幸せに満ちていてそれをエネルギーにして突き進もうとしている
むかしに夢に描いたように仕事と向き合い豊かさを力にして幸せを追いかけている姿があった

だがそんなふうに生きる中で私は自分が飛べない鳥であることを認めなくてはならないことも気付き始めていた
本来ならば助走を終えて天高く飛び立つところだ
しかし、磨き抜かれた才能を纏いつつ勇敢に飛んでゆく鳥たちの集団にまみれて私はそれほど飛べる才能を持っていない

つまり、身の回りでは大きく出世をしたり成功をする先輩や同僚の声が騒々しかったのだが
自分も飛び立とうと思い切ってみたところで、それは魔法の掛け声のようなものだったのだ

🍀

1から2へと、2から3へと、そして3から4へと跳ぶ「転の章」では自分も飛び立とうと思い切ってみてもそれは魔法の掛け声のようなものだったのだ

力不足だったのだ
もともと才能もないのに錯覚のようにいい気になっていたのだから救えない

上司の一人だった人の「一度地獄へ落ちてみるといいわ」という言葉が頭の中で響いた

🍀

わたしはここまで生きてきました
と歌うフォークソングが頭の中でリフレインをした
どん底の暮らしも見た
そんな世界も経験した

どう変えたところで一朝一夕で別人になれるものでもなかろう
善人にもなれないし
世の中のお役に立てるような奇特な者にもなれまい

意地を張らず
見栄を張らず
迷惑もかけず
愚言を慎んで

いきてゆこう

今年も「裏窓から」をよろしく ─ 元日篇

暮れてゆく大晦日に考えていたこと


30日

人生というドラマにスポットライトなどなかった

(わたしの)
人生というドラマに
スポットライトなど
なかった
いや
スポットライトなど
不要だったというのが
正しいのだろう
静かに暮れ行く
平成最後の師走に
静かにあらゆることを
振り返ろう

🍃

波乱万丈ではなかった
とりわけ幸せでもなかった
自分の思い通りに生きてきたのだが
悔しい思いもしたこともあった
でもそんな気持ちも時間とともに諦めに蝕まれ
激しく憎んでも許されるほどの裏切りに
何度も遭遇しながらも
その憤怒さえも投げやるところもなく
心の奥で磨り潰すように失って行ったのであった

🍃

もういまさらそんなことで心を乱すよりも
真っ当で綺麗な気持ちで
これからの希望を見つめながら
人生を締め括っていきたいと思う
終幕を引く時間がどれほどの月日となるのか
予測などできないけれど
暇がかかればアンコールのチャンスが来たと思えばいいし
間に合わなければ泣いて済ませるしかない


31日

平成最後の大晦日に考える

きのうから
いや
今年の暮れあたりから
生き方について考えることが増えている

🌱

世の中には いろんな生き方があって
ドラマのような生き方の人もあれば
教科書のような生き方もある
自分が幸せを目指したのであれば
その描いた姿と生きて来た姿を照らし合わせて
幸せの満足度を決めるのかもしれない
そこに豊かさなども覆いかぶさって
複雑になってくる足跡の回顧を
記憶という極めて人間的であるヒトの特徴がフィルタリングすることで
その演算曲線を指数関数的に重みつけてしまう
つまり
今幸せであれば
過去は許してしまうこともありうる
というような心理があるのではないでしょうか

🌱

いま
幸せですか
それを問われたときに
どこまで自信を持って
勢いよくハイと言えるか

 

元旦

元日に考える

(考え中:あとで)

平成最後の師走を迎えている ─ 冬至篇 (裏窓から)

足跡(犬) 平成三十年師走

平成最後の師走を迎えている

その時刻を刻む時計が近ごろになってコツコツと音を立て始めたようにも思えそんな魔術のようなことはないのだからとひとりごちて暦を見る

社会がお決まりのように騒ぎ立てている
はたしてそんなに大勢がこのささやかな時刻の一瞬を凝視しようとしているのだろうか

あっと言う間にまさに表裏が入れ替わるように
そして何事もなかったかのように年は暮れてしまう

まるで戸板返しのように私は別人になって
新しい年を迎えるだろうか

メディアがチヤホヤするのとは裏腹に
静かに確実に数に限りがある人生の終盤の正月をいかに過ごそうかとお考えの方々も多かろう

新しい年を迎えて
新しいステージに装いを改めて

幕が降りて再び上がった歓びを
しっかりと平成最後のこのひとときに刻んでおこうと
熱く拳を握りしめている人もあるだろう

これまでに数々の失意に遭いどん底に引き摺り下ろされながらも
こうして生きてきた自分の足跡を振り返ると

あれほどまでに憎しみや恨みをこらえて
許しがたい憎悪を噛み殺さねばならなかった一つの時代のことを
もはや諦めでもなく寛容でもない心で忘れようとしている自分がいて

足跡とはいとも儚くあるのだと振り返る
しかしながら
その消えてしまいそうな楔に手と足を掛けて
第四幕まで辿り着いた

第三幕は弁当幕だったのだ

芽

昭和が役目を終えて平成に変わるころに
子どもが生まれて
自分は子どもに育ててもらってきたのだと思うことも多い
平成を振り返ると必ずそう思う

幸運なことなのかもしれないとありがたみを感じながら
この平成の中に第二幕と第三幕を立て続けにおけたことが
私のこの上ない幸運であり幸せであったのかもしれない

足跡(犬) 断捨離

十二月のある日
仕事帰りのNHKラジオで
断捨離をテーマにバラエティーが進行していた

棄てること

大学の一般教養である先生が「棄てる」とは紙くずを丸めてゴミ箱に入れるようなことをいうのだ・・・みたいな話をされて

それ以来、その本論外の言葉が私の人生のサイドをずっと並走している
丹羽先生の揮毫にあった「失意泰然」という六然からの言葉とともに私の座右にあり続けたのだ

その棄てるという言葉をいとも簡単に断捨離のなかに紛れ込ませているところが現代の軽々しさでありある意味では知性であり聡明さでもあろう

棄ててはいけない
と私は考える

あらゆるものは棄ててはいけない
(わが家の蔵から出てきた昭和初期のころの古文書も棄てられずに県立博物館に寄贈したし)

では、いつ棄てるのか
消えるまで待てばいい

足跡(犬) おかあちゃん

母のことをおかあちゃんと呼んだ子どものころを回想している投書を読んでいた
そうやなあ 子どものころはおかあちゃ おとうちゃんと呼んだものだ

いつの時代からおかあさんと呼ぶようになったのか

🌱

そういえば
うちのまごっち
「ねえママはどの人?」
とあるお店で聞かれて
ママ は使わない言葉なので
まんま??~
と困っていたので
「お母さんはこの人やな」
とフォローされてました

私のことはちゃんと
じいちゃん
と呼んでくれます