九月へと跳んだ歓び 八月尽

8月30日は曇り空のスタートでした。

夜さりには雨が降っていたような覚えもあるものの、涼しくなりよく眠れるせいか、外の気配のことなどに気を使うこともなく割とぐっすりと眠っていました。

夜が明けてすぐに新聞をとりに外に出たら雨が上がっていたので、運動不足気味が気にかかっていることもありもしも小雨でも駅まで歩こうと決めていました。

でも、着くころには薄日が差して、普段のように汗が吹き出しました。気温は低いのですが。

S女子校のいつもの子におはようと挨拶をして、朝顔の写真を撮ったりして汽車を待ちました。

20150831朝顔IMG_1875

9月1日は、雨降りでしたのでバスに乗って行きました

何の変哲もなく九月が始まっていくのです。
きょうから列車の中に増えた高校生もさり気なく昔の景色のように収まって、九月は雨の始まりだったのに暗くもなく始まったのでした。

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おゆうはんは、お魚でした。サバ。お昼にもお魚を食べましたけど、こういう日は別に珍しくもなく、一日一魚ではなく一日二魚やなと悦んでいます。

揚げ出し豆腐は別に食べたいといったわけでもないし最近話題にしたわけでもないのだけど、どこかわたしの気持ちが望んでいるのが通じたみたい。

八月の末の話ですが。

30日の日曜日にJR名古屋高島屋で栗きんとんを買ってきたのです。(ツマ)
それが、九州の名品だったらしく「鈴懸」というお店のものでした。とても美味しかったのです。
これまでで食べたことがある栗きんとんにはない和菓子としての気品のある味で、一番美味しかった。

20150830栗きんとんIMG_1873

20150830栗きんとん会社IMG_1874

初サンマあっち向いてほいで右向いて

サンマのことを「かど」と呼ぶ。
ネット検索をしてもHITしてこないので伊勢のこの地域独特の呼び名なのかもしれない。

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子どもの頃から「カドは藁で焼く」と教わってきた。
実際には風呂の焚き口から炭を取ってきて七輪で焼く。

うちには猫がいたので盗まれないかと気を使ったことだろう。
今は頭と尻尾以外は丸ごと食べてしまうが、子どものころは骨とか腹ワタはよう食べんので猫にやったものだ。

秋のごちそうだった。

ツマはスタイルから入る方で、サンマを食べる季節になるたびに、横長のちょうどサンマが横たわるのにぴったしの大きさの皿を買いたがる。和食であろうが何であろうが綺麗に盛って食べるのは基本と教わったのだろう。

旨いものがたくさん出回るこの季節は、きれいな器に料理を盛って、美味しいお酒を飲みながら、風情を愉しむというのがいい。

そんな器量などわたしにはないのだろうが、ささやかな暮らしに見合ったささやかな食で、肥えすぎているのを解消したいと密かに思っている。

ネバネバの食事にも心がけている。夏から秋にかけては旬の野菜も豊富だから、これまでとは違った食にチャレンジしてみる。

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積極的に納豆も食べてみて、近代化された食事から少しでも遠ざかりたい。

サンマを買う前の日に焼き物の器を買った。と言ってもスーパーで棚積み(ワゴン)の美濃焼きである。横長のサンマ用の皿はやめて、何でも盛れる大きさと形の皿を二種類。

皿を買った日にサンマを買おうとしたら、一尾で300円もしたのでシャケにした。サンマは後日150円のときに買ったものである。

暮れにかけて100円以下にまで値段が変動する。今の季節には、刺し身で食べるか、丸ごと焼いて大根おろしでいただく。

20150828シャケとかぼちゃIMG_1870

二十五年ぶりくらいの人に会う

(きのう)

海に来てます
小雨降りだして
また止んで

海に来て木枯らし帰れぬ干潟なり わはく

パクリ先は、コレですな(↓)
海に出て木枯帰るところなし 山口誓子

20150704hikisio引き潮IMG_1787

干潮時刻
13:30ころ
1時間ほど前に海にいました
25年ぶりの人にも会いました
小雨が降ったりやんだり

楯干しイベントでしたが
わたしは参加者に会いに行っただけですので
収穫なし

でっかいお魚を袋に入れて
持っている人がおって
ええなあって思ってまして

スーパーでお刺身を買いました

旨そうなモノが店にあれば買います
しびの文化

この味が気の毒なことにわからない人があるけど
それは文化の違い
わからない人は食うべからず

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かぼちゃでまあ一杯

このごろをときどき振り返るたびに毎日に飲み過ぎているのを反省しているので今夜こそは控えるからと言って朝に家を出るのですけれどもおゆうはんの時刻になって飯台に座るとかぼちゃが三切れ入った小鉢とそのとなりに水と氷の入ったグラスを出してくれますのでまあ一杯ということになるわけです。

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百貨店で中元の用事を済ませてふたりでブラブラと歩きながら陶器の焼き物などを見てゆくわけです。

とても落ち着いた雰囲気のお鉢と小鉢とお椀、小皿が並べて置いてあるのが目につくとどうしても立ち止まってしまいます。高額なので買おうなんっていう気は更々ないもののいつか一揃い買ってゆっくりと食事をしたいなというようなことを呟きながら歩いてゆく。

母にお茶碗を買ったことがありました。そんなことを思い出してそれがずいぶんと昔のことだったことに気付き改めて月日の儚さを思うわけです。あのとき父はまだ生きていたかなそうすれば夫婦で揃いの茶碗と湯呑であったはずだがどうやらそうではなかったような気がして記憶の曖昧さが少し情けなくなると同時に父が逝ってからの月日がやはり重く長いものなのだと思うのでした。

もうそれほど長生きもできないだろうしできたとしたらそれはおまけに当たるほど年齢になってきたのでお茶碗も意味もなく日常に添うて暮らしにあるものであるからいいかもしれないなあとちょっと覚えておいて何か急に思い立ったら買って帰ろうなどと考えている。

いまは貧しい暮らしだけれどそれはそれでいいが豊かに暮らしていたころにあらゆる人にもっと義理を果たしてお礼をしておくのが筋だったなと二人で話をしながら高級な陶器の並んだ売り場を歩いてゆく。義理を果たすというよりもそのときの自分は誰のお陰で成功してそこで大きな顔をしておれるのかを考えると必然的に義理などという言葉など不要となりそれよりもそのときの節目の時期にはきちんと感謝とお礼の心を伝えてゆくべきであった。もしも今あのころのように豊かな暮らしならば果たせる限りの恩返しをできるのにと人生の終焉支度をしつつも残念ながらその義理が果たせず恥ずかしい思いをしている。

この晩はそんなことをあれこれと考えながら一杯飲んでストンと寝た。そのあとにムスメから連絡があったらしく旦那さんが一次試験に通って早速一生懸命勉強を始めたという。何も応援はできない。わたしの出る幕はもうない。

誕生日イブ

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誕生日ってのはウレシイのだな
ワインを買ってこようと意見が一致して
普段は見ないようなお値段の棚を
と言っても千円ですけど
我が家にとったらとっても贅沢でした

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ムスメがいなくなったので
ホールケーキが食べられない
だからショートにしたのですが
やっぱしあした
ホールケーキを買おうと
決めたみたい