又吉直樹 火花

たとえ純粋なように見える賞であっても
所詮売り上げを睨んでいるのは自明で
その中で上手にステータスを掴んだのが
例えば直木賞のようなものなのだろう

芥川賞は初期の頃の受賞者のころの顔ぶれから
少し路線変更をしたのかと思えてくることが
何度か続いていた

だが、一方で選考委員の顔ぶれを見れば
そんな疑いはなく
ぼくの気のせいか
疲れか、好みの変化か、
読書力の足りなさなど
様々な理由が考えられた

読者側の意見や書評や声が
大手を振って
オモテに出てくる時代になった

誰もが自由に発言できるのだから当然の結果だ
その声は威張っているようにも見える時代になっている

だからぼくのように
「恩田陸 蜂蜜と遠雷」(恩田陸)
を詰まらない
などという奴は
黙殺されて相手にもされない

たくさんの書店が
本の陳列に変化を付けて工夫しているのもわかるが
詰まらないのか面白いのかさえ
独自には判断できないかもしれないような人たちにも
買ってもらわなあかんというか
その辺にも売り込みたいのだから
苦心をしているのだろう

火花は本屋に何度足を運んでも
一発で見つかるところには
置いてなかった

ぼくが時代遅れになったのだ

もう本を読むのはやめにしようか
とも思うほどに
本屋がチヤホヤする新刊本が並ぶ中で
やっとの思いで今風の人たちが目に付きやすいところに
山積みされた「火花」を見つけたときは
こんなカテゴリーの棚に置く本なのかと思い
本屋のセンスまでも推し量ってしまって
本嫌い(本屋嫌い)になってしまいそうなのをぐっと堪えた

++

又吉さんの漫才を見た記憶はあります
ステージで喋っているの様子を思い出せます
画面の右側の位置で話していたように思う
けれども、どんな漫才であったかの記憶が余りない

詰まらない芸人もたくさんある中で
なんにも悪い印象などなく
近ごろ売れているお笑い芸人さんという良い印象が残っている

本が好きでその延長で小説を書いたというのを聞いて
大人しく物静かで
やんちゃなところがない雰囲気から
なるほどそういう人柄なのだ
というのが先入観の第一印象だ

作家になるには並大抵の努力では済まされないだろう

阿保になりきれるほど打ち込めるタイプで
自分を省みるような甘っちょろい面があってもならないし
さらに突進する力も強い意志も必要だろう
しかも孤独で思慮深くて
そして最後に作文をする才能が求められる

立ち読みをしてみると
丁寧に文章が綴ってある印象を受けたので買うことにした

芥川賞作品を
勢いで買うような危険な投資は少し懲りていたので
最後まで読み切る自信があったわけではないが
そのときには「期待ほどに面白くなかった」と
言い訳をするしか無かろう
と思いながら買った

そんなセッティング状況で
こんなに短いのに恐る恐る読み始める

又吉直樹 火花
又吉直樹 火花

やっと本題

いい本でした
若い人から老人まで
みんなが読める作品で
文學(ブンガク)の匂いがしてます

はじまりは酔いしれるようなところがあり
真ん中あたりで
ぼくは漫才のことがわからないし
タレントさんが書いたという先入観が邪魔をすることもあって
詰まらないというか退屈を覚えるところもあるけど
勢いがあったから読み切れた

この人を占うつもりはないけど
似たように同じような賞をもらって
テレビに登場している作家さんを見ると
こちらを応援したくなった

ところどころに
作品の本流とは少しずれて(?)
哲学的なことも書くのだけれど
書かずにはおれんのだろうと思うと
ちょっと好きになる

内容に賛同するわけではないが
姿勢に一途なところを感じる

酒を飲んでは
オロオロしたり
涙を流して泣いてみたり
熱くなっていたりする
まこと この登場人物はよく泣く

純粋というわけでもなかろうが
情熱を持っているならば
次々と作品が出てきても
手にとってもいいなと思った

柴崎友香 春の庭

宮下奈都「ふたつのしるし」絲山秋子「離陸」柴崎友香「春の庭」の三冊が棚積みのなかで目立ったので、とりあえず書店員さんのセンスを信じて三冊の中から絲山秋子を選んだ。

裏切りも失望もなく読み終えたのだが、残してきた二冊に後ろ髪を引かれるようだったので、柴崎友香を買って読むことにした。

宮下さんは慌てなくてもええような気がした。
春の庭は芥川賞作品なのでちょっと期待も大きい。

読み始めた時に私の芥川賞読破履歴をきちんと調べず、とにかくワクワクで期待も大きい。
読後に調べて見たら、宮本輝の螢川と絲山秋子の沖で待つ、さらに、村上龍の限りなく透明に近いブルー、朝吹 真理子のきことわを読んだくらいに過ぎない。
芥川賞の読書経験はほとんどなかったことになる。

学生時代に登場した村上龍という作家のなんともシャレたタイトルの限りなく透明に近いブルーの読後印象がイコール芥川賞だったのかもしれない。
それで今回久しぶりに、最近の受賞作品を。
なるほど、これが芥川賞か。

柴崎友香 春の庭
柴崎友香 春の庭

時代の変遷で賞の色合いが変わってきたのか。
昔から一貫した方針だったのか。
なんとも言えない。

美味しいと評判のレストランを紹介されて喜んで店に行き特別料理を食べたら、近所の商店街の人気店の方が旨かった・・・みたいなかんじ。
芥川賞はしばらく無関心でいることにする。


というような感想を書いてからも
この本を持ち歩いて列車の中で読み続けた

無機質な感触でありながら
作者のもつ味が随所に出ているのかもとも思えてくる

タイトル作品(受賞作品)よりも
巻末の書き下ろしの方が
深みがあっていいのではないか

宮下奈都 静かな雨 (1日後の)感想

静かな雨
宮下奈都 静かな雨
  • 眠れば消えてしまう月
  • 速すぎてつかまえられない夢の場面
  • ふたりで歩いた帰りに浮かんでいた月
  • ただものじゃないこよみさん

そんなふうに走り書きを残して
これは宮下さんが夢で描いた物語の断片であって
それを丁寧に集めてきた作品なのだ
と思っていた

人のイメージをさらさらっと説明するように軽々しくは書かないで
不安と喜びとを混ぜ合わせて
不思議と不明とどうでもいいことなんかもミックスして
そこに優しさもブレンドして攪拌するようにしているみたいだ

そんなふうに言ってしまえば誰だってできるみたいに思えるのだけれども
宮下マジックのようなものがあって読者はそれに掛ってしまう

夢は不幸せあっても幸せであっても構わないし
男の子が情熱的でなくてもいいのだ

日常の詰まらないできごとをちょっとスパイシングすると感動的になってくるのだけど
そんなわかりきったことであっても
いつか覚えていたはずなのに
忘れてしまうでしょ

きっと宮下さんはそれが悔しくて
失ったり忘れたくなかったから

自分の中である日
幻のようにできあがった物語に
意地悪なスパイスも振りかけて
忘れかけていたドラマのようなドラマでない日常を
思い出して
夢の断片のように纏めたんだろうなあ

すらすらすらと書けないときもあったさ
その時間も苦悩も大きな凹みもそれ自体も姿を変えて物語にしてしまった
それが第一作だった

本当は消えていった作品が山のようにあったんだろうけど
いかにもこれですよ…みたいな第一作

宮下さんはもうこれを書いた宮下さんには戻れなくなっている
それでいいのだ

困ったことが僕に一つできたのですよ

鯛焼きを食べるときに宮下さんとこの物語のことを思い出すのです

そして恋するとか愛するとかそういうことを考えて
諦めてきた哀しい過去と叶わなかったいろいろを思い出して考えてしまう

物語には続きもなければ終わりもないのだ
おしまいのシーンって何だっただろうか

それでいいのだ

銀マド(初出ブログ)

宮下奈都 静かな雨 (10分後の)感想

静かな雨
宮下奈都 静かな雨

平成29年(2017年)3月 5日 (日)

どうしてもこの作品を書いた人を
ああだこうだと定義づけて
作品の感動とペアにして
心にしまっておきたいと思うのだ

そう思わせてくれるような作品であり
読みながら何度も立ち止まって
詩人のような変な小説家だと
少し悪口じみたことを呟いてみたりする

そのしばらくあとで
何ページかを読んだところで
ほら哲学者みたいなことを書いているから
物語の後ろにはドラマにならない構想がどっさりと隠れているんだろうな
と思っていたりする

しかしながら
乙女チックには気取らないし気障でもない
詩篇のようなことを歯が浮くような下手くそなタイミングで
書いている

いいえそれは計算どおりなの
いいえそれがセンスというもの

真似ができない
真似しようと思うのが愚かなのか
でも手を伸ばせばそこにいるような普通の変なおばさんな筈だから
私にだって真似ができるような気がするの

「諦めること」をサラリと書いて付箋を貼ってしまうそうになるんですけど
ここで付箋を貼ったらその行だけが一人歩きするからあかん

満月のお月見の話もそこまでで
私の脳みそにメモるだけで
烈しく読み返したくなったら
もう一度最初から読もうじゃないか

「世界の深さ」のこともあれこれと書いてるでしょ
物理学の教科書みたいに
一本の式を紐解けば五ページくらいの文字で埋まるように
付箋を貼りたいところは五倍くらいに言いたいことが詰まっていたはずだ

だから明日になったら私も忘れてしまえばいいのだろうな
ある日思い出したら誰かがこの話をしたらもう一度思い出そう

好きだという言葉も使わないで恋をしているし愛もしている
誰もが夢の中で追いつけなかったようなあのできごとを思い出そうとしている

でもこの人はきっとアルキメデスみたいな考える人なんだと
想像してしまって私は深い深い記憶の沼に沈んでいくのです

銀マド(初出ブログ)

堀川惠子 裁かれた命 死刑囚から届いた手紙

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堀川惠子 裁かれた命

永山事件とその裁判において、私たちが日常では触れることのない数々の背景を深く掘り下げて報告をしたのが堀川惠子著

  • 死刑の基準-「永山裁判」が遺したもの
  • 永山則夫 封印された鑑定記録

の二冊だ。少し間を置くがそれに続いて

  • 裁かれた命 死刑囚から届いた手紙

を読んでみた。読めば随所で身体が震え上がった。ストレートに衝撃がくる刺激的なルポだ。

これまで抱いていた刑法への考え方の浅さを知り、また一人の社会人として、刑法をあるいは刑罰の概念を見直さねばならないのでは、とガツンとやられたのだ。我々の持つ罪と罰の概念が、古くさくて不明瞭だったことに気づく。

この「裁かれた命」は永山事件よりも昔の事件である。死刑囚はもしも生きていたら70歳ほどになる。

事件当時二十歳を少し過ぎた若者で、その兄のような年齢の検事が捜査をし、親に近いほどの歳になる裁判官や弁護士が被告人を裁いた。(一審の弁護人は亡くなられている)
永山事件で「死刑の基準」を考察した堀川さんは、新しい歴史から古い歴史へと事件を戻り、一人の人間に適用される刑法とその罪と罰についてテーマを選んでいる。
決められた仕組みのなかであたかも決められたような手続きで確定してゆく罪と罰を、堀川さんが掘り起こした資料や事実を読んで、もう一度考えてみる。

…と書いたものの刑法がわかるほど私は専門的な人間ではないし、日常でもそれほど興味も抱くチャンスもない。

現代社会に平凡に暮らす人には、刑とか罰というものを深く考える時間などほとんどないのではないか。更に言えば法律(の学問)は面白いとか楽しいとは言い難い。そういう点で、非日常的な(謂わゆるドラマのような日常の裡を)まったく違った切り口で突きつけてくる。

私たちの誰もが心の中に善と悪、罪と罰に対する考えを持っているだろうから、当然のことながら照らし合わせて、テーマが問いかける答えを模索する。

現代であっても、裁判員制度の上で刑事裁判が行われれば注目度が高く、殺人事件などであればさらにメディアが騒ぐ。死刑が求刑されるようなケースは、やはり大勢の人が事実を見つめて、その裁きのゆくえに関心を示す。そのようなことと同じ背景にあって、さらに今と50年近く昔との尺度や仕組みの違いや変化があって消化不良な面を残したままなだけに、このような作品は惹きつけるものがあるのだ。

永山事件とこの作品には共通点がある。死と向かい合う人間がいて、それが死刑とはほど遠い人間であること。必ずそこに日本の歴史背景があって、家庭的で人間的な事情があって、誰もが答えを言葉にできないような人間の心の深層(真相)に迫るものがある。さらにドラマではなく事実だということも重要だ。

終わってしまっているけれども事実が残る。NHKがドキュメントにしたそうだ。たぶん難しかっただろう。中身が濃くても視聴者のレベルにずり寄ってしまえば別のものになる。

テレビは怖い。事実をベタに並べればいいというものでもなかろう。書く人の視線の方向も大事だ。

死刑囚は、事件の捜査検事に宛てて独房から九通の手紙を書いている。さらに、二審と上告での弁護士に四十七通の手紙を書いた。その手紙はいつも、便箋で三十枚にも四十枚にも及ぶ分厚いものだったという。

調査資料として要約した原文を引用しているが、一文一文がしっかりとしていて、手紙として非常に完成度の高いものだということがわかる。二十二歳の若者が書いた丁寧な手紙を読んでいく。

死刑が確定して執行を待つ死刑囚が書いているにもかかわらず、とても冷静で落ち着いていて内容も明瞭だ。手紙の文章は上質で殺人という犯罪を犯すイメージとはかけ離れている。
上告趣意書も一部分を引用している。

関係者を探し出して、話を聞き、上告趣意書や手紙を整理し、公表された数々の資料を掘り起こして、手紙を書いた人物(死刑囚)を見つめ直す。
死刑という刑罰を見直さねばならない、というような表現は、作品のどこにも記述していない(と思う)。死刑を宣告された登場人物の裁かれた判決に(結果に)異論があった、と書いているわけでもない。

捜査検事は、三十年の検事生活の間に一度だけ死刑を求刑したことがあり、それが前科もなかった二十二歳の青年だった。おとなしくて真面目な青年であったという周囲の評ばかりが目立ち、手紙には苦しみや償いについてのあらゆる想いや生きる意志が綴られる。

関わった人々を探し当て歴史を掘り起こしてゆくに従って見えてくる青年の実像のようなものを洞察すると、死刑という裁きについての他に、刑法が捉える犯罪概念と人間への罰のことを考える事になる。

偶然、半月ほど前にも新聞記事が目にとまった。2010年に宮城県石巻市で当時18歳の少年が元交際相手の少女の実家に押し入り、少女の姉ら3人を殺傷した事件で、死刑判決が確定した。裁判員が裁いた少年事件では初めてということでメディアが騒いだ。

犯罪者を「生きる価値がない人間」として社会から消すことで何が生まれるのか、と問い続ける声は世を絶たない。奥に潜むものが解決されないままになっていることを意味するのだろうと思った。

堀川惠子 原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年

(読後日記)

堀川惠子さんとは永山裁判の作品で出会い、そのあとはしばらく文芸作品を読んでいました。
直木賞作品や本屋大賞受賞作品を読んだりして、緩やかな気持ちになっていたのです。

ふと、ヒロシマの被爆の日の読売新聞の社説であった。


♠2016年08月06日 06時00分 広島は6日、長崎は9日に、それぞれ71回目の原爆忌を迎える。♠非人道的な悲劇を、二度と繰り返してはなるまい。より多くの世界の指導者に被爆の実相を伝え、核軍縮の機運 を高めることが大切だ。♠広島市の松井一実市長はきょう発表する平和宣言で、5月にオバマ米大統領が広島を初訪問した際の声明を引用 する。「核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」という一節だ。♠松井氏は、オバマ氏が声明で示した「情熱」を「あの『絶対悪』を許さないというヒロシマの思いが届いた証 し」と評価する。♠広島平和記念資料館は、オバマ氏自作の折り鶴4羽が展示された後、入館者が前年同期比で4割も増えた。オバ マ氏の歴史的な被爆地訪問は、日本人が原爆と平和を改めて考える機会にもなった。♠オバマ氏の訪問を一回限りのものにしてはならない。今後も、様々な核保有国の首脳らに対し、広島や長崎で原 爆の惨禍に直接触れるよう働きかけ続けたい。♠核軍縮交渉が停滞する中、その努力が、核廃絶という究極の目標への長い道程の一歩となろう。 米国社会でも、原爆投下への評価は着実に変化している。 「戦争終結を早めた」と正当化する人の比率は、終戦時の85%から昨年は56%にまで減少した。♠今春には米国で、ドキュメンタリー映画「ペーパー・ランタンズ(灯籠流し)」が制作された。米兵捕虜12人 が被爆死した事実を発掘した広島在住の森重昭さん(79)と、現地を昨年訪れた米国人遺族らの心の交流を描い た作品だ。♠森さんと遺族が灯籠流しで死者を弔う場面は、平和への思いを静かに訴える。森さんは、オバマ氏と広島で抱き 合った被爆者だ。♠年々、風化しがちな被爆体験を継承することも重要である。♠広島市は昨年度、「被爆体験伝承者」による講話事業を始めた。伝承者が被爆者から聞き取った話を、次代の 人々に語り続ける。♠平和記念資料館は2018年度から、遺品や日記など、実物中心の展示に切り替える。被爆者の人形や模型では なく、「実物の力」を最大限生かす狙いだという。♠今年の大宅壮一ノンフィクション賞は、堀川惠子さんの「原爆供養塔」に贈られた。原爆犠牲者の遺骨約7万柱 を納めた平和記念公園内の塚と、その塚を長年守り続けた女性の物語だ。♠貴重な被爆体験を正確に記録して、世界へ発信する。日本人が忘れてはならない責務である。 2016年08月06日 06時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun


社説を読み堀川恵子さんの名前を思い出しここで紹介された作品をもう一度じっくりと読みたいと思った。

このようなルポは、誰でもが書けるものではない。この人がこのテーマに遭遇したことが幸運だったと言って良いだろう。誰が書いても、誰が調べても、こんな作品ができあがるわけではないことを考えると、読ませてもらった私たちも幸運だった。

だからこそ、堀川さんの書いた物語を読んで欲しい。

堀川惠子 原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年


(私の感想)

堀川惠子 原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年

堀川惠子さんに出会えたのは、とても幸運であったと思う。それは、 ちょっとした書評の何かに閃きがあって手にした
●永山則夫 死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの
●永山則夫 封印された鑑定記録
という二冊を読んだのが2年ほど前で、あのときの出会いがなければこの作品は間違いなく読まなかった。

原爆供養塔は、広島平和記念公園の片隅にある小さな塚で、そこの地下にはおよそ七万人の遺骨が眠っている。この物語は、この原爆供養塔に毎日通い世話をしていた佐伯敏子さんという女性がヒロシマで闘った歳月を、堀川さんが取材をして、さらにこの人のやってきたこととやり残してきたことを受け継いで、遺骨の家族を訪ねて歩き、話を聞き纏め上げたたものだ。だがしかし、それでも見えているものはヒロシマのほんの一部であり、終わりのないことなのだということを知ることも大事なことだと思う。

取材の中で語られる一言一言の想像を絶する出来事や地獄のような風景、佐伯さんの半生から語られる壮絶な事実は、ヒロシマから経験者が消えてゆくけれども、次の世代へと受け継ぐ貴重な言葉だとして絶やしてはならない。

ヒロシマを語った人もそれを聞いた人も、消えてしまった形で登場した人たちも、七十年というあれからの年月に言葉に出来ないモノを滲ませている。作品を読むとそれが伝わってくる。

その堀川さんは、まずその佐伯さんを訪ねたのだった。序章はそこから始まる。

テレビは周知の通り映像で勝負をするドキュメントを提供するメディアである。そして、その正反対の方向から「活字」や「写真」で迫るが書籍によるルポルタージュである。

テレビならば無駄になるような些細なことや面白くないこと、だらだらと長すぎること、細かいことなど、 さらにはゴミのネタもみんな活字にして積み上げて(それでも涙をのんで削るのであろうが)私たちに提供してくれる。 しかも、一過性のモノではなく、文字として残って自由に読み返せる。 声に出しても読める。 (この作品もぜひ声にだして読んでもらいたい)

今の時代、何もかもがデジタル化になり、テレビのような映像ドキュメントは、接しやすく入り易いため人気があることもあって、 予備知識や興味と無関係に、誰もが目に飛び込むモノを深く考えずに見て触ることができる。

映像の刺激が強烈であれば簡単に食いついてしまうこともあるだろう。

確かに映像(動画)は、美しいモノを美しく醜いものもありのままの姿で確実に伝えることが比較的容易だ。音も伝える。 匂いもやり方次第ではかなりリアルに近い形で伝える工夫ができるかもしれない。

しかし、活字のルポはそうは行かない。 膨大な調査・取材をする点ではどちらも同じでも、 活字メディアでは、資料の吟味を怠ってホイホイと積み上げてしまったら途轍もなく不出来な作品になってしまう。 読者に伝えたいことの肝心な部分さえ伝わらなかったら、ルポが死んでしまう。

堀川さんはテレビの報道の人であったのだが、 活字のドキュメントを書く人に姿を変えている。しかしながら、 どこかしらに映像のセンスが流れているのが読んでいて伝わってくる。 一字一句を絵に描くように綴ってゆく。

活字出身の映像作家がいいのか、映像出身の活字作家がいいのか。 ぼーっと頭の片隅で考えながら作品を追い続ける。

取材に何の甘えも手抜きもないヒロシマの物語にグイグイと引き込まれいていってしまう。

いったい誰に読んでもらいたいのか。
今の我が国の人たちのどのような人々、年齢層に読んでもらいたいか。

必要性として、誰が読むべきだろうか。
何故、これをルポとして伝えなくてはならないのか。
伝える意義や意味とは何なのか。
ひとつひとつをここで紹介したいが、それをすれば1冊丸ごとになる。無駄のない1ページ1ページは淡々と語り続ける。

作者は焦ることも気負うこと無く、この膨大な(分厚い)本を、五倍も十倍あった資料から纏め上げている。

作品は静かに事実を語り続け、読者はそれを堀川さんの魔術のような構成や記述により映像に変換してイメージを膨らませる。だからこそ一人でも多くの人の目に届けたいと思う。

現実をぶち壊した残忍なこのような事実を書いた作品が書店に並び、 大勢の人が想像を超越した事実に触れる。

読んだ人だけが知っていればいいことなのか。
知らない人があれば届けて皆が隈無く読むべきなのか。

70年という歳月が過ぎてゆくなかで 作品に書かれた事実や実情が歴史の1ページに変化してゆくのを嘆くことは必然としても、埋もれた事実がまだまだあることへの歯がゆさのようなものが湧く。

人の心に触れながら、その生きざまを真正面で受けとめて、 決して揺るがずに事実を地道に掘り起こしてゆく。 余韻のような問題提起が続く。

感情を限りなく高ぶらせないで、事実をきちんと正確に伝えているのだろう。 その感性や技術を図り知ることは到底できないが、 ルポルタージュとしての完成度の高さが波の揺らぎを受けるように伝わってくる。 そこに、しっかりとした強烈で熱く煮えたぎるものも感じる。 読者は、目を背けずにそれらを受けて、見つめる。

ヒロシマに関わった、あるいは反戦に関わった日本中の多くの人々が、 切実に願ったことを叶えるために、改めて一歩進み出そうとしなくてはならない。

焼け焦げて融けて消滅してしまった数々を蘇えらせてやるためにも、出来事や足跡を遺すルポルタージュという活字の力で国民はヒロシマと向き合わねばならない。

平成28年8月10日 (水)〜平成28年8月18日、読了

宮下奈都(その6) 神さまたちの遊ぶ庭

宮下奈都 神さまたちの遊ぶ庭
宮下奈都 神さまたちの遊ぶ庭
平成28年(2016年)5月11日(水)
基本が大事だという。スポーツをするときの指導者の言葉だ。当たり前のことが当たり前にできること。ファインプレーにしてはいけないとも言い換えることができる。

宮下一家は最寄りのコンビニまで37キロもあるという僻地へ山村留学に行く決意をし実際にやり遂げてしまう。遂げるということはファインプレーではなく普通に誰でもができるようにプレーしたのだ。

野球でもテニスでもラグビーでもサッカーでも、普通の処理を失敗なく必ず成功してさり気なくしていること、これはファインプレーより難しいだろう。

この作品を読んで詰まらないとか味気が薄いという人は、これからの人生でも努めて生き方を見なおしたほうがいいかもしれない。

少なくともこの物語は筋書きはなく、そこがオモシロイ。でも、正義の味方は悪役には絶対負けない約束に似たようなものがあるように、留学する主人公たちには突き抜ける勢いがあって、それ加えて、惹きつけていくモノがあるのです。

読書をしておそらく大勢の人が感じ取ったものは共通していながらも、言葉にまとめるにはなかなか手ごわかったりする。

あることを決めるときに1つの物差しあるいは多数決で決めた尺度で測っていこうとする社会、何かルールを作って見つめ合うようにしておく社会から、勇気を持って飛び出そうというのだし、心の何処かで一度は考えた夢の様な社会に、ワープするみたいに行く。飛び出した先は無法でもなければ、規範がないところでもない。人の理想とする夢の様なところ。なのにあらゆることを考えたり悩んだりしながら、留学することに成功した人はおよそ帰還するときも成功を喜んで帰るから、不思議なコミュニティーです。

しかも子どもたちと大人までもが浸っている日常を、どっぷりと感情移入して読ませてくれたのだから、言葉になってすぐには出なくても仕方がない。

宮下さんのペンはじっくりと観察しているはずで、間違いなくその節々で判断をしているのだけど、例えば子どもたちの心の揺れ動きを丁寧には綴っていない。育児日記ではないのだし報告書でもないのだからそれで良いのだが、いわゆるサバサバしている。それが余計に読者とこの村で起こっている現実との間の壁を半透明化しているのかもしれない。

チャンスの神さまの前髪の話、コンタクトレンズが凍りつく話、村の人は純朴と言われて憤りを感じ37キロのコンビニと30分の通勤時間のことを考察して一石を投じるところなどを読んでいると、決して脳天気ではない哲学者だ。(おっと哲学専攻だってね、なるほど)

時にはひょうきんを装い、天然であり、楽天的である。そんな人なわけ絶対にないことくらいわかってますけど、なかなかの役者だ。

そう考えると、このリズムとステップでこれからも宮下風のほんわかコミカルポエムのようなタッチで、リリカルな色合いでやさしい視線を絶やすこと無くドラマは続いてほしい。

多くの読者がトムラウシに出かけてみたくなるでしょうし、こんな理想のような暮らしに自分も飛び込んで行きたいと夢みるだろうな。

家族が仲良しでなくてはと最後のほうでポロリと書いています。毎日そのことに感謝して、うまく言葉にできずその言葉の本意をも間違って伝わらないように考えてみたりするようなことも(私のまったくの想像ですが)多かったに違いないが、さり気なくひとことで多くの読者に一番大事な自分たちのファインプレーをファインプレーに見せないように伝えているのではないか。

作品は1だけ書いて9は読者が考えてみようみたいな哲学書のようなものだったと思えるのだが、これもやはり先入観でしょうか、宮下さん。

宮下奈都「羊と鋼の森」を読んだあとに (その5)

❏ 感想 まえがき

春の連休は宮下奈都さんの本を何冊か読んでいました。
そのなかで「羊と鋼の森」は、急がず焦らずじっくりと読むことができました。

第13回本屋大賞で大賞に選ばれていることが先入観としてどうしても大きな妨げになっているのは避けられないものの、大衆の声がどうであれきちんと見極めるためにもここは本屋大賞を眉唾だと思わずに読んでみようと、博打に出かけるような気持ちで読み始める決意をしたのでした。

嫌わずに読もうと心が動いたのは友だちからメールで宮下奈都さんの作品の感想を少し聞いたからです。
友だちは高校の国語の教師です。
本屋大賞決定の際にも先駆けてノミネート作品やその作家さんの作品を何冊か読んで予想をするなど楽しんでいるそうです。
宮下奈都さんの作品においてもこの大賞作品だけでなく「神様たちの遊ぶ庭」の感触も聞かせてくれました。
そんなことがあって背中を押されたみたいになったわけです。
(こんな先生が高校時代にいたら先生も好きで本も好きという青春時代だったのかななどとアホなことを思い浮かべながら作品に突入です)

実は先生の押しの他にもうひとつ事件があったのです。
それは宮下さんの名前を「宮下奈都」ではなく「宮下奈緒」と間違ってツイッターで書いて(mentionして)しまい、そのミスを宮下奈都さん自身からのツイートで指摘されてしまうということがありました。
一生懸命に書いたラブレターを間違って渡してしまった挙句その子に惚れていってしまう…なんてことはドラマでもありえないのかもしれませんが、わたしは宮下奈都を読み始めるはっきりとしたきっかけを自分で上手に作ったのでした。

「羊と鋼の森」を読み始めるまえに「はじめからその話をすればよかった」を読んでいました。
初めにエッセイを読んだことが親しみを持たせてくれて息を抜きながら少し軽めに宮下さんと接することができた感じです。
偉い先生にインタビューをしに行くとき、十分に予習を済ませたようなゆとりのようなものを持って「羊と鋼の森」へと進んでいきます。


❏ 感想

宮下奈都さんの印象というか作風のようなものをはエッセイを読みながら少し想像をしていました。
詩人みたいなタッチがあるなとか、あれこれと堅苦しく物語を作り上げてしまうようなタイプでもないなとか、どうやって好きになっていこうかを悩むようにあれこれ考えました。
メモを取る習慣の話が書いてあったので、作品の中のひとつひとつの展開がそんなメモから掘り出してきて築きあげられていくのだろうなあ、と想像してみたり、
子どもたちのことを日々眺めている目線から着想を得ているような会話や場面もあります。「面倒くさい」なんていう言葉が小説のなかで急に作者らしく無く使ってあるのをみていると、こういうところも苦心の表れなんだろうなと、余計なところまで考えてしまう。
そんなふうに考えたくなるような身近さを放っている人なのかもしれません。

ストーリーを作っていくタイプではなさそうですし、後になって語録をまとめ上げられるほどに課題を提起するタイプでもない。

優しく(失礼な言い方ですが)行き当たりばったり的に場面や心を映す場面が展開していくみたい。もちろん「だいたい、どの小説にも精魂なんてものはとっくに込められているのだ」と「はじめからその話をすればよかった」のなかで書いてますから、行き当たりばったりなどはないと思いますけど、そのさり気なくファインプレーのようなところが好感度を上げているのでしょう。

ドラマをシナリオ化して映像作品に作り上げたとしても、ドラマになりきらないようなことをしっかりと作文して纏めてくれて(イメージっぽく表現して)わかりやすく伝えてくれる人みたいだ。

悪く言えば純文学のこってりしたものを想像して期待するとがっかりすのだろうけど、まろやかで心がほんのりとほっこりするような末永く大事にお付き合い出来そうな作家なのかもしれないとも思ったわけです。

そういうわけで、作品にも大いに興味があるんだけども、欲張りなことに人間的にも大いに興味が湧いてきて、むかし(40年ほど前ですね)遠藤周作さんに会いに行ったみたいに、宮下奈都さんにも家の玄関に普段着でお邪魔してドアをコンコンとノックしてしまいそうな(それを許してくれそうな)味も感じてしまうのでした。

「 羊と鋼の森」というように、タイトルに「森」とつきます。けれども実像としての森は登場しません。作品でイメージされた森は、わたしたちが触れている環境創造活動や森林やみどりとの共存、さらにはおいしい空気や水を育む森と通じ合っているものがありました。
主人公はピアノの調律師をする若者です。ピアノは鍵盤の奥に隠されているフェルトのハンマーが鋼の弦を叩いて音を出します。このフェルトや弦を工夫・調節してピアノの音は調節します。森に生まれ森の大きさに守られて成長する若者の話です。
物語のなかで「古いピアノの音の良さは、山も野原も良かった時代に作られたからだ」「昔の羊は山や野原でいい草を食べて育ち、その健やかな羊の毛をぜいたくに使ったフェルトをピアノのハンマーに使って」いたからいい音がするのだ、と書いています。

作者の宮下奈緒さんは、北海道に山村留学をして家族で1年間過ごした経験があり(それを素材にして)「神さまたちの遊ぶ庭」という作品も書いています。

「羊と鋼の森」も「神さまたちの遊ぶ庭」に出てくる森も、ふだんから仕事で自然保護や環境創造、森や緑との共生などをテーマに仕事をしているわたしたちみんなが夢見ているような森ととても似ていました。
しっとり・どっぷりと何度も読み返せる作品でした。


❏ 感想 あとがき

(試しに本屋大賞を読んで)直木賞とは色合いが違うなあと、優劣ではなく、感じたのでした。
そもそも同じラインに並んで比べなくてもいいような風に感じます。

「博士が愛した数式」という小川洋子さんの作品をむかし読んだけど、ああいう作品のように鋭利でない切り口で魔法にかけたように作品が読者に忍び入って来るのようなところが宮下さんにもあった。
決して軽くはないのだが、作者は冷たい人を装って、熱くならない物語を淡々と続ける。
結論だけどこかで暗示したらいつ終わってもいいような甘いベールに包まれたお話だったのかもしれないな。

・・・・と、ここまで書いて、本屋大賞のことをパラパラと調べたら、さらにわかってきたことはその「博士が愛した数式」(小川洋子)が第1回本屋大賞だったということです。
本屋大賞なんて眉唾やなあ、なんて書いておきながらも楽しく読んでいる作品が何篇かあったので、ちょっと言い過ぎたかと反省しつつ、
小川洋子や石田衣良、絲山秋子、角田光代、三浦しをん…と読んでいるから、あゝわたしも結構ミーハーだったのだ。

自分で書いた感想をもう一度読みなおすと
「ストーリーが荒削りで躍動感のあるモノや、感動の押し付けのような作品が巷には多いこのごろ、素直に小さな物語を、しかも、文学的に彼女は綴っている。
こんな作品は次々と生み出せるようなものではなく、作者の宝物のような感性を繊細にかつ満遍なく出すのですから、きっと彼女の中でも数少ない名作になることでしょう」
と小川洋子さんの作品のことを書いている。(11年前の感想)

わたしが大好きな「赤目四十八瀧心中未遂」(車谷長吉)とか「利休にたずねよ」(山本兼一)ような滾りがない。だからこそまた違った読者が吸い寄せられるのだ。

♠️

もう一つ特記したいことがあったので記録しておく。

読書真っ最中のこと、原民喜の作品を引用している箇所に出会う。(P57)

「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」

これは「沙漠の花」という作品のなかにある一節だ。ちょうど半年ほど前に「原民喜全詩集」を見つけて考慮時間0秒で買ったわたしですから、原民喜という名前が登場するだけでもうお涙頂戴ものでした。

そのことをツイッターで mention したら reply がもらえたのでした。

遅読なんです(老眼とも闘いながら) 羊と鋼の森 ぼちぼち進んでます
原民喜 の名前が出てきて超嬉しがっています
去年の秋に「原民喜全詩集」を見つけて即買ったんです
わけもなく好きなん
何か通じるものを感じているのかな
(そんな 予感もしていたのだった)
@NatsMiya

@wahaku よかった たぶんどこかでつながっているのですね


写真日記から

羊と鋼の森(宮下奈都)

宮本輝 田園発 港行き自転車 (上)(下)

宮本輝 田園発 港行き自転車 (上)(下)
2016年4月21日

15年前に父が急死した地・富山で、父の足跡を辿る絵本作家の賀川真帆。東京での暮らしが合わず、富山に戻ってきた事務員の脇田千春。出会うことのないはずのふたりの人生が思いもよらない縁で繋がっていく、富山の美しく豊かな自然を舞台に描かれた長編小説です。人の思いの強さや、それによって繋がっていく人と人との縁…ぐいぐい物語に引き込まれていきます。

yuri mizutani さんの装画が素敵です。コレ

さて わたしの読後感想富山県を流れる黒部川にかかる愛本橋が物語に登場する。この端の少し下流に「墓の木自然公園キャンプ場」というところがありわたしは平成13年8月18日にここを訪れた。この作品よりも遥か昔、今から15年ほど前です。

その明くる日には周辺を走り回り道の駅でトイレを借りたしながら独特な景色と格別に違う風が吹いていると感じた田園地帯をブラブラと散策しながらバイクで巡った。ここで登場する愛本橋も走って通り過ぎた違いない。

だが、写真を見て思い出すことはできない。けれどももう一度行けば確実に記憶がよみがえる気がする。あのときにこの田園地帯で感じた風の匂いと水のせせらぎにここにしかないもの凄いパワーを感じていた。日記では言葉で明確にはしていないが、黒部の山々と小さな扇状地に漂う畏敬のようなものを確実に感じ取っていた。

もっとむかし、さらに15年ほど遡って1984年にも富山平野を横切っている。それはクルマで東北を目指した旅の途中のことで、高速道路は富山平野の中ほどまでしか開通しておらず、京都から走ってきた終点は滑川インターで、黒部川は一般国道である8号線を走って越えた。

川が急流なことはもちろんだが、有名な割には川幅がそれほど広くないし水が脈々と流れているわけでもないのに、どこか異色の景色を放っていた。それが石のせいだと気づく。しばらく考えているとわかってくる。山から急斜面を流れだした水はあっという間に海に到達するから、蛇行したり河原を作ったり、石が砕けて砂になるような緩やかな流れはないのだ。

二度目にこの地に旅してきたときにも初めて来たときの強烈な印象が蘇った。ただ、せせらぎに手を差しのべてその水の冷たさや美しさに触れたのは墓の木自然公園にテントを張った時が初めてだった。

この本を読み始めながら次第にそのときの感動が蘇ってきて、宮本輝が蛍川に書いた富山への熱情と合わせて、この作品の感動を整理しなくてはいけないなと思う。

そうすると、宮本輝が作品の書き出しで大きく息を吸って深呼吸をしたかもしれないような息づかいまでもがわたしの中に満ち溢れてきて、仕事で書いている4月号のメールマガジンのあとがきでも紹介をした。

宮本輝さんは「田園発港行き自転車」という小説を<私は自分のふるさとが好きだ。ふるさとは私の誇りだ。何の取り柄もない二十歳の女の私が自慢できることといえば、あんなに美しいふるさとで生まれ育った ということだけなのだ>と書き出しています。ちょっとしたきっかけで読み始めたこの作品は、富山県を舞台にして立山連峰と黒部川と富山湾を背景にした田園地帯と、この豊かな自然の中で織りなす奇跡的な出会いのドラマです。この作品の中には終始偉大な自然に育まれた豊かな心の人々が登場します。作者は冒頭で「自慢できる」という表現をしています

という具合に震えるようなものを感じ取ったのだった。

全てはこの書き出しにある。

作品は現代屈指のストーリーテラーである宮本氏が魔術のように人間関係を練り上げ、それぞれの出会いや事件の場面を絶妙に切り刻んで並べて、ヒトの真正面の生き方を宮本美学的に綴り、味わい深いドラマにしている。

TVや映画でのドラマではなく宮本氏が詩篇を意識したような風景や心の描写で、時には(いつものようにともいえるが、宮本流の)思わぬ展開や出会いで編み上げていってしまう。
作者はこういう複雑で、実際にはありえないような(ドラマチックな展開を)螺旋のようにもつれた関係や展開を味わい深く作品の中に散りばめた。

確かにいつものように退屈なところもあるのだけれど、それもお見通しかもしれず、作品の結末を構想しながら絶妙にあれこれを集約してくる。

書きはじめるときにラストシーンをはたして固めてあったのか、3年近くも書き続けながら熟成するものなのか想像の領域外だが、散りばめた感動を纏めて、幾 つもドラマを投げ出して走らせてストンと終わってくれるところなどにも、この人の真面目で哲学者で詩人でお茶目な面を感じる。

作品の完成度としては大雑把に真ん中(星3つ)くらいと思っている。新品を買ってきて手垢も付けたくないというような作品にはならなかったが、どんな一流のドラマや映画も寄せ付けない味わいを持っている。それはコレこそがドラマなんだというスリリングなものでもあり、人間の生き方へのひとつの提示であるのかもしれない。

「禍福はあざなえる縄の如し」と明確に引用をしていた作品もあるのだが、この作品では言葉自体には触れていない。螺旋の人生を送ってきた人だから書ける作品なんだろうと思う。

あとがきから
わたしは、螺旋というかたちにも強く惹かれます。多くのもののなかに螺旋状の仕組みがあるのは自然科学において解明されつつありますが、それが人間のつながりにおいても、有り得ないような出会いや驚愕するような偶然をもたらすことに途轍もない神秘性を感じるのです
本文から
好不調はつねに繰り返しつづけるし、浮き沈みはつきも のだが、自分のやるべきことを放棄しなければ、思いもよらなかった大きな褒美が突然やって来る

山本兼一 花鳥の夢  感想

2015年10月21日 (水)

長谷川等伯を書いた安部龍太郎「等伯」を読んで山本兼一の「花鳥の夢」へと思いを誘われた。

かつて、山本兼一「利休にたずねよ」を読んだときに、それまでに接してきた歴史的な小説とは全く違った味わいを知らされ、激しい情熱やドロリとした人間味を読ませてもらった。

芸術的に美しく且つ煮え滾る感情のようなものであったのかと、今になってもう一度思い返しながら考えてみている。

歴史小説としてポピュラーな司馬遼太郎の作品は例えれば落語のようで、吉川英治の作品は講談のように読者をその世界に惹き込んでゆくと、私はそう思っている。

では、安部龍太郎や山本兼一はどうなのか。
二人を同じに考えることはできないが、人物が絵師という芸術のうえで、激しく自分を押し出したり、控えたり、噛み堪えたり、ぶつけたり、自省の檻に叩き込んでみたり、もっと激しく自分を責めたり、悩んでみたりして、生きるてゆく人間の姿を手法を違えて物語にしてゆく。

司馬作品のように 俯瞰的な視線はない。吉川英治のように読者を踊らせてくれるような巧妙さもない。

骨子にあるのは、芸術的な視線を持つ山本兼一の眼差しが捉えている狩野永徳の生き様だ。

ときには、芸術素人読者や非読書虫である私のようなものには、些か退屈なところもある。しかし、扱う人物(素材)の力は遥かに大きく、引力が激しい。

安部龍太郎を先に読んだときに、安部龍太郎は自分を等伯と確実に重ねているということを感想で書いた。まさかと思うことを感じたので、そんな思いの人はそ れほど多くも居ないだろうと思いつつそう書いた。なのに、後になって多くの人の感想や談話を読んでみれば、安部龍太郎自身が「私は等伯です」と直木賞受賞 時のインタビューで語ったと書いているから私は驚く。
私は間違っていなかったらしいのが嬉しかった。

「花鳥の夢」の文庫の解説を書いている澤田瞳子さんは「狩野永徳は山本兼一だ」と書いている。そのことは読み始める前に拝見した。その書評を読んだからこ の作品を読まずにはいられない。ということで、歴史作品を連続読書するなどという前例がないまま、二人の絵師の世界、戦国の激しい時代のなかを生きる 人々、芸術家であり人間である姿で真正面から自分の使命と運命に立ち向き合ってゆく物語のなかに私は踏み込んでいった。

安部龍太郎の文章は読み手の心を上手に捉えて離さない。
一方、山本兼一は、美的で考え抜かれて吟味され尽くした厚みのある一節一節で、いかがでしょうかというように惹きつける。
美的なものをきちんと美的に伝えて、物語のなかで粉塵のようにして読者に吸い込まれてゆくように、作品にまとめ上げ てゆく。さながら、この物語のなかの永徳のようでもある。

小説家という人物の頭のなかはどんな構造になっているのか。安っぽい小説なら「ボクも真似して書いて」みたくなるのだろうが、山本兼一はそれを寄せつけないような凄みがある。決して詩的で美文でもないが、やわらかみのある作風だ。

どこまでが史実で、どこからが架空であるのか。それは全く不問でいいのだと思えてくる。そんなことは歴史の教科書や図書館の美術史の書籍に任せよう。狩野永徳という人間の心のなかに踏み込ませてもらうことで、知らない絵の世界が見えてくるではないか。

こんなに激しく燃えて、悩みぬいて、自分を問い詰めて、芸術を極めて生きぬいてゆくなんてことは、誰ができるものでもあるまい。しかしながら、歴史に名を残した人物にはしかるべき苦心があったのだ。

作者は、狩野永徳が持っていた天才肌の他にあるもう一方の面で、彼を責め続けた自分に問いかける正義のようなものを書きたかったのではないか。

いつの時代の凡人にも非凡人にもあるような側面を、歴史的芸術作品の絵の裏にある泥っとした過程のようなもののなかに、物語として書いて、凄まじい永徳の本当の姿を表現したかったのではないか。
等伯と永徳の絵を見に出かけたくなる。そんな作品です。(平成27年11月6日)

花鳥の夢

ここまで一息ついて、最後の方をもう一度読む。
終章(第九章)花鳥の夢の段は興奮も収まり静かな章になっている。
一度登場した利休も姿を表し、芸術から哲学の色合いをもった問答や自責が続く。
戦国の世の激しい闘いのなかでその波に揺られながら命辛辛生きている人間たちである。
物語のうえでは少しばかり悪者のイメージで描かれていて、実像はどうであったのかも気にかかるものの、強くて華麗であった人に少し物語上は悪役を買ってもらったというところなのか。
志も半ばで、等伯よりも遥かに早く、利休が無念で切腹をするより半年早く、永徳はこの世を去る。
なるほど、こうして考えていると、山本兼一は狩野永徳だったという点も見えてくる。
─2015年11月8日 (日)

安部龍太郎 等伯 (感想篇)

20150924等伯上

等伯下
直木三十五の「南国太平記」か吉川英治の「鳴門秘帖」か司馬遼太郎の「梟の城」か井上靖の「風林火山」か。これらの作品を初めて読んだときの興奮と読後の震えのようなものが、等伯を読み終わった私の身震いの中にあった。

終章まで熱気が冷めずにとことん気持ちを入れ込んで、しかも、物語の面白みと人間の心の闘いの醍醐味を存分に味わわせてくれる作品である。

安部龍太郎という人、読んだことがなかったので、いかに読まず嫌いだったのか、と反省する。(人は見かけで判断はしてはイカン:余談)…と言いながら、実は、19年前(平成8年)に私はこの人の記事を読んで、「誰やこの人、只者ではないぞ」と赤ペンでナゾっている。

それが安部龍太郎 「龍馬脱藩の道 ─ 竜馬がゆく<高知>」(文藝春秋平成8年5月臨時増刊記事/文藝春秋社「司馬遼太郎大いなる遺産」に掲載)の(追悼の)記事だった。
印までつけて何度も読み耽って、付箋まで貼って、とても面白い作家だとまで思いながらも彼の作品は読まないままだった。素直じゃなかったのだ。安部龍太郎って誰よ、と思ってストンと忘れたのだろう。

ところが、読書ブログ繋がり(ともだち)こはるさんが、直木賞が文庫になったので(読みました)と、感想を書いていたのを見てわたしも読むことにした。

絵にはからきし弱く、私にはチンプンカンプンだろうし、歴史小説は根性入れないと読み切れないし、文庫で上下もあるし、(それほど知らない)安部龍太郎だし…と思い悩んでいたら、「迫力があって小説であること忘れそう…」とまで言うので思い切った。

久しぶりの★★★★★ですし、私のように10分程度の列車の中や15分程度の昼休みしか(寝床では読み始めると1分で眠ってしまうことが多い)ない人には打って付けの作品でした。買いましたと書いてから随分と時間が過ぎた。敢えて言えば寝床で眠ってしまわず読めば朝になる恐れが高いのでオススメできないようなそういうアツイ作品だった。


能登半島・七尾の下級武士の家に生まれるが、幼少のころに染物屋に養子に出される。それがやがて絵師として見いだされ、何度も降りかかる不運や不幸を突っぱねて歴史に残る絵師として認められてゆく。そういう中の激しい生き方に感動しながら読む。

義父母の壮絶な死、兄の野暮、戦に巻き込まれる被害、筋書き通りにいかない人生、理屈に合わない人間関係、突然襲いかかる不幸、貧困、裏切り、憎しみ、駆け引き。意地、見栄、希望、懺悔、度重なる身内の死。等伯と人生をともにする女性たち。すべてがクセのある人間味を帯びていながらも美しくある。

いつどんな時代であってもこのような人物は存在したのだろう。戦国の世の中のことだ、どこまで自分の願いが叶ったのだろうか。京の都に出て絵描きとして認められたいと夢見ることは、その人の才能にかかわらず、現代ならば宇宙飛行士になりたいとか大リーガーになる、ノーベル賞を狙いたい…みたいなものだろう。私たちも子どものころそんな夢を語ったこともあったものだが、それは夢であるから好きなように語れたのだった。現代の若者は─とくに小中学生は宇宙飛行士とか大リーガーなんて現実的ではないと言って弁護士だとか医者などを将来の夢に挙げるとも聞く。

等伯の時代も今も同じように夢は夢であったのかも知れない。しかし、どこかが違ったのだ。安部龍太郎は、そんなどろっとした部分を程よくそぎ落とし、運命に引きずられて都に出て、絵描きとしての道を歩んでゆく情熱的な等伯の姿を書きたかったのだ。烈しい気性を淡々と書いて、講談のシナリオのように、不運をひらりひらりと裏返すように単調な成功物語にしたくないと考え苦心したように見える。

これだけの才人の伝記だから、物語にすれば歴史ファンが増えて仕方なかろう、利休を見直す人も出てこよう、日蓮を読んで学ぼうという人も出てくるだろう、そういう逸る気持ちを鎮めながら一方でどっぷりとハマって読みふける。等伯の苦悩や不幸、不運を、そしてさらには挫折や読者の反発も、全てを味方にしてどんどんとおもしろい物語になっている。どこまでが史実なのか、どうでもよくなってくるくらい、夢のように嬉しい展開である。そこが安部龍太郎の(きっと努力の)文芸の技ではないかと思う。

等伯を安部龍太郎が書かなければ、等伯に関わる文献は歴史の副読本程度で終わっていたかも知れないし、落語のネタ本のようだったかも知れない。そんなことも思いながら、作者・安部龍太郎のことを想像する。情熱を感じさせてくれる人だ。そう意味でも、安部龍太郎が等伯を書き上げてこそ本当に良かった。等伯がつまらなくなる恐れがあったのだから。

人は激しくて揺るぎのない強い執着を持っていれば成就できる…というお手本の生き方をした人物ではなかった。等伯の人生は、ある点では下手くそな生き方だった。だから等伯は、時代のヒーロー的な人物でもなかったし成功をするのも晩年である。そんな人をここまで魅力的に書けたのは、安部さんアナタが共通するものを感じ持ってるからではないですか。(と質問したい)

物語を書くにあたって、安部龍太郎という人は文芸のチカラで引き込んでゆける様々な手段や技法を研究し、知識や常識も調べ上げるなどして研究に余念がない人だったに違いない。そういう厚みを備えて書いたことがこういう巧い作品を纏める才能であった。おそらくこの作品に限らず、一文一文しっかりと着実に書いてゆく作家のだろう。読みながらそんな作者の顔も感じ取りながら読み進む。

それは推測だが、安部龍太郎自身の生きざまや人生そのものに等伯が重なるのではないか。安部龍太郎は、等伯に成り切って命を賭けてこの作品を自伝を書くように書いたのではないか。そうであってもおかしくないほど、等伯という人物には魅力もスリルも意外性もあった。もちろん、あらゆるものを燃え尽きさせる熱いものも持っていた。

歴史を新しい側から辿っていけば、もしかすると、しかるべき成功物語で語っておしまいになっていたかも知れない。しかし、安部龍太郎のマジックのような才能が、誰にも書けない等伯を完成させた。

歴史の試練をくぐり抜けた一つ一つの場面が余りにも激しいながらも真摯であり、単純ではない波乱な人生であったが、決してそれだけで終われないものがある。それは等伯の、漲る才能や絵に対する執念だけではなく、向こう見ずな側面を作品では見せている。

その上に、その強運不運に死なされてしまわずに生き延びた史実を、はらはらとさせるような作り話のような筋書きにして、たぶんほとんどのところが資料に基づく史実に近いものだろうが、小説としてまとめ上げた作者・安部龍太郎のレトリックの凄さでもある。

そして終章。等伯は逝くのだが、逝ったとはどこにも書かずに、安部龍太郎はぐっと映画のようなシーンで終わりとしたのだ。
この作品は、映画にもできない、安部龍太郎の書いたペンが激しく読者にぶつけてくる等伯の叫びを綴ったものだと思う。そんな気がしている。